日本語表記論
言葉を文字に書き表すことを表記という。言葉 ことば コトバ と書いたり、詞 辞 をことばの意味で書き表したりすると、表記のことがらになる。言葉という語の発音を、ことば また、コトバ と書くことは仮名文字の役割として表記の基本である。ことバ コトば としたりすることは言葉の意味においてはない。国語の音韻にかかわることである。
仮名文字の音表記を決めているのは仮名遣いである。現代仮名遣いと歴史的仮名遣いとでその表し方は異なるので、現代仮名遣いの取り決めに従っている。平仮名と片仮名では語の表し方が異なる場合がある。景気を、けいき ケイキ と書くのは文字種の選択であるが、cakeを、ケ-キと書き表すのは長音の言葉の表記の方法による。
日本語の表記に対して書記という用語がある。書記作品と用いたりする。文学作品で書記を見てその文字づかいをとらえた。記されること、また、文字を書きしるすことであるから、その役割で会議録などをとる秘書がするような使い方もある。日本語表記を言う前には、この書記という用語が普通だった。万葉集の書記というように言っていた。
表記について正書法との議論をする向きがある。正書法、正字法と訳されるが、綴字法とする方がわかりよい。Orthography は、発音と文字づかいのずれたのを正す書き方と思われるが、いまや書式のすべてにわたる物言いともなって、どれが正しいかどうなどを議論するようだけれど、日本語に当てはめるのは表記体系の基本的なとらえ方が異なる。
文化庁が次のように報告する
>正書法について(報告) 国語審議会は,広く正書法について考え,その立場から,特に現在教育上その他において問題となっている「現代かなづかい」の適用上の諸点について審議し,別紙「正書法について」のような結論に到達した。
>正書法(正字法)はオーソグラフィーの意味で使われているが,日本語の表記は漢字・かな(ひらがな・かたかな)を交えて書き,しかもその使用が比較的任意になりやすいから,厳密な意味での正書法は漢字・かなの表記であるかぎり,一定することがきわめて困難なことである。しかし,ひらがな・かたかななどの問題,漢字・かなづかい・送りがなを含めて,日本語の表記について正書法を考えてもさしつかえあるまい。あるいは,正書法の語を避けて,それを表記法といったほうがよいかもしれない。
ここまではそれでよいが、日本語の実情に照らして次のように言う。
> 正書法は,もともと語の一定した書き表わし方であるから,新しく考える際は,一貫した法則によることが望ましい。どうしても一貫できないものについては例外を認めざるをえない。
どうも表記体系併用の日本語にそれが音韻との対応で一つである仮名文字などに議論をするのはよいが、それでも日本語が平仮名、片仮名があって、そこにローマ字も許容する。漢字を容れての書き方になると、本来の正書法の議論ではなくなるので、一貫した法則の望ましさは、それぞれの表記の体系により、可能な書き方を追求することになる。
日本語に正書法がないなどと、何をもって言うのか。よく聞いてみると、さまざま選択があって、結論は、表記法がある、と言うことが出てくることになるようだ。
言葉を文字に書き表すことを表記という。言葉 ことば コトバ と書いたり、詞 辞 をことばの意味で書き表したりすると、表記のことがらになる。言葉という語の発音を、ことば また、コトバ と書くことは仮名文字の役割として表記の基本である。ことバ コトば としたりすることは言葉の意味においてはない。国語の音韻にかかわることである。
仮名文字の音表記を決めているのは仮名遣いである。現代仮名遣いと歴史的仮名遣いとでその表し方は異なるので、現代仮名遣いの取り決めに従っている。平仮名と片仮名では語の表し方が異なる場合がある。景気を、けいき ケイキ と書くのは文字種の選択であるが、cakeを、ケ-キと書き表すのは長音の言葉の表記の方法による。
日本語の表記に対して書記という用語がある。書記作品と用いたりする。文学作品で書記を見てその文字づかいをとらえた。記されること、また、文字を書きしるすことであるから、その役割で会議録などをとる秘書がするような使い方もある。日本語表記を言う前には、この書記という用語が普通だった。万葉集の書記というように言っていた。
表記について正書法との議論をする向きがある。正書法、正字法と訳されるが、綴字法とする方がわかりよい。Orthography は、発音と文字づかいのずれたのを正す書き方と思われるが、いまや書式のすべてにわたる物言いともなって、どれが正しいかどうなどを議論するようだけれど、日本語に当てはめるのは表記体系の基本的なとらえ方が異なる。
文化庁が次のように報告する
>正書法について(報告) 国語審議会は,広く正書法について考え,その立場から,特に現在教育上その他において問題となっている「現代かなづかい」の適用上の諸点について審議し,別紙「正書法について」のような結論に到達した。
>正書法(正字法)はオーソグラフィーの意味で使われているが,日本語の表記は漢字・かな(ひらがな・かたかな)を交えて書き,しかもその使用が比較的任意になりやすいから,厳密な意味での正書法は漢字・かなの表記であるかぎり,一定することがきわめて困難なことである。しかし,ひらがな・かたかななどの問題,漢字・かなづかい・送りがなを含めて,日本語の表記について正書法を考えてもさしつかえあるまい。あるいは,正書法の語を避けて,それを表記法といったほうがよいかもしれない。
ここまではそれでよいが、日本語の実情に照らして次のように言う。
> 正書法は,もともと語の一定した書き表わし方であるから,新しく考える際は,一貫した法則によることが望ましい。どうしても一貫できないものについては例外を認めざるをえない。
どうも表記体系併用の日本語にそれが音韻との対応で一つである仮名文字などに議論をするのはよいが、それでも日本語が平仮名、片仮名があって、そこにローマ字も許容する。漢字を容れての書き方になると、本来の正書法の議論ではなくなるので、一貫した法則の望ましさは、それぞれの表記の体系により、可能な書き方を追求することになる。
日本語に正書法がないなどと、何をもって言うのか。よく聞いてみると、さまざま選択があって、結論は、表記法がある、と言うことが出てくることになるようだ。