2013-06-09 15:08:47 | (再掲)
日本語教育批評について、批評とはどのような語か、考えてみる。
批評について、翻訳語であるという。もとの意味するところは、クリティークcritiqueである。その語源はギリシア語のクリノkrinōに由来する。判断する、裁く、となっている。平凡社百科事典の引用する哲学事典の説明では、次のようである。A.ラランドの《哲学辞典》によれば、批評とは、ある一つの原理または事実を評価するために検討することである、と見える。その精神についても言う。批評的精神とは、いかなる命題も、みずからその命題の価値を検討することなしにはけっして受け入れない精神である、とある。この自らの命題の価値を検討することなしに、というのが難しいだろう。それは内的批評critique interneにあり、問題の命題の起源について行われるときには外的批評critique externeという。翻訳語は、批判をも使う。批判は哲学の議論というイメージが強く、批評は論文というエッセイに使われる。論文を批判する、文芸を批評する、などと言うので、この語の用い方が広がって、真偽、善悪、是非の内容を詰める批判の語が正しさを追求するあまり欠点や短所の不足を言うことのように捉えられている。
批評はやはり議論文をもって行われるところ、小論文のような語を生み出してさまざまに言葉を作っている。辞書の載せる語句から、批評に近い言葉として、芸術批評、批評家、批評眼、裁断批評、本文批評、文芸批評、文明批評、外在批評、内在批評、主観的批評など、批判で置き換えて、文献学にある本文批判ぐらいのことが妥当する。批判の語が哲学でもっぱら議論の対象とともにあって、その概念で英語、フランス語に道具となって、文章に表された経緯が日本語の翻訳語としてのクリティークである。critique という単語は、ギリシャ語の kritiki 、κριτική,何らかのモノの価値についての、洞察ある判断の語に由来すると説明するが、英語から日本語になった、クリティック、criticは、 批評家、批判者となり、いっぽうで、クリティシズム、criticismが批評、批判とするようである。この語を難しくするのはまた、このように英語由来の用い方の向こう側にフランス語での用いられ方があって、そこでの同じようなものが違って見えてしまう日本語である。
ドイツ語から、フランス語、そして英語とわたるだけでなく様々その受け入れ方によってわかれ、次のような分類が行われる。
フリー百科事典から摘記する。
>
哲学における「批判」 [編集]
哲学の分野ではしばしば「批判」ともいう。イマヌエル・カントが「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」という意味でKritik(独語)を用いた[1]。この文脈ではKritikは「批評」ではなく「批判」となる。しかし、Kritik(独)もcritique(英)も、それ自体は、日本語における「批評」と「批判」、どちらの意味合いも含んでいる。
文芸・美術・文化における「批評」 [編集]
critique は、美学あるいは文学理論においても用いられる。そこでの critique とは、主に詩、絵画、遊びなどの「作品批評」を意味する。この場合、「批評」とはより幅を広く取って、「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality )についてのあらゆる議論」を指すことになる。文芸批評には批評理論というのもある。
社会思想における批判理論 [編集]
政治理論の文脈においては、カール・マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハーバーマスなど)。
さらに今日の哲学におけるcritique(批判・批評) という単語は「概念(concept)・理論(theory)・研究の方法論や原理(discipline)、あるいはそれらを用いた具体的な分析手段(approach)などについての諸条件や因果関係に対して、体系的な問いを立てること」「またそうした概念・理論・方法論・分析手段の限界や妥当性を理解しようと努めること」というような意味に拡張されている。
なお、このような現代的意味におけるcritical(批判的・批評的)なアプローチと対立する思考法を「ドグマ的アプローチ」、すなわち「独善的に決められた法則を、決して疑わないような思考法」と呼ぶ。
社会思想における批判理論 [編集]
政治理論の文脈においては、カール・マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハーバーマスなど)。また、ミシェル・フーコーやアラスデア・マッキンタイアの権力批判も、そのやり方は著しく異なるものの、社会批判(social critique)の文脈にある。
批判的思考 [編集]
心理学、論理学、教育学などで批判的思考(クリティカル・シンキング)という概念があり、批判を用いた思考によって誤った推論や論理展開を避けるための解決などとしても研究されている。
にぎやかなことである。
ここに批評用語としての、言説が使われるようになって、それは、仏語discours ディスクール、英語のdiscourse、の訳語として成立した。
discoursには、1960年代以降、ミシェル・フーコーの言う、特定の社会的・文化的な集団・諸関係に強く結びつき、それによって規定される、言語表現、ものの言い方、というようなことが加わる。
さらには、文体、書く行為、かかれたもの、書き言葉の4つの意味を併せ持つ、英語文献におけるwritingになる仏語での、カタカナ語エクリチュールが使用されている。
(書きかけです)
日本国語大辞典
がいざい‐ひひょう[グヮイザイヒヒャウ] 【外在批評】
〔名〕
(1)文芸批評の様式の一つ。作品内部の構造、技巧、作者の心情など、作品内部の分析、批評が目的でなく、作品を社会的存在と見て、その階級意識、社会的、歴史的意義などを批評することを目的とするもので、社会主義的文芸理論に基づいて作品をその外部から批評する方法。大正末期頃から唱えられ始めた。〓内在批評。
*外在的批評への一寄与〔1926〕〈青野季吉〉一「私はかつて文芸にたいする外在批評の必要を提唱したことがある。その意味は、これまでのやうに文芸を単に文芸だけの範囲に限って、その内部からの内在的批評では、当の文芸の持つところの、社会的、歴史的、したがって人類的意義が決定されない、一度びその内在的価値を検討して後には、その外に在って、それを広汎な社会的見地から批評しなければならない」
(2)一般的に、一定の客観的な原理や基準に基づいて、作品や学説に批評を加えること。
ないざい‐ひひょう[:ヒヒャウ] 【内在批評】
〔名〕
(1)文芸批評の様式の一つ。個々の文学作品を、その社会的、歴史的意義などを考慮に入れず、その形式や技巧、また、内容の説明や鑑賞をするにとどまる批評。大正末期頃から唱えられ始めた。〓外在批評。
*外在的批評への一寄与〔1926〕〈青野季吉〉「文芸の外在批評も、その初段的準備として当然に内在批評を持たなければならない」
(2)ある学説・思想などを、その前提や枠組となるものを一応認めた上で、議論の内部に立ち入って批評すること。また、その批評。
ニュー‐クリティシズム
〔名〕
({英}New Criticism )
一九三〇年代に米国で確立した文芸批評の方法。作家の伝記や時代背景についての知識を重視せず、作品を自律的なものとして、その構造・意味・象徴性などを解明しようとするもの。新批評
プログレッシブ和英中辞典
[コラム]文学・批評
⇒《現代文学批評の種類》;⇒《文学作品・テクスト》;⇒《小説》;⇒《詩》;⇒《劇》;⇒《文学の種類》
《現代文学批評の種類》
解釈学的批評|hermeneutical criticism
構造主義批評|structuralism
新批評|New Criticism
新歴史主義批評|new historicism
神話批評|myth criticism
精神分析批評|psychoanalytical criticism
多元文化主義|multiculturalism
脱構築批評|deconstructionist criticism; deconstruction
テーマ批評,テーマ論|thematics; thematique
読者反応批評|reader-response criticism
批評|criticism
フェミニズム批評|feminist criticism
プラハ学派批評|Prague School criticism
ポスト構造主義批評|poststructuralist criticism
マルクス主義批評|Marxist criticism
ロシア・フォルマリズム|Russian formalism
《文学作品・テクスト》
文学作品,テクスト|a literary work; a literary text
敵役|the antagonist
結末|the ending
作品の構造|the textual structure
作品の背景|the textual background
作品名,題名|the title
主人公|the protagonist; 〔男性〕the hero; 〔女性〕the heroine [hérouin]
主題,テーマ|the theme; the subject
登場人物|the characters
副題|the subtitle
プロット|the plot
物語|the story
《小説》
小説|a novel; 〔集合的〕fiction, the novel
空想科学小説|a 「science fiction [sci-fi] novel
詩小説|a verse novel
私小説|an “I” novel; an Ich-Roman (▼ドイツ語)
自伝的小説|an autobiographical novel
推理小説|a detective novel
短編小説|a short story
中編小説|a novella
長編小説|a novel
ノンフィクション小説|a nonfiction novel
冒険小説|an adventure novel
歴史小説|a historical novel
恋愛小説|a love story
《詩》
詩|a poem; 〔集合的〕poetry, verse
自由詩|free verse
叙事詩|an epic poem
叙情詩|a lyric
短詩|a short poem
長編詩|a long poem
《劇》
劇|a play; (a) drama
喜劇|(a) comedy
韻文劇,詩劇|a verse drama
現代劇|a modern play
古典劇|a classical play [drama]
散文劇|a prose drama
史劇,歴史劇|a historical drama
悲劇|(a) tragedy
《文学の種類》
海洋文学|oceanic literature
国民文学|national literature
児童文学|juvenile [children's] literature
フェミニスト文学|feminist literature
デジタル大辞泉
じ‐ひょう 〔‐ヒヤウ〕 【時評】
その時点での世間のいろいろな出来事について行う評論。
本国語大辞典
じ‐ひょう[:ヒャウ] 【時評】
〔名〕
(1)当時の世間の評判。
(2)世の中に起こっているさまざまな出来事についてする評論。
日本大百科全書(ニッポニカ)
批評
ひひょう
criticism 英語
Kritik ドイツ語
critique フランス語
事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。狭義に芸術批評、ことに文芸批評をさすことも多いが、広義には政治、経済、科学、スポーツから日常生活に至るまで、人間営為のすべてを対象とする。その文章化されたものを評論という。真の批評の根底にあるものは批評意識ないしは批評精神であり、この意味での批評は批評家の専有物ではない。豊かな文化が築き上げられるためには、時代と場所を問わず公衆の健全な批評意識が不可欠であり、古代においてアテネの市民が実践したところのものであった。批評精神の鈍化・喪失が文明の滅亡につながり、新たな批評精神が新文明の勃興(ぼっこう)につながった例はあまりにも多い。また批評は、形を変えて、人間の精神活動のあらゆる局面に伏在する。バルザック、チェーホフ、志賀直哉(なおや)を含め、東西の多くの作家が批評家を作家の寄生虫ときめつけて批評家無用論を唱え、一方、批評家の作家に対する劣等感もまた覆うべくもないが、作家の創作活動そのもののなかに批評が濃密に存在し、これなしには創作活動の存立自体が揺らいでくるという事実はとかく見落とされがちである。出版者にも、商業主義に毒されることが多いとはいえ、独自の批評意識があり、世評、ベストセラー、コンクールなど多数決の論理もまた個人の批評意識を集約する。
[小林路易]
批評の基本
批評の基本は判断であり、判断は事実判断から価値判断へ、換言すれば真偽・黒白の判断から優劣・長短の判断へと向かう。前者に傾くと「客観批評」となり、後者に傾くと「主観批評」となるが、主観批評は傾きすぎれば独断となる。客観批評と似て非なるものに「裁断批評」があり、これは外的な基準を設け、それに照らして判断する批評方法である。現象界は理想界の映像であり、その現象界をさらに模写する芸術は真実から三重に遠ざかっているとしたプラトンのイデア論哲学に基づく芸術排斥論はその好例である。これに反して「印象批評」は外的な尺度を用意せず、個人的・直覚的な好悪を判断基準とする。アナトール・フランスは「人はけっして自分自身から出ることができない」といい、裁断批評の存在意義そのものを否定した。
[小林路易]
批評の位置
いずれにせよ価値の判断は究極において個人的・相対的であり、よりよきものへの努力が払われているか、よりよきものと比較してどこが足りないか、そしてそのよりよきものとは何かを不断に模索するという高度の精神的葛藤(かっとう)を通して行われる。為政者も一般大衆も、作家も批評家も読者も、つねに政治的・倫理的・宗教的なセクト主義に偏し、人間本来の共通基盤から乖離(かいり)する危険にさらされている。その自浄作用としての批評は、伝統に流されず、時流におもねらず、固定観念や常識を超越したところに位置しなければならない。過去のあらゆる意味での優れた批評の実行者は、多かれ少なかれアウトサイダー(社会からの孤立者)的な要素をもち、例外なく優れたモラリスト(人間の原点を見据える哲学者)であった。
[小林路易]
©Shogakukan Inc.
新批評
しんひひょう
New Criticism 英語
Nouvelle critique フランス語
文学評論の分野で、19世紀的な作品観を否認した「新しい批評」とよばれる立場であり、アメリカとフランス語圏で別個に展開した。
[相沢照明]
アメリカ
アメリカの新批評は、1930年代から50年代にかけて評論界の主流を占めた。名称の由来は、ランサムの著書『新批評』New Criticism(1941)にある。代表者は、ランサムと彼の弟子のテート、ウォーレン、ブルックスの4人と、ブラックマー、バーク、ウィンターズYvor Winters(1900―68)、ウィムザットWilliam Kurtz Wimsatt Jr.(1907―75)らであり、彼らの拠点は、『フュージティブ』The Fugitive(1922~25)、『サザンレビュー』The Southern Review(1935~42)、『ケニオンレビュー』The Kenyon Review(1939~70)などの雑誌である。新批評家は、印象批評や作家の伝記的研究を退け、文学を文学として研究することを目ざし、イメジャリimagery、隠喩(いんゆ)、象徴などを微視的に分析して、対立する局所的テクスチュアを含むストラクチュア(ランサム)、エクステンション(外延)とインテンション(内包)からなる全体的テンション(テート)、アイロニーやパラドックス(ウォーレン、ブルックス)などの詩作品に特有な有機的構造を重視した。それらの主張の基底には、科学的世界とは異なる詩的世界の独自性を主張しようとする姿勢が存在している。このような立場の先駆として、「詩をまず詩として考える」べきであるとしたT・S・エリオット、意味に重層的構造を認めたリチャーズ、詩的言語の多義性を分析したエンプソンがおり、新批評に多大な影響を与えたとされている。なお、ブルックスとウォーレンによる啓蒙(けいもう)書『詩の理解』(1938)、『小説の理解』(1943)、『現代修辞学』(1949)は、新批評の方法論を広めるのに大いに貢献した。
[相沢照明]
フランス語圏
内在批評を旨とするフランス語圏の新批評は、20世紀中葉に台頭し、解釈の自由と批評の創造性を主張した。とくに、バルトが歴史的考証を抜きにしてラシーヌを論じたことに対し、アカデミックなラシーヌ学の大御所ピカールが『新しい批評か、新しい詐欺か』Nouvelle critique ou nouvelle imposture(1965)によって攻撃を加えたことにより、新批評は文壇の関心をひきつけた。しかし、「ヌーベル・クリティック」という呼び名は、共通の理念のもとに形成された特定の流派をさすわけではなく、言語論、マルクス主義、構造主義、精神分析、現象学などの成果を取り入れた多彩な批評活動の総称にすぎない。通常ヌーベル・クリティックとみなされる批評家には、先駆者としてのバシュラール、レーモンMarcel Raymond(1897―1981)、ベガンをはじめ、モーロンCharles Mauron(1899―1966)、ゴルトマンLucien Goldmann(1913―70)らがいるが、もっとも中心的な存在は、プーレに代表される新しいジュネーブ学派と、構造主義的立場の旗手バルトである。前者は、作品の深奥に現れる作家の内的意識に分け入ることにより、作家の時間、空間意識(プーレ)、純粋な感覚的イマージュ(リシャールJean-Pierre Richard、1922― )、変身と装飾のテーマ(ルーセJean Rousset、1910― )、作家の意識に現れる他者の視線(スタロビンスキーJean Starobinski、1920― )などの、隠された根源的テーマを抽出したが、それらは、テーマ批評の名称のもとに、ヌーベル・クリティックの重要な側面を示している。他方、バルトは、書くことの意味や批評のあり方を問い直すことから出発して、記号論的方法を文化現象に適用することに関心を移していったが、ジュネットG〓rard Genette(1930― )やクリステバらは言語論の領域で、活発な批評活動を行っている。
[相沢照明]
日本語教育批評について、批評とはどのような語か、考えてみる。
批評について、翻訳語であるという。もとの意味するところは、クリティークcritiqueである。その語源はギリシア語のクリノkrinōに由来する。判断する、裁く、となっている。平凡社百科事典の引用する哲学事典の説明では、次のようである。A.ラランドの《哲学辞典》によれば、批評とは、ある一つの原理または事実を評価するために検討することである、と見える。その精神についても言う。批評的精神とは、いかなる命題も、みずからその命題の価値を検討することなしにはけっして受け入れない精神である、とある。この自らの命題の価値を検討することなしに、というのが難しいだろう。それは内的批評critique interneにあり、問題の命題の起源について行われるときには外的批評critique externeという。翻訳語は、批判をも使う。批判は哲学の議論というイメージが強く、批評は論文というエッセイに使われる。論文を批判する、文芸を批評する、などと言うので、この語の用い方が広がって、真偽、善悪、是非の内容を詰める批判の語が正しさを追求するあまり欠点や短所の不足を言うことのように捉えられている。
批評はやはり議論文をもって行われるところ、小論文のような語を生み出してさまざまに言葉を作っている。辞書の載せる語句から、批評に近い言葉として、芸術批評、批評家、批評眼、裁断批評、本文批評、文芸批評、文明批評、外在批評、内在批評、主観的批評など、批判で置き換えて、文献学にある本文批判ぐらいのことが妥当する。批判の語が哲学でもっぱら議論の対象とともにあって、その概念で英語、フランス語に道具となって、文章に表された経緯が日本語の翻訳語としてのクリティークである。critique という単語は、ギリシャ語の kritiki 、κριτική,何らかのモノの価値についての、洞察ある判断の語に由来すると説明するが、英語から日本語になった、クリティック、criticは、 批評家、批判者となり、いっぽうで、クリティシズム、criticismが批評、批判とするようである。この語を難しくするのはまた、このように英語由来の用い方の向こう側にフランス語での用いられ方があって、そこでの同じようなものが違って見えてしまう日本語である。
ドイツ語から、フランス語、そして英語とわたるだけでなく様々その受け入れ方によってわかれ、次のような分類が行われる。
フリー百科事典から摘記する。
>
哲学における「批判」 [編集]
哲学の分野ではしばしば「批判」ともいう。イマヌエル・カントが「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」という意味でKritik(独語)を用いた[1]。この文脈ではKritikは「批評」ではなく「批判」となる。しかし、Kritik(独)もcritique(英)も、それ自体は、日本語における「批評」と「批判」、どちらの意味合いも含んでいる。
文芸・美術・文化における「批評」 [編集]
critique は、美学あるいは文学理論においても用いられる。そこでの critique とは、主に詩、絵画、遊びなどの「作品批評」を意味する。この場合、「批評」とはより幅を広く取って、「ある作品の出来・品質・良し悪し(quality )についてのあらゆる議論」を指すことになる。文芸批評には批評理論というのもある。
社会思想における批判理論 [編集]
政治理論の文脈においては、カール・マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハーバーマスなど)。
さらに今日の哲学におけるcritique(批判・批評) という単語は「概念(concept)・理論(theory)・研究の方法論や原理(discipline)、あるいはそれらを用いた具体的な分析手段(approach)などについての諸条件や因果関係に対して、体系的な問いを立てること」「またそうした概念・理論・方法論・分析手段の限界や妥当性を理解しようと努めること」というような意味に拡張されている。
なお、このような現代的意味におけるcritical(批判的・批評的)なアプローチと対立する思考法を「ドグマ的アプローチ」、すなわち「独善的に決められた法則を、決して疑わないような思考法」と呼ぶ。
社会思想における批判理論 [編集]
政治理論の文脈においては、カール・マルクスの唯物論を継承したフランクフルト学派の「批判理論」(critical theory)において、「批判」という意味合いでの critique の継承が見られる(ユルゲン・ハーバーマスなど)。また、ミシェル・フーコーやアラスデア・マッキンタイアの権力批判も、そのやり方は著しく異なるものの、社会批判(social critique)の文脈にある。
批判的思考 [編集]
心理学、論理学、教育学などで批判的思考(クリティカル・シンキング)という概念があり、批判を用いた思考によって誤った推論や論理展開を避けるための解決などとしても研究されている。
にぎやかなことである。
ここに批評用語としての、言説が使われるようになって、それは、仏語discours ディスクール、英語のdiscourse、の訳語として成立した。
discoursには、1960年代以降、ミシェル・フーコーの言う、特定の社会的・文化的な集団・諸関係に強く結びつき、それによって規定される、言語表現、ものの言い方、というようなことが加わる。
さらには、文体、書く行為、かかれたもの、書き言葉の4つの意味を併せ持つ、英語文献におけるwritingになる仏語での、カタカナ語エクリチュールが使用されている。
(書きかけです)
日本国語大辞典
がいざい‐ひひょう[グヮイザイヒヒャウ] 【外在批評】
〔名〕
(1)文芸批評の様式の一つ。作品内部の構造、技巧、作者の心情など、作品内部の分析、批評が目的でなく、作品を社会的存在と見て、その階級意識、社会的、歴史的意義などを批評することを目的とするもので、社会主義的文芸理論に基づいて作品をその外部から批評する方法。大正末期頃から唱えられ始めた。〓内在批評。
*外在的批評への一寄与〔1926〕〈青野季吉〉一「私はかつて文芸にたいする外在批評の必要を提唱したことがある。その意味は、これまでのやうに文芸を単に文芸だけの範囲に限って、その内部からの内在的批評では、当の文芸の持つところの、社会的、歴史的、したがって人類的意義が決定されない、一度びその内在的価値を検討して後には、その外に在って、それを広汎な社会的見地から批評しなければならない」
(2)一般的に、一定の客観的な原理や基準に基づいて、作品や学説に批評を加えること。
ないざい‐ひひょう[:ヒヒャウ] 【内在批評】
〔名〕
(1)文芸批評の様式の一つ。個々の文学作品を、その社会的、歴史的意義などを考慮に入れず、その形式や技巧、また、内容の説明や鑑賞をするにとどまる批評。大正末期頃から唱えられ始めた。〓外在批評。
*外在的批評への一寄与〔1926〕〈青野季吉〉「文芸の外在批評も、その初段的準備として当然に内在批評を持たなければならない」
(2)ある学説・思想などを、その前提や枠組となるものを一応認めた上で、議論の内部に立ち入って批評すること。また、その批評。
ニュー‐クリティシズム
〔名〕
({英}New Criticism )
一九三〇年代に米国で確立した文芸批評の方法。作家の伝記や時代背景についての知識を重視せず、作品を自律的なものとして、その構造・意味・象徴性などを解明しようとするもの。新批評
プログレッシブ和英中辞典
[コラム]文学・批評
⇒《現代文学批評の種類》;⇒《文学作品・テクスト》;⇒《小説》;⇒《詩》;⇒《劇》;⇒《文学の種類》
《現代文学批評の種類》
解釈学的批評|hermeneutical criticism
構造主義批評|structuralism
新批評|New Criticism
新歴史主義批評|new historicism
神話批評|myth criticism
精神分析批評|psychoanalytical criticism
多元文化主義|multiculturalism
脱構築批評|deconstructionist criticism; deconstruction
テーマ批評,テーマ論|thematics; thematique
読者反応批評|reader-response criticism
批評|criticism
フェミニズム批評|feminist criticism
プラハ学派批評|Prague School criticism
ポスト構造主義批評|poststructuralist criticism
マルクス主義批評|Marxist criticism
ロシア・フォルマリズム|Russian formalism
《文学作品・テクスト》
文学作品,テクスト|a literary work; a literary text
敵役|the antagonist
結末|the ending
作品の構造|the textual structure
作品の背景|the textual background
作品名,題名|the title
主人公|the protagonist; 〔男性〕the hero; 〔女性〕the heroine [hérouin]
主題,テーマ|the theme; the subject
登場人物|the characters
副題|the subtitle
プロット|the plot
物語|the story
《小説》
小説|a novel; 〔集合的〕fiction, the novel
空想科学小説|a 「science fiction [sci-fi] novel
詩小説|a verse novel
私小説|an “I” novel; an Ich-Roman (▼ドイツ語)
自伝的小説|an autobiographical novel
推理小説|a detective novel
短編小説|a short story
中編小説|a novella
長編小説|a novel
ノンフィクション小説|a nonfiction novel
冒険小説|an adventure novel
歴史小説|a historical novel
恋愛小説|a love story
《詩》
詩|a poem; 〔集合的〕poetry, verse
自由詩|free verse
叙事詩|an epic poem
叙情詩|a lyric
短詩|a short poem
長編詩|a long poem
《劇》
劇|a play; (a) drama
喜劇|(a) comedy
韻文劇,詩劇|a verse drama
現代劇|a modern play
古典劇|a classical play [drama]
散文劇|a prose drama
史劇,歴史劇|a historical drama
悲劇|(a) tragedy
《文学の種類》
海洋文学|oceanic literature
国民文学|national literature
児童文学|juvenile [children's] literature
フェミニスト文学|feminist literature
デジタル大辞泉
じ‐ひょう 〔‐ヒヤウ〕 【時評】
その時点での世間のいろいろな出来事について行う評論。
本国語大辞典
じ‐ひょう[:ヒャウ] 【時評】
〔名〕
(1)当時の世間の評判。
(2)世の中に起こっているさまざまな出来事についてする評論。
日本大百科全書(ニッポニカ)
批評
ひひょう
criticism 英語
Kritik ドイツ語
critique フランス語
事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。狭義に芸術批評、ことに文芸批評をさすことも多いが、広義には政治、経済、科学、スポーツから日常生活に至るまで、人間営為のすべてを対象とする。その文章化されたものを評論という。真の批評の根底にあるものは批評意識ないしは批評精神であり、この意味での批評は批評家の専有物ではない。豊かな文化が築き上げられるためには、時代と場所を問わず公衆の健全な批評意識が不可欠であり、古代においてアテネの市民が実践したところのものであった。批評精神の鈍化・喪失が文明の滅亡につながり、新たな批評精神が新文明の勃興(ぼっこう)につながった例はあまりにも多い。また批評は、形を変えて、人間の精神活動のあらゆる局面に伏在する。バルザック、チェーホフ、志賀直哉(なおや)を含め、東西の多くの作家が批評家を作家の寄生虫ときめつけて批評家無用論を唱え、一方、批評家の作家に対する劣等感もまた覆うべくもないが、作家の創作活動そのもののなかに批評が濃密に存在し、これなしには創作活動の存立自体が揺らいでくるという事実はとかく見落とされがちである。出版者にも、商業主義に毒されることが多いとはいえ、独自の批評意識があり、世評、ベストセラー、コンクールなど多数決の論理もまた個人の批評意識を集約する。
[小林路易]
批評の基本
批評の基本は判断であり、判断は事実判断から価値判断へ、換言すれば真偽・黒白の判断から優劣・長短の判断へと向かう。前者に傾くと「客観批評」となり、後者に傾くと「主観批評」となるが、主観批評は傾きすぎれば独断となる。客観批評と似て非なるものに「裁断批評」があり、これは外的な基準を設け、それに照らして判断する批評方法である。現象界は理想界の映像であり、その現象界をさらに模写する芸術は真実から三重に遠ざかっているとしたプラトンのイデア論哲学に基づく芸術排斥論はその好例である。これに反して「印象批評」は外的な尺度を用意せず、個人的・直覚的な好悪を判断基準とする。アナトール・フランスは「人はけっして自分自身から出ることができない」といい、裁断批評の存在意義そのものを否定した。
[小林路易]
批評の位置
いずれにせよ価値の判断は究極において個人的・相対的であり、よりよきものへの努力が払われているか、よりよきものと比較してどこが足りないか、そしてそのよりよきものとは何かを不断に模索するという高度の精神的葛藤(かっとう)を通して行われる。為政者も一般大衆も、作家も批評家も読者も、つねに政治的・倫理的・宗教的なセクト主義に偏し、人間本来の共通基盤から乖離(かいり)する危険にさらされている。その自浄作用としての批評は、伝統に流されず、時流におもねらず、固定観念や常識を超越したところに位置しなければならない。過去のあらゆる意味での優れた批評の実行者は、多かれ少なかれアウトサイダー(社会からの孤立者)的な要素をもち、例外なく優れたモラリスト(人間の原点を見据える哲学者)であった。
[小林路易]
©Shogakukan Inc.
新批評
しんひひょう
New Criticism 英語
Nouvelle critique フランス語
文学評論の分野で、19世紀的な作品観を否認した「新しい批評」とよばれる立場であり、アメリカとフランス語圏で別個に展開した。
[相沢照明]
アメリカ
アメリカの新批評は、1930年代から50年代にかけて評論界の主流を占めた。名称の由来は、ランサムの著書『新批評』New Criticism(1941)にある。代表者は、ランサムと彼の弟子のテート、ウォーレン、ブルックスの4人と、ブラックマー、バーク、ウィンターズYvor Winters(1900―68)、ウィムザットWilliam Kurtz Wimsatt Jr.(1907―75)らであり、彼らの拠点は、『フュージティブ』The Fugitive(1922~25)、『サザンレビュー』The Southern Review(1935~42)、『ケニオンレビュー』The Kenyon Review(1939~70)などの雑誌である。新批評家は、印象批評や作家の伝記的研究を退け、文学を文学として研究することを目ざし、イメジャリimagery、隠喩(いんゆ)、象徴などを微視的に分析して、対立する局所的テクスチュアを含むストラクチュア(ランサム)、エクステンション(外延)とインテンション(内包)からなる全体的テンション(テート)、アイロニーやパラドックス(ウォーレン、ブルックス)などの詩作品に特有な有機的構造を重視した。それらの主張の基底には、科学的世界とは異なる詩的世界の独自性を主張しようとする姿勢が存在している。このような立場の先駆として、「詩をまず詩として考える」べきであるとしたT・S・エリオット、意味に重層的構造を認めたリチャーズ、詩的言語の多義性を分析したエンプソンがおり、新批評に多大な影響を与えたとされている。なお、ブルックスとウォーレンによる啓蒙(けいもう)書『詩の理解』(1938)、『小説の理解』(1943)、『現代修辞学』(1949)は、新批評の方法論を広めるのに大いに貢献した。
[相沢照明]
フランス語圏
内在批評を旨とするフランス語圏の新批評は、20世紀中葉に台頭し、解釈の自由と批評の創造性を主張した。とくに、バルトが歴史的考証を抜きにしてラシーヌを論じたことに対し、アカデミックなラシーヌ学の大御所ピカールが『新しい批評か、新しい詐欺か』Nouvelle critique ou nouvelle imposture(1965)によって攻撃を加えたことにより、新批評は文壇の関心をひきつけた。しかし、「ヌーベル・クリティック」という呼び名は、共通の理念のもとに形成された特定の流派をさすわけではなく、言語論、マルクス主義、構造主義、精神分析、現象学などの成果を取り入れた多彩な批評活動の総称にすぎない。通常ヌーベル・クリティックとみなされる批評家には、先駆者としてのバシュラール、レーモンMarcel Raymond(1897―1981)、ベガンをはじめ、モーロンCharles Mauron(1899―1966)、ゴルトマンLucien Goldmann(1913―70)らがいるが、もっとも中心的な存在は、プーレに代表される新しいジュネーブ学派と、構造主義的立場の旗手バルトである。前者は、作品の深奥に現れる作家の内的意識に分け入ることにより、作家の時間、空間意識(プーレ)、純粋な感覚的イマージュ(リシャールJean-Pierre Richard、1922― )、変身と装飾のテーマ(ルーセJean Rousset、1910― )、作家の意識に現れる他者の視線(スタロビンスキーJean Starobinski、1920― )などの、隠された根源的テーマを抽出したが、それらは、テーマ批評の名称のもとに、ヌーベル・クリティックの重要な側面を示している。他方、バルトは、書くことの意味や批評のあり方を問い直すことから出発して、記号論的方法を文化現象に適用することに関心を移していったが、ジュネットG〓rard Genette(1930― )やクリステバらは言語論の領域で、活発な批評活動を行っている。
[相沢照明]