いずれも知られているようで、その捉えどころは曖昧なことである。
曖昧というのは、ともすれば、両義性を併せ持つことにある。
そのふたつのとらえ方を両義というのであるが、真逆になってしまうのである。
演習という語を辞書で見てみれば、ひとつには練習のこととあるし、ひとつには訓練とある。
練習がなれることであるなら、訓練もそう思うかもしれない、しかしよく考えると、訓練は実践なのである。
慣れるためにやっているのではない。
そこに加えて、ゼミナール、ゼミとしての解説がある。
ゼミは練習なのか、訓練なのか、授業形式だとあるのだから、それは何をするのだろう。
百科事典の説明を借りるならば、大学の教育方法としての歴史がありそうである。
さてその用法を見るなら、予行演習、消防演習、国文学演習などと、どれもその語義には違いがあり、おなじ演習でもその捉えかたが異なる。
まして研究者と学生の自主的な研究に基づく真理と知識の獲得となれば、その演習は真理に到達するという究極の目的を持つ。
そこに言うところの、基礎である。
検索をかけて、基礎演習とすると、次がヒットした。
どこの大学も取り入れている様子がわかる。
分かりやすく見れば、大学の導入教育となる。
基礎と名がつく、この名称は、学問、分野の何についての導入であろう。
基礎は、基礎工事と使うときの基礎であるのか、基礎ができていないというときの基本のことを指すのか。
いずれもよりどころにはなるが、建築物の基礎となれば、よほどの設計図のもとに成り立つことであるし、基本ともなれば、その広がりはない。
コトバンク
>[用法]基礎・基本――「中国語を基礎(基本)から勉強する」「生活習慣の基礎(基本)を身につける」などの場合は相通じて用いられる。「社会繁栄の基礎」「会社の基礎を固める」などは「基本」では言い換えられない。◇「基本」は物事の根本、よりどころとなるものをいう。「基本法」は他の法律のよりどころとなる憲法などをさす。「法律の基礎」というと、法を支える考え方・思想の意味が強い。
思わず、基礎と基本の違いをとらえるようなことであるが、それも、教育用語としての解説があったり、基礎語彙、基本語彙とあったりする。
ウイキペディア
>かつては、「基礎」と「基本」を語義的に区別する論議が相対的に盛んであったため、「基礎・基本」と連句で教育用語に用いられるようになったのは、昭和51年12月の教育課程審議会の答申においてであったと思われる。答申では、「基礎・基本」の特質は「国民として必要とされる内容」と規定され、教育課程の編成方針は、小・中・高の教育を一貫したものととらえ、小・中学校については基礎的・基本的な内容を共通に履修させ、高校では個人の能力および適性等に応じて適切な内容を選択履修させるという考え方が読み取れる。
ミニマム・エッセンシャルズ
ミニマムエッセンシャルズとは、教育用語で最低限教えるべき教材のこと。20世紀初頭にエッセンシャリスト(アメリカの教育思想家の一派で、文化遺産の伝導を教育の主要機能と考える学派)によって、教育課程の近代化が試みられた際に、新しい社会に対応する基本的教育内容の抽出を始めたことがその由来である。
検索でヒットした、最初のところにあった。
基礎演習科目 - 横浜国立大学 経済学部
www.econ.ynu.ac.jp › カリキュラム › WEBシラバス
基礎演習」は、大学1年生のための導入教育として開講される授業です。特に、この授業は、大学1年となったばかりの学生に、大学における学習で必要となる基礎的な技能や能力を身につけてもらうことを目的としています。いいかえれば、基礎演習は大学入学 ...
基礎演習|国際文化学部|龍谷大学(りゅうこくだいがく)
www.world.ryukoku.ac.jp › ... › 国際文化学部 › 在学生のみなさんへ
2014年度基礎演習A受講者へ(夏期休暇中の課題について). これから夏休みを迎えます。基礎演習Aで学習した大学生として習得すべき学びのスキルを再度思い出し、身につけるためにこの課題を課します。 夏期休暇課題のうち、課題(1)のフィールド調査 ...
学び方の学び - 基礎演習 - 講義紹介 - 前期課程 - 東大の学び ...
www.ut-life.net/study/zenki/lecture/kisoen/
2006/10/24 - 基礎演習. 今回の講義紹介は、文系の1年生を対象として夏学期に行われている必修科目「基礎演習」を紹介する。この科目は、学生が25人程度のグループに分かれて、教員から与えられたテーマに基づいて課題を設定し、課題についての ...
必修基礎演習 | 早稲田大学 文化構想学部
flas.waseda.jp/cms/campus_guide/.../required_basic_semester_seminars/
必修基礎演習」は人文科学を学ぶ上で不可欠な「読む」「書く」「調べる」のスタディスキルを徹底して身に付けるための新入生を対象とした必修科目です。論文の読み方とレポートの書き方を中心に、文献の調べ方や論理的な思考方法などを学ぶ科目です。
デジタル大辞泉の解説
えん‐しゅう〔‐シフ〕【演習】
[名](スル)
1 慣れるために繰り返し習うこと。練習。「―問題」
2 実戦や非常時を想定して行う訓練。「実弾―」「消防―」
3 大学・大学院などで、教授の指導のもと学生が研究・発表・討議を行うことを主眼とした、少人数の授業の形式。ゼミナール。ゼミ。
えんしゅう【演習】
( 名 ) スル
①物事に慣れるため,繰り返して習うこと。練習。けいこ。 「運動会の予行-」
②軍隊などで,実戦に備えて同じような状況を想定して行われる訓練。また,その訓練を行うこと。 「陸海合同-」
③ゼミナール。 「国文学-」
世界大百科事典内の演習の言及
【ゼミナール】より
>
…大学における教育形態として重要な位置を占め,教師が一方的に研究成果を教授する講義形式と対照をなす。ラテン語のseminarium(〈苗床〉の意)を語源とし,英語ではセミナー,日本語では演習と訳される。ヨーロッパですでに16世紀に,僧職者の養成などでこの種の教育が始められたといわれるが,大学の教育法としては,ドイツの言語学者ゲスナーJohann Gesnerがゲッティンゲン大学で創始したとされる。…
ゼミナールを、その始まりで説明する文章には、次のように書いている。
銀杏並木 vol.420 page 7/24 - 熊本学園大学
www.kumagaku.ac.jp/ichonamiki/magazine/420/HTML/index7.html
>約280年前のドイツで始まった近代大学教育「ゼミ」の起こりは、ヨハン・マティアス・ゲスナー(1691-1761)が、1737年にドイツに創設されたゲッティンゲン大学でゼミナール形式の講義を開始したことに端を発する。そのゲッティンゲン大学で学んだヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)が、1810年にベルリンに新設されたベルリン大学のグランド・デザインを設計する中、国家からの「学問の自由」の標語の下、「研究者と学生の自主的な研究に基づく真理と知識の獲得」を目的として、徹底的な大学教育の組み直しを行ったことが、近代大学教育のはじまりとなった。 そして日本では、ベルリン大学などドイツ留学から帰国した高根義人(1867-1930)らを中心としたグループが1900年(明治33年)、京都帝国大学法科大学にて「研究を通じての理論」と称したゼミナール形式の講義実験を敢行したが、高等文官試験における卒業生の成績不振などを理由に、1907年(明治40年)に挫折。その後、1909年?1913年まで東京帝国大学に在籍したドイツ人経済学者のハインリッヒ・ウェンティヒ(1870-1943)が、1910年にゼミナール形式講義を導入。これが現在のゼミスタイルに繋がる講義形式となる。
演習それ自体は、基礎でできる、するようなことではない。
まなびがある、なれがある、学び習うことをしてのちに考えることがあるのであるから、そのプロセスを経ることなくして、基礎にも、演習にもならない。
何とも不思議なことである。
大学基礎教育とか、大学入門教育とか、教授内容から押して学生となる基本心得とか、なんとかである。
>
ベルリン大学などドイツ留学から帰国した高根義人(1867-1930)
1900年(明治33年)、京都帝国大学法科大学にて「研究を通じての理論」と称したゼミナール形式の講義実験を敢行
卒業生の成績不振などを理由に、1907年(明治40年)に挫折
1909年?1913年まで東京帝国大学に在籍したドイツ人経済学者のハインリッヒ・ウェンティヒ(1870-1943)
1910年にゼミナール形式講義を導入
現在のゼミスタイルに繋がる講義形式
曖昧というのは、ともすれば、両義性を併せ持つことにある。
そのふたつのとらえ方を両義というのであるが、真逆になってしまうのである。
演習という語を辞書で見てみれば、ひとつには練習のこととあるし、ひとつには訓練とある。
練習がなれることであるなら、訓練もそう思うかもしれない、しかしよく考えると、訓練は実践なのである。
慣れるためにやっているのではない。
そこに加えて、ゼミナール、ゼミとしての解説がある。
ゼミは練習なのか、訓練なのか、授業形式だとあるのだから、それは何をするのだろう。
百科事典の説明を借りるならば、大学の教育方法としての歴史がありそうである。
さてその用法を見るなら、予行演習、消防演習、国文学演習などと、どれもその語義には違いがあり、おなじ演習でもその捉えかたが異なる。
まして研究者と学生の自主的な研究に基づく真理と知識の獲得となれば、その演習は真理に到達するという究極の目的を持つ。
そこに言うところの、基礎である。
検索をかけて、基礎演習とすると、次がヒットした。
どこの大学も取り入れている様子がわかる。
分かりやすく見れば、大学の導入教育となる。
基礎と名がつく、この名称は、学問、分野の何についての導入であろう。
基礎は、基礎工事と使うときの基礎であるのか、基礎ができていないというときの基本のことを指すのか。
いずれもよりどころにはなるが、建築物の基礎となれば、よほどの設計図のもとに成り立つことであるし、基本ともなれば、その広がりはない。
コトバンク
>[用法]基礎・基本――「中国語を基礎(基本)から勉強する」「生活習慣の基礎(基本)を身につける」などの場合は相通じて用いられる。「社会繁栄の基礎」「会社の基礎を固める」などは「基本」では言い換えられない。◇「基本」は物事の根本、よりどころとなるものをいう。「基本法」は他の法律のよりどころとなる憲法などをさす。「法律の基礎」というと、法を支える考え方・思想の意味が強い。
思わず、基礎と基本の違いをとらえるようなことであるが、それも、教育用語としての解説があったり、基礎語彙、基本語彙とあったりする。
ウイキペディア
>かつては、「基礎」と「基本」を語義的に区別する論議が相対的に盛んであったため、「基礎・基本」と連句で教育用語に用いられるようになったのは、昭和51年12月の教育課程審議会の答申においてであったと思われる。答申では、「基礎・基本」の特質は「国民として必要とされる内容」と規定され、教育課程の編成方針は、小・中・高の教育を一貫したものととらえ、小・中学校については基礎的・基本的な内容を共通に履修させ、高校では個人の能力および適性等に応じて適切な内容を選択履修させるという考え方が読み取れる。
ミニマム・エッセンシャルズ
ミニマムエッセンシャルズとは、教育用語で最低限教えるべき教材のこと。20世紀初頭にエッセンシャリスト(アメリカの教育思想家の一派で、文化遺産の伝導を教育の主要機能と考える学派)によって、教育課程の近代化が試みられた際に、新しい社会に対応する基本的教育内容の抽出を始めたことがその由来である。
検索でヒットした、最初のところにあった。
基礎演習科目 - 横浜国立大学 経済学部
www.econ.ynu.ac.jp › カリキュラム › WEBシラバス
基礎演習」は、大学1年生のための導入教育として開講される授業です。特に、この授業は、大学1年となったばかりの学生に、大学における学習で必要となる基礎的な技能や能力を身につけてもらうことを目的としています。いいかえれば、基礎演習は大学入学 ...
基礎演習|国際文化学部|龍谷大学(りゅうこくだいがく)
www.world.ryukoku.ac.jp › ... › 国際文化学部 › 在学生のみなさんへ
2014年度基礎演習A受講者へ(夏期休暇中の課題について). これから夏休みを迎えます。基礎演習Aで学習した大学生として習得すべき学びのスキルを再度思い出し、身につけるためにこの課題を課します。 夏期休暇課題のうち、課題(1)のフィールド調査 ...
学び方の学び - 基礎演習 - 講義紹介 - 前期課程 - 東大の学び ...
www.ut-life.net/study/zenki/lecture/kisoen/
2006/10/24 - 基礎演習. 今回の講義紹介は、文系の1年生を対象として夏学期に行われている必修科目「基礎演習」を紹介する。この科目は、学生が25人程度のグループに分かれて、教員から与えられたテーマに基づいて課題を設定し、課題についての ...
必修基礎演習 | 早稲田大学 文化構想学部
flas.waseda.jp/cms/campus_guide/.../required_basic_semester_seminars/
必修基礎演習」は人文科学を学ぶ上で不可欠な「読む」「書く」「調べる」のスタディスキルを徹底して身に付けるための新入生を対象とした必修科目です。論文の読み方とレポートの書き方を中心に、文献の調べ方や論理的な思考方法などを学ぶ科目です。
デジタル大辞泉の解説
えん‐しゅう〔‐シフ〕【演習】
[名](スル)
1 慣れるために繰り返し習うこと。練習。「―問題」
2 実戦や非常時を想定して行う訓練。「実弾―」「消防―」
3 大学・大学院などで、教授の指導のもと学生が研究・発表・討議を行うことを主眼とした、少人数の授業の形式。ゼミナール。ゼミ。
えんしゅう【演習】
( 名 ) スル
①物事に慣れるため,繰り返して習うこと。練習。けいこ。 「運動会の予行-」
②軍隊などで,実戦に備えて同じような状況を想定して行われる訓練。また,その訓練を行うこと。 「陸海合同-」
③ゼミナール。 「国文学-」
世界大百科事典内の演習の言及
【ゼミナール】より
>
…大学における教育形態として重要な位置を占め,教師が一方的に研究成果を教授する講義形式と対照をなす。ラテン語のseminarium(〈苗床〉の意)を語源とし,英語ではセミナー,日本語では演習と訳される。ヨーロッパですでに16世紀に,僧職者の養成などでこの種の教育が始められたといわれるが,大学の教育法としては,ドイツの言語学者ゲスナーJohann Gesnerがゲッティンゲン大学で創始したとされる。…
ゼミナールを、その始まりで説明する文章には、次のように書いている。
銀杏並木 vol.420 page 7/24 - 熊本学園大学
www.kumagaku.ac.jp/ichonamiki/magazine/420/HTML/index7.html
>約280年前のドイツで始まった近代大学教育「ゼミ」の起こりは、ヨハン・マティアス・ゲスナー(1691-1761)が、1737年にドイツに創設されたゲッティンゲン大学でゼミナール形式の講義を開始したことに端を発する。そのゲッティンゲン大学で学んだヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)が、1810年にベルリンに新設されたベルリン大学のグランド・デザインを設計する中、国家からの「学問の自由」の標語の下、「研究者と学生の自主的な研究に基づく真理と知識の獲得」を目的として、徹底的な大学教育の組み直しを行ったことが、近代大学教育のはじまりとなった。 そして日本では、ベルリン大学などドイツ留学から帰国した高根義人(1867-1930)らを中心としたグループが1900年(明治33年)、京都帝国大学法科大学にて「研究を通じての理論」と称したゼミナール形式の講義実験を敢行したが、高等文官試験における卒業生の成績不振などを理由に、1907年(明治40年)に挫折。その後、1909年?1913年まで東京帝国大学に在籍したドイツ人経済学者のハインリッヒ・ウェンティヒ(1870-1943)が、1910年にゼミナール形式講義を導入。これが現在のゼミスタイルに繋がる講義形式となる。
演習それ自体は、基礎でできる、するようなことではない。
まなびがある、なれがある、学び習うことをしてのちに考えることがあるのであるから、そのプロセスを経ることなくして、基礎にも、演習にもならない。
何とも不思議なことである。
大学基礎教育とか、大学入門教育とか、教授内容から押して学生となる基本心得とか、なんとかである。
>
ベルリン大学などドイツ留学から帰国した高根義人(1867-1930)
1900年(明治33年)、京都帝国大学法科大学にて「研究を通じての理論」と称したゼミナール形式の講義実験を敢行
卒業生の成績不振などを理由に、1907年(明治40年)に挫折
1909年?1913年まで東京帝国大学に在籍したドイツ人経済学者のハインリッヒ・ウェンティヒ(1870-1943)
1910年にゼミナール形式講義を導入
現在のゼミスタイルに繋がる講義形式