建国の記念という。祝日法のつじつま合わせがある日である。
>日本では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。 2月11日は、日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付である。
というふうに、検索したところに、トップでウイキペディアから引いている。
実際の建国記念日とは何かとなると、第二次世界大戦で無条件降伏をしたわけであるから、国が国でなくなったことを見れば、それをさして戦争による国の興亡が常であるのが歴史である。
大日本帝国が日本国に変わったことを認識すべきである。
そうすると、神話の記念の日はそれまでとし、上記のような解説で人々に受け入れられれば、新たに独立記念日を建国のことと考えればよい。
そうなると、これもまた政権の外交による歴史をみて、日本は周辺地域との関係をどのように保ってきたかを見なければならない。
鎖国をしたこと、朝貢貿易を強いられたこと、徳川時代から大和王朝までさかのぼって外交を絶った時には独立と見るべきか、自立しようとしたとみるか、自立国とは何かを議論することになるだろう。
独立、自立は何に対してかということであるから、自主自由をとらえる。建国神話が語られるなら、自主体制の自由を語るべきであり、自立する国体を見て独立を目指したかどうかを検証するべきである。
>>
280211思い遥か 国、建つの日
2016-02-11 18:48:59 | 日記
祝休日、おだやかな日和だった。
春が近い。
記念日は制定による。
この日に由来があるとすれば、1966年に建国記念の日を定めたことである。
建国記念の日という呼び名で建国記念日ではないとする説明が行われていることがある。
史実に基づく建国ではないと言うのだが、はたしてどうか。
そのうえでの建国されたという事実そのものを記念する日だとする。
謳うのは、建国をしのび、国を愛する心を養う日になる、ということだ。
国旗を掲揚して門口に立てた思い出がある。
竹竿にくくりつけて旗日と称して、祝日になっては日の丸を翻らせた。
父親がそうしたからだろう、よそにも、世間は多くそうしていたようだ。
1950年代ぐらいまでのこと、兄弟で競って旗をあげたのを懐かしむ。
国の祝いをしなくなったのは、一般家庭で、それが消えてしまった、国旗掲揚に異議を唱えた、その教育があったからだろうか。
国の威儀を認めない、国の存立を見ないようにした、その考えは、いきつくところ、なににおよぶことであったのか。
祝休日のそれぞれで、この日だけは国民が祝うことの意義を見出さなくなってしまったのは、どうにもおかしいことである。
ブログのリマインダーが知らせた。ブログはFB、タイムラインのシェアである。このサイトでの文言をコピーしていたのだろう。コンピュータプログラムのメモリー操作だが、このリマインダーに限らず、この仕組みにFBチームがその名を連ねる。アルバムの編集などに手を加えたかのごとくにである。ページの提供を受けてサイトを使用しているのだから、そこに管理者があってサイトの運営をしているということだろう。その状況をとらえるとコンピュ―タの機能の面目躍如として便利なのか、そうなのか。記憶は電子記録となって個人のメモリーに消されることなく残るようなことは人間の頭脳のようでもあるが、それは忘れるということがないのである。ここに書き記すことがリマインダーのように来る日も来る日も、記憶ならぬ電子記録をなぞることである。
建国記念の日である
建国がいつであるかという、国の誕生をわからない、とする議論である
はたして、さまざまとりうる議論からすれば
近代になって帝国憲法をいただいたとき
戦争に終戦があって無条件降伏で敗戦となり
占領時代があってとなると
日本の建国の日にも解釈がある、それを許すことになる
神話による建国 みこと
外交上の宣言のひとつめ 日いづる国
朝廷の成立 大和民族
中央集権 国都
王権の親書 国王のふたり
近代国家の憲法 大日本帝国 立憲君主国
終戦による敗戦 国の体制、象徴制へ
無条件降伏から 国がどうなった
占領時代の独立 日本の憲法
民主国家の誕生はいつだったのか
国、建つる日
http://blog.goo.ne.jp/gooksky/e/a16ad658ac245e46ed1ee6e672c3b697
2015-02-11 11:22:20 | 日本語百科
建国記念日
2014-02-11 14:30:11 | 新日本語百科
>日本では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。 2月11日は、日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付である。
というふうに、検索したところに、トップでウイキペディアから引いている。
実際の建国記念日とは何かとなると、第二次世界大戦で無条件降伏をしたわけであるから、国が国でなくなったことを見れば、それをさして戦争による国の興亡が常であるのが歴史である。
大日本帝国が日本国に変わったことを認識すべきである。
そうすると、神話の記念の日はそれまでとし、上記のような解説で人々に受け入れられれば、新たに独立記念日を建国のことと考えればよい。
そうなると、これもまた政権の外交による歴史をみて、日本は周辺地域との関係をどのように保ってきたかを見なければならない。
鎖国をしたこと、朝貢貿易を強いられたこと、徳川時代から大和王朝までさかのぼって外交を絶った時には独立と見るべきか、自立しようとしたとみるか、自立国とは何かを議論することになるだろう。
独立、自立は何に対してかということであるから、自主自由をとらえる。建国神話が語られるなら、自主体制の自由を語るべきであり、自立する国体を見て独立を目指したかどうかを検証するべきである。
>>
280211思い遥か 国、建つの日
2016-02-11 18:48:59 | 日記
祝休日、おだやかな日和だった。
春が近い。
記念日は制定による。
この日に由来があるとすれば、1966年に建国記念の日を定めたことである。
建国記念の日という呼び名で建国記念日ではないとする説明が行われていることがある。
史実に基づく建国ではないと言うのだが、はたしてどうか。
そのうえでの建国されたという事実そのものを記念する日だとする。
謳うのは、建国をしのび、国を愛する心を養う日になる、ということだ。
国旗を掲揚して門口に立てた思い出がある。
竹竿にくくりつけて旗日と称して、祝日になっては日の丸を翻らせた。
父親がそうしたからだろう、よそにも、世間は多くそうしていたようだ。
1950年代ぐらいまでのこと、兄弟で競って旗をあげたのを懐かしむ。
国の祝いをしなくなったのは、一般家庭で、それが消えてしまった、国旗掲揚に異議を唱えた、その教育があったからだろうか。
国の威儀を認めない、国の存立を見ないようにした、その考えは、いきつくところ、なににおよぶことであったのか。
祝休日のそれぞれで、この日だけは国民が祝うことの意義を見出さなくなってしまったのは、どうにもおかしいことである。
ブログのリマインダーが知らせた。ブログはFB、タイムラインのシェアである。このサイトでの文言をコピーしていたのだろう。コンピュータプログラムのメモリー操作だが、このリマインダーに限らず、この仕組みにFBチームがその名を連ねる。アルバムの編集などに手を加えたかのごとくにである。ページの提供を受けてサイトを使用しているのだから、そこに管理者があってサイトの運営をしているということだろう。その状況をとらえるとコンピュ―タの機能の面目躍如として便利なのか、そうなのか。記憶は電子記録となって個人のメモリーに消されることなく残るようなことは人間の頭脳のようでもあるが、それは忘れるということがないのである。ここに書き記すことがリマインダーのように来る日も来る日も、記憶ならぬ電子記録をなぞることである。
建国記念の日である
建国がいつであるかという、国の誕生をわからない、とする議論である
はたして、さまざまとりうる議論からすれば
近代になって帝国憲法をいただいたとき
戦争に終戦があって無条件降伏で敗戦となり
占領時代があってとなると
日本の建国の日にも解釈がある、それを許すことになる
神話による建国 みこと
外交上の宣言のひとつめ 日いづる国
朝廷の成立 大和民族
中央集権 国都
王権の親書 国王のふたり
近代国家の憲法 大日本帝国 立憲君主国
終戦による敗戦 国の体制、象徴制へ
無条件降伏から 国がどうなった
占領時代の独立 日本の憲法
民主国家の誕生はいつだったのか
国、建つる日
http://blog.goo.ne.jp/gooksky/e/a16ad658ac245e46ed1ee6e672c3b697
2015-02-11 11:22:20 | 日本語百科
建国記念日
2014-02-11 14:30:11 | 新日本語百科