能楽師のブログから、そうかな、と思う一方で、その表わす意味が時代とともに移り変わるのも、人々がそれを知らないのは知識、学習の不足を言うものだろう。しかし、民衆に広められたものの見方考え方が、阿吽の呼吸をわからなくしてしまったのは、その時代の世界観の広がりである。近代になってそれまでの秩序を説明していた軸が大きく転換してくれば、価値基準が変わり、それまでにあった常識が覆されることもある。この鶴のデザインで言えば鶴の2羽の舞に象徴された伝統があることを、どのよにう意識して伝統とするかである。
https://plus.google.com/中所 宜夫
近代という病
>江戸時代までの意匠・文様などでは、例えば向い鶴などの絵柄があると、必ず片方が口を広げ、片方は口を閉じていたのだけれど、明治以降ではそれが崩れて来て、今では両方とも口を閉じているのが殆どなのだそうです。言うまでもなく、口を開いているのが阿型で閉じているのが吽型であり、サンスクリットの最初の文字と最後の文字、則ち森羅万象がそこに包摂されているわけです。江戸以前は、文様を使用する場合その背後にある意味を承知していて、それを託したので、そういう些細な部分も決してゆるがせにしなかったのに対し、明治以降文様は単なるデザインに過ぎなくなり、見た目の面白さだけで細かなところはどうでも良くなってしまったというわけです。
しかもそれは日本だけの話ではないと言うのです。つまり産業革命以降近代が進むにつれその傾向が顕著になるとのこと。文様の意味などと言うものは、要するに呪術であり、近代以前のものであると言うことなのでしょう。
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近代という病
>江戸時代までの意匠・文様などでは、例えば向い鶴などの絵柄があると、必ず片方が口を広げ、片方は口を閉じていたのだけれど、明治以降ではそれが崩れて来て、今では両方とも口を閉じているのが殆どなのだそうです。言うまでもなく、口を開いているのが阿型で閉じているのが吽型であり、サンスクリットの最初の文字と最後の文字、則ち森羅万象がそこに包摂されているわけです。江戸以前は、文様を使用する場合その背後にある意味を承知していて、それを託したので、そういう些細な部分も決してゆるがせにしなかったのに対し、明治以降文様は単なるデザインに過ぎなくなり、見た目の面白さだけで細かなところはどうでも良くなってしまったというわけです。
しかもそれは日本だけの話ではないと言うのです。つまり産業革命以降近代が進むにつれその傾向が顕著になるとのこと。文様の意味などと言うものは、要するに呪術であり、近代以前のものであると言うことなのでしょう。