0124-25 3月並みの陽気となれば春のようなもの、ジャケットもダウンも、マフラーに手袋がいらないとまではいかないが、気軽な気楽なことである。解放されるような、そういう季節になるのか、ところによって鬼祭りの冷え込みには雪がちらつくので、その地域のことではあってもまだ寒さはなくならないと、気を引き締めることになる。暑さ寒さも彼岸まで、お水取りが過ぎれば陽気になるとか、昔からの言い伝えで見るとあと1か月は厳しい気候もあるようである。
ごはん論法は政治家の得意らしい。詭弁に過ぎないのだが、日本語の、ごはん には、ご飯と書くか、御飯とでも書くと、朝御飯などいうのは丁寧な言い回しであってそこに朝食ということとその食物が米であるかという、なんともややこしく言うことが生まれてくる。ふつうには、その丁寧さをもって、それで何を食ってきたかを言わずとも会話にはなる。
テレビ画面のニュース映像でそれを目の当たりにして、確かにその言い回しには含みがあるような受け止め方ができた。わざわざ、そう答えようとしたからなのだろう、事実無根と言い切って答弁を終わる運びになったときには、その事実を知る人のみがそう言えるのだろうと感じられた。この付け加えがそれを証明してしまった、何をか、すでに週刊誌が報道して関与しているいくつかを記録してきた、半年も前のことであるが、それを知らずに業務をしてきたわけでもあるまいに。
ご飯論法
2020年5月20日配信
サラリーマンの会話:
>上司から部下に、「君、元気ないけど、朝ごはん食べてきた?」。
部下、「はい、ちゃんと食べてきました。(朝食はパンだったがそれは言わないで)」と答える。こんなとき、「いいえ、ごはんは食べていません、今朝はパンだったので」と答える部下はいない。
しかしこれと同じことを、近頃の政治家は野党の追求で都合が悪くなると、「(パンを食べてきているのに)いいえ、ごはんは食べてきていません」と答える。
論点をすりかえて平気で嘘をつく。
最近よく聞かれる「ご飯論法」である。
『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~
第79回 https://www.intercom.co.jp/company/column/079.html
>2018年、法政大学の上西教授がツイッター上で使ったことにより広まったのが、この「ご飯論法」である。国会討論の中で、政権側が野党の追求をかわすため、質問の論点をずらしたり、誤魔化したりすることを表した言葉として使われたのが初めである。
その後SNSで拡散され、2018年の流行語大賞のトップ10にも選ばれている。
句と文と
2024-01-24 | 国語と日本語
句と文と、その違いは何か。句論、文論というと、文法論義、表現論議それぞれに、句とは、文とは何かを定義して議論することになる。
しかし文法論には句を文相当に見る考え方があって、それはなぜだろうかと改めておもいをめぐらせることになる。
これを、現代語の文法、日本語になると文法単位としての、別を言うことになる。
句はフレーズ、文はセンテンスのとらえ方になる。ここで表記に用いるカタカナを言うのでは漢字の意味と異なる。
句を文としてみるのは表現の領域で説明できることである。つまり、慣用句、名句などの、また古くから歌句としてとらえてきた。
文句というではないかと、語句もある、とか、その用法を文法的にすると混ぜ返すような見方もできる。
少なくとも、文法に見ても語と文との間で、句として用いるとらえ方がわたしたちにはあるのだろう。
それはどういうものか。