不定に助詞は、いつ、どこ、だれ、なに などの語であるが、いつが、どこが、だれが、なにが、というふうに言えても、*いつは、*どこは、*だれは、*なには、*不定代名詞プラスは、というふうには言えない。それはなぜか。いまの語例を不定代名詞の用法でなく、普通名詞のようにとらえれば、何は何してなんとやら、と言えなくもないので注意がいる。これも、何がなにして、というニュアンスである。それはなぜか、それがなぜかというと、事実の取り出し方に言語作用では、なにが、特定しての言いかた、としか、言うことがないのである。なには、となれば、不定であるから、規定の事実を取り出すことができない。
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ナニハと言えない
2007年04月21日02:24
ゼミがスタートして週末の1日は
いつもどおりに過ぎた、と言っても
ちょっと考えさせられた
コメントをもらっていたら
日本語学は中学の国語授業を延長したイメージだ
そう記すものがあったのでこれはなんだろう
言語学習がそこでとどまっていたということか
率直に感想を書いたようなことにしても
言葉の成長がないのである
それまでのプロセスに12歳から15歳まではあっても
言葉が果たしてきた役割が15歳から19歳まで
なかったことになる
少なくともこの1年には違ったということがあってもよいはずが
日本語学の科目名にも分野としての専門性を感じていない
知っていないということはほかの科目をも推して知るべし
これからしようとか受けようとか、そういうものに、なんらイメージを働かせていない
その話のはじめに、したがって、wa、gaの違いを取り上げてみても
それが言語学習期の初歩であったとして脳内対話ののコミュニケーションができていないことになる
用法の実際から説明を試みてみてもそれが意味することをつかみ得ない
ありきたりの例をとりあげて
私は何某です
私が何某です
雨は降ります
雨が降ります
このそれぞれの情報内容の差を意識的自覚的にとらえることがないとすると
これの何が問題、
となって
*これの何は問題、
とはいわないだろう
と言ってみて
それは言わないのは当然だろう
ということになってしまう
そこまでで発展しない
疑問や興味を持たなければ問題もわからないということだ
さて、これが君にわかるかな
さて、これは君にわかるかな
コメント
2007年04月22日 00:44
僕はわかります
僕がわかります
コメント
p2007年04月22日 10:01
いいぞ、わかっているんだなぁ!
わたしがわかりません
わたしはわかりません
となると、打消しにするだけで、ちがってきちゃう・・・