「すみません」の国 日経プレミアシリーズ 2012年4月9日 榎本博明
自己心理学の専門家による日本コミュニケーションのあり方を解説している。
キーワードにタイトルのすみませんというのがあって他者への思いやりのある言葉だと。
本音と建前の二重構造、これはカタカナでホンネとタテマエ、ホンネが読めないことで察するというわけだ。
コミュニケーションの深層には状況依存社会がある、日本的伝統が根付いている、と。
プロローグには、日本人はいやらしいか、
1章に、蔓延する「すみません」、
2章に、日本語は油断ならない、
3章に、言いたいことは言わない日本、
4章、いやらしさの裏側、
5章に、空気が国を支配する、
6章に、ホンネに敏感な日本、タテマエ主義の欧米、
エピローグは、わかりにくさの深層に。
日本人、日本文化、日本社会と日本の依って来たるところをそうではない文化との比較でアイデンティティを求める内容だ。
いくつも示唆に富む指摘がある。
読んでいてしんどくなったが、わたしたちはどうすれば、この対極からぬけだせるのだろう。
はっきり意見を言わない
あいまいな表現が多すぎる
理屈が通じない
正論では会議の場や組織が動かない
ホンネが読めない
「察する」ことを求められる
日本のコミュニケーションはじつにややこしいと言う著者にいやらしさと奥ゆかしさの構造と指摘されて、
事実や意見をできるだけ正確に伝えようとする欧米人に対して、私たち日本人は、これを伝えたら相手はどんな気持ちになるかを気にして、言うべきことや言い方を調整する。正確さを伴う説明責任よりも、気持ちや関係性を優先するのだ。7ページ
となるのだけれども、そうだろうか、これが本当か、とも思ってしまう。
「すみません」の効用と題して、単なる謝罪という以上の深い意味、相手に対する思いやりがあるそうだ。「すみません」の一言で場の雰囲気を良好に保つ、というのは、なんなんなのでしょう。
相手の気持ちが救われたり、体面が保たれたりするといった、利己的でない効用。
自己心理学の専門家による日本コミュニケーションのあり方を解説している。
キーワードにタイトルのすみませんというのがあって他者への思いやりのある言葉だと。
本音と建前の二重構造、これはカタカナでホンネとタテマエ、ホンネが読めないことで察するというわけだ。
コミュニケーションの深層には状況依存社会がある、日本的伝統が根付いている、と。
プロローグには、日本人はいやらしいか、
1章に、蔓延する「すみません」、
2章に、日本語は油断ならない、
3章に、言いたいことは言わない日本、
4章、いやらしさの裏側、
5章に、空気が国を支配する、
6章に、ホンネに敏感な日本、タテマエ主義の欧米、
エピローグは、わかりにくさの深層に。
日本人、日本文化、日本社会と日本の依って来たるところをそうではない文化との比較でアイデンティティを求める内容だ。
いくつも示唆に富む指摘がある。
読んでいてしんどくなったが、わたしたちはどうすれば、この対極からぬけだせるのだろう。
はっきり意見を言わない
あいまいな表現が多すぎる
理屈が通じない
正論では会議の場や組織が動かない
ホンネが読めない
「察する」ことを求められる
日本のコミュニケーションはじつにややこしいと言う著者にいやらしさと奥ゆかしさの構造と指摘されて、
事実や意見をできるだけ正確に伝えようとする欧米人に対して、私たち日本人は、これを伝えたら相手はどんな気持ちになるかを気にして、言うべきことや言い方を調整する。正確さを伴う説明責任よりも、気持ちや関係性を優先するのだ。7ページ
となるのだけれども、そうだろうか、これが本当か、とも思ってしまう。
「すみません」の効用と題して、単なる謝罪という以上の深い意味、相手に対する思いやりがあるそうだ。「すみません」の一言で場の雰囲気を良好に保つ、というのは、なんなんなのでしょう。
相手の気持ちが救われたり、体面が保たれたりするといった、利己的でない効用。