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漢語文章 240518

2024-05-18 | 木瓜日記




 
陽光が夏の輝きとなった。じりっと焼くような強さである。空の様子は晴れ渡っていたところへ雲が薄く流れ始めた。野球中継を観てすぐにも第2打席の13号ホームランが見えた。翔平大谷デーと、背番号に合わせた、ロサンゼルス市議会は5月17日を制定した。その日のオオタニデーにビッグフライは見ごたえがあった。まだ打席の彼は4月5月の改善をするために試しているのだろうか。メディアは6月のプレーヤだと囃すから。

文と文章について考える。
文は英文法より出でて漢文法にある文章とはなじむことがなかった、近代日本文法理論の翻訳である。
現代語文法の文はいわばセンテンスと理解されたので、文章は文法に設定された単位に分析されることがすくなくなった。

いま英語文と漢語文章とすると、ともに英文、漢文となるので、その言語によるものとして変わるところがないようである。
しかし、英語の文と言うのと、漢語の文章という対比で考えることになると、そこには大きな違いがあることに気づく。
それぞれの言語にある、英語の文と、漢語にある文章というふうに置いてみると、文法単位体をとらえることになる。

英語に文章があり、漢語に文があるというと、それがどのようなとらえ方によるものか、近代漢語の文法に文の単位を議論することはどのように行われるか、時代とともにわかたれてしまう。表現によるパラグラフと、文法分析の影響のもとに句子の単位が相当することになる。

漢文教科目を履修すると、四六駢儷文体という文章法に、漢文の工夫があったことを知る。いまは同じく世界史に用語として学ぶことになる。絶句律詩と漢詩作法を韻文とする伝統に散文の文章法の工夫があったわけである。


https://www.y-history.net/appendix/wh0301-075_1.html
世界史用語解説  四六駢儷体
>六朝時代の漢文の主流となった技巧的な文章。
 六朝文化で流行した、四六駢儷(べんれい)文、または単に「四六文」、「駢文」ともいわれる文体。駢儷とは「ならべる」と言う意味で、4字と6字をもとにして、対句表現を行う文体をいう。初めは詩に用いられていたが、南北朝時代には散文にも取り入れられ、その形式が貴族社会の流行となった。特に南朝では音韻の研究が進んで四声が発見されたため、韻を踏む詩文として盛んになり、華麗な技巧が発達した。この流行は唐代まで続いたが、次第に形式化が進んで陳腐に感じられるようになり、韓愈などの古文復興運動が起こってくる。


四六駢儷体(シロクベンレイタイ)とは? 意味や使い方
コトバンク
https://kotobank.jp › word › 四六駢儷体-81180
世界大百科事典(旧版)内の四六文の言及
>【五山文学】より
…道号を与えられた際,師匠先輩よりその意義を説いた頌を受けるが,これが七言絶句の形をとっている。文章では序,跋,記,銘,説などがあるが,最も注目すべきは,韻文と散文との中間に位する四六文(四六駢儷体(べんれいたい))すなわち駢文という第三の文体が,禅林において特に盛んに作成されたことである。この四六文は対句(ついく)のみでできていて,2句の対句と4句の対句がある。…
【中国文学】より
…どちらも歴史の文学から派生したものであったが,やがて前者が虚構の文学の主流となり,次の時代の〈伝奇〉へとつながる。
[四六文と文学理論の発展]
 《史記》や《漢書》は純粋の散文で書かれたが,辞賦の発展に伴って対句の技巧はますますひろがり,魏・晋以後,対句だけで組み立てた文体が一般化する。これを〈四六文〉(または駢文(べんぶん))とよぶ。…











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