親しい人から、魂の話を聞いた。ユタの口寄せによるという死者への思いである。信じることを問うことになるので、それは心の自由であるから、信仰とはちがって、占いもそうであるが、あたることあたらないことで、傾聴していた。魂は霊魂、魂魄、御霊とあがめるものである。仰ぐ、敬する、畏敬、崇拝、敬愛、慕うと、その対象である。信じる人には見える、信じない人には魂はよらない、とすると、それはなぜかと考えて、死後の魂になるには、その準備でもしておかなければならない。終活の方向を、少し、考え直すか・・・
世界大百科事典 第2版の解説
ゆた
沖縄本島を中心に南西諸島で活躍する民間巫女。同じ部類に宮古島の〈カンカカリヤ〉,八重山群島の〈ムヌチ〉〈ニガイビ〉などがあり,〈トキユタ〉ともいわれる。語源は明らかでないが,よくしゃべることを〈ユタ口〉とか〈ユタユン〉ということから,神ダーリ(神がかり)にはいり,あらぬことをしきりに口走る様相をいい表したともいわれる。ウラル・アルタイ地方のシャーマンのユタカンに由来するとの説もある。ユタは神ダーリの巫病にかかり巫家を歴訪し,ウタキ(御嶽),グスク(城)などの聖地を巡って捜神の遍歴をつづけるうちに巫神の憑依をうけて成巫となる。
日本大百科全書(ニッポニカ)
ゆた
琉球(りゅうきゅう)列島で、職業的な占い者のこと。女性が普通である。神意をうかがい、判じ事をするほか、口寄せをする者もいる。奄美(あまみ)諸島や沖縄諸島ではゆた、宮古列島や八重山(やえやま)列島ではムヌス(物知り)などとよぶ。首里(しゅり)王府の文書では「よた」と書く。現代でも多くの利用者があるが、悩み事の原因の判じは、たいていは祖先祭祀(さいし)や神信仰が足りないという「拝み不足」である。ゆたは、小さいときから異常な宗教的な精神現象を体験した人が、しだいに自覚して宗教体験を積み、占い者になることが多い。最終的には先輩のゆたについて宗教的な経験を積み、独立するらしい。奄美諸島には整った成巫(せいふ)儀礼があるが、明らかに修験道(しゅげんどう)の影響がある。
ゆたの本場といわれる沖縄本島の与勝(よかつ)半島では、ゆたは門中(もんちゅう)の祭祀について占いをする神役で、一般の人の求めに応じての占いもするという。那覇市などでは、マブイワカシ(魂(まぶい)別かせ)といって、四十九日に死者の霊を後生(ごしょう)に送る儀礼があり、ゆたが口寄せをして、死者のことばを伝えるが、地方では親族の老女が行うという。これも門中のゆたが口寄せをしたのが原形かもしれない。首里王府の女官にも「よたのあむしられ」がいた。「あむしられ」は女官の敬称である。この「よた」は、聞得大君(きこえおおぎみ)の行列の先導などをする役であるが、やはり占いをする王府のゆたであろう。1728年に王府は、ゆたの弊害を重視して禁止の布達を出すが、このとき王府の「よた」も廃止したという。その後も、ゆたの発言が民衆を惑わすとして、しばしば社会問題になり取締りが行われたが、ゆたの人気は今日なお衰えていない。[小島瓔]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)