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主語が文に絶対要素でない文法

2015-04-15 | 日本語文法
文法観を考えると、文法の論理のとらえ方になる。
文法を法則とすると、その法を説明する論理がある。

日本語文法はその法をどのように捉えてきたか。
文法観、文法論理、文法規則、そこにある法である。

文法であるから文の法を見る。
そこに論理があればそれを見て法をとらえるので与えられるところのものか、そこにおのずと見いだされるものか。

法を主語と述語とからなる文とするならば、日本語をそれに当てはめる。
ただそのときに文の主語を絶対要素とするか、文には主語がなければならないものとするか、主語がなくてもよいとするか、その文成立を主語の有無におくのが、日本語が取り入れた文法である。

それまでに文に絶対的な主語をおくということが、日本語の論理にはあったのか、なかったのか、文に主語があるとの論理は近代以降のものである。
そこに文法がともに成立するような議論を重ねてきているので、文の法は、すなわち、文には主語述語を見るものであるという前提が作られてきた。

それを仮に絶対主語とするなら、もともとは、アリストテレス以来の伝統的な論理学における述語、katēgoroumenon の対概念である hypokeimenon に由来し、それが中世以降のヨーロッパ伝統文法にとりいれられて成立した概念である、というふうに、解説し、さらには、日本では、江戸時代末期から明治にかけて西欧文法の知識を導入したとき、その文法を手本にして国文法の体系化を進める過程で定着した、と、ウイキペディアに補足する。

さらに、心理、論理、文法とそれぞれに主語を見ようとするが、文法の主語に、代名詞用法を見て主語の必須を見ようとする議論を紹介する。
絶対主語となると、絶対格、能格のそれぞれの主語の役割を見るので、動詞と主格の現象をとらえている。それを踏まえて類型を、

>日本語では動詞が主語の人称や数などを明示しているわけではなく、主語が何であるかを明示する代名詞的な表現は存在しないのが普通である。 

として、同様の言語を挙げている。

>代名詞主語の表現の仕方が英語・イタリア語・Chemehuevi 語・Longgu 語・日本語のどのタイプに属するかを世界 711 の言語について調査した結果は次の通り

代名詞主語の表現の仕方の違い

主語位置の代名詞によって、通常義務的に明示される(英語タイプ) 82
アイスランド語、インドネシア語、オランダ語、デンマーク語、ドイツ語、ハイダ語、フランス語、マダガスカル語、ロシア語など

動詞の接辞によって表現される(イタリア語タイプ)     437
アイヌ語、アムハラ語、アラビア語、アルバニア語、アルメニア語、イテリメン語、エストニア語、カタルーニャ語、カンナダ語、キクユ語、ギリシア語、グアラニー語、グリーンランド語、コーンウォール語、チェコ語、チュクチ語、ナバホ語、ナワトル語、ハンガリー語、パンジャーブ語、バスク語、ブルガリア語、ブルシャスキー語、ブルトン語、ベルベル語など

様々な語に付属する接語で表現される(Chemehuevi 語タイプ) 32
オジブワ語、ブラックフット語、ポーランド語、ムンダリ語など

名詞句の主語とは別の位置に置かれる代名詞で表現される(Longgu 語タイプ) 67
イボ語、グルジア語、コサ語、ソマリ語、ハウサ語、フィジー語など

主語位置の代名詞で表現可能だが、通常明示されない(日本語タイプ) 61
グーグ・イミディル語、官話(中国語)、朝鮮語、ハワイ語、ビルマ語、マラヤーラム語、モンゴル語ハルハ方言、レズギ語など

上記の二つ以上の手段で表現されるが、いずれかが基本的ということがない 32
                                  計 711


>ラテン語もCogito, ergo sum.「我思う故に我あり」というように主語が省略されることがある。日本語には主語がない、という議論と同時に日本語は特殊だとされることも多いが、主語のない言語(Pro-drop language)(Null-subject language)はある。

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