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0731 呼称を日本とすると、日本国、日本人、日本語という、この名称のそれぞれを知るために、日本という語をまずは明らかにすることができるか。にっぽん、にほん、日本と書くとき、いつからそうなったのかと、始まりを考えることになる。歴史の呼称に、やまと、大和、倭と見ることができるのも、それはいつのことかと、定かにすることは困難であるように見える。現代は日本であって、それ以上の呼称はないので、それを知ることからはじまる。
日本をそれとわかるのは日の本と読むことにある。しかし名辞には語としての成立を認めるのであるから、日本と日の本は相いれない。日いづる国が日の本であって、日本となったのは歴史の記録によるところを知る。しかしそれも実は、にほん にっぽん このいづれを発音したかはわからない。ほかの発音であったかもしれないと考えるのは、漢字音に変遷があるからで、渡来する文物の発音にどう見たであろう、聞いたであろう。さらにもっと言えば、これに、やまと の語を当てた表記に、訓詁によれば明らかに、日本をやまとと訓じて謳ったのであるから、にほん にっぽん、ならぬ、やまと が正しいとすることもできる。一方の歴史記録には漢字音で読み下すことであるから、それは漢字発音の学習に応変して、読み分けられていただろう。にちほん じつほん であったか、それを表記した仮名文字を見ることがないので、読み習わしている間に、促音無表記のようにとらえられて、にほん となってきただろう。さすがに漢字の音の変遷を受けた、*じほん とはならない。大陸で、本 は、ピンイン表記で、 běn と発音しているから、日本にその発音影響は見られない現代日本語には見られない。
大日如来 日 にち
日 字音 ニチ・ジツ
本 字音 ホン
人々はこの呼称をどうとらえたか。日本の表記に、やまと と読みを与えていただろうが、にちほん とは言いにくい、
日本紀というと、 日本書紀、六国史に早く編纂があり、 続日本紀しょくにほんぎ 日本後紀にほんこうき 続日本後紀 文徳実録 三代実録と、。この名称はいまの読み方に従う。しかし、やまとぶみ やまとふみ と呼称されたのは、どう伝えられたか。
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