一陽来復、冬至、昼と夜と長さが同じと説明する春分秋分に比べ、昼が短い、夜が最も長いとする。地点によって、実際はどうか。愛知県 名古屋市 日の出6:57:04日の入り16:44:16 日の出と日の入の定義があり、それは、太陽の上辺が地平線と一致する瞬間とする、つまり、太陽の半径分だけ差が生じる。https://www.nao.ac.jp/faq/a0303.html による。さらに、大気の中を通る光の屈折によって、少し浮き上がって見える、とみえて、35分8秒角、時間ではなく角度の単位、浮き上がるとして計算するようである。プラス7分、マイナス7分ぐらいの差で、最大14分ぐらいの違いが出るとなると、これはずいぶんと長い。
ウイキペディアより
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冬至(とうじ、英: winter solstice)は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日の出から日没まで)の時間が短い。十一月中(旧暦11月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで12月22日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。暦ではそれが起こる日を冬至とするが、天文学においては、太陽黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義している。この場合、冬至の瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼ぶ。
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朔旦冬至
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。近世語で冬至を「唐の正月(とうのしょうがつ)」というが、これは中国で冬至を元旦としたからである。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。
デジタル大辞泉(小学館)
いん【陰】 の解説
1 易学で、陽に対置されて、消極的・受動的であるとされるもの。地・月・夜・女・静・偶数など。⇔陽。
よう〔ヤウ〕【陽】 の解説
1 易学で、陰に対置されて、積極的、能動的であるとされるもの。天・日・昼・男・強・動・奇数など。⇔陰。
一陽来復 例文
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・・・堅く閉じた心の氷がとけて一陽来復の春が来たのである。そうして静かにこの一編の終末がフェードアウトするのである。この終末の取り扱い方にどこかフランス芸術に共通な気のきいた呼吸を見ることができるような気がする。 三 世界の屋根・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
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・・・ 明治十九の歳華すでに改まりて、慶応義塾の教育法は大いに改まるに非ずといえども、一陽来復とともにこの旧教育法に新鮮の生気をあたうるはまたおのずから要用なるべし。その生気とは何ぞや。本塾の実学をしてますます実ならしめ、細大洩らさず、すべて・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
世界大百科事典
一陽来復
いちようらいふく
yī yáng lái fù
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冬至のこと。また,春の到来や凶事が去って吉事がふたたびもどって来ることをいう。〈一陽生〉ともいうように,《易経》の復(ふく)の卦(か)の最下段に,一陽(は陽,は陰のシンボル)が復(ふたた)び芽生えたことにもとづく。この逆が〈一陰生〉の夏至,《易》でいえば姤(こう)の卦である。この冬至の日,旧中国では仕事を休み,徹夜したり赤豆の粥を作ったり酒宴を設けたりして,万物のよみがえりを祝った。
[三浦 国雄]
日本大百科全書
一陽来復
いちようらいふく
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万物の生成を陰と陽の二気に分ける考え方から、冬至をいう。夜を陰、昼を陽として1年を立春から大寒までの二十四節気に分けると、冬至が陰の極点となる。したがってこの日から陽がふたたび増してくることになる。古くはこの日を一陽来復または一陽嘉節(かせつ)として祝った。冬至と11月1日が重なる朔旦(さくたん)冬至などは、よりめでたいことであった。こうしたことから、春が巡ってくることや、めでたいことがふたたびくることを一陽来復というようになった。
[佐々木勝]