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擬声は声色の物まねである。声をまねること。擬声語となると、声をまねるのではなくて、声でまねることになってしまう。ここがよくわからなくなって、擬声に擬音を混ぜてしまっている。擬声語と擬音語と分類したりしてさらに分からないことになるが、なぜか。オノマトペと言うカタカナ語を使いだして、各自にの個別解釈になってしまうからである。
もう一度、わかりやすく擬音で説明すると、擬音と言うのは音をまねることである。効果音とか舞台で使われて、舟をこぐ櫓の音とか、馬が走り砂をける肥爪の音とか、さらに擬音と言うの音をまねる効果だが、音でまねるようなこともするようになるから、落語の幽霊が出る話のシーンにお決まりの撥さばきの音にも擬音が拡大する。
声をまねる、音をまねる、オノマトペにはそれを擬声と翻訳してさらには擬音をも入れたような意味内容を持つようになる。擬声語、擬音語は声でまねる行為を指すようになる。そうすると、擬態ならまだしも、なぜなら擬態は言葉としてあった、加えて擬情、擬容などと、造語をして擬声に含めたりすると、それは説明としてどうなんだろう。ことばの使い方から外れていく取り決めのようである。
擬声語というものを、オノマトペとして、分類、分析とする対象だからと、そういう立場で定義することになるのだろうが、それはそのとらえ方として絶対ではないことになる。擬声語に、わくわく 楽しい情を表すのか、入道雲が フワフワ なのか、ニョキニョキ、フンワリ と表現してみて、それを言語にどうとらえているのか。
日本語でオノマトペと言われる音声は得体のしれない、これは音韻と見ると良いのだろうけれど、わくわく ふわふわ、にょきにょき、ふんわり などなど、音の羅列であるところに、表情や情景を表現してオノマトペの語彙など、あるいは辞書など、いくら集めてみても言語の補助とするに過ぎない。
擬声は声でありたいと思うときに、その声となにかが日本語のとらえるべき発音の現象となる
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