義理について、義 理 ともに、ことわりと読む。論理に対する正義は日本語のとらえかたを知る。義理、正義、大義とすじみちがある。
わたしたちの祖先がとらえる義理に、日本民族に見る論理また道理がある。その義理の実践に形成してきたのである。ことを割る、分かつのは、真偽にあるが、それをいわば正偽とする考え方である。
日本国語大辞典、義理の項より
>わけ。意味。また、字句の内容。
*令義解〔718〕考課・明経条「皆挙経文及注為問。其答者。皆須弁明義理。然後為通」
*今昔物語集〔1120頃か〕七・一二「新訳の経は猶、文詞甚だ美也と云へども、義理淡く薄し」
*愚管抄〔1220〕二・後堀河「僅に真名(まな)の文字をば読めども、又其義理をさとり知れる人はなし」
*仮名草子・浮世物語〔1665頃〕一・一「さればこそうき世なれといへば、いやその義理(ギリ)ではない」
*俳諧・三冊子〔1702〕わすれ水「苗代(なはしろ)の代(しろ)といふは、かはるといふ義理也」
*蜀志‐李伝「講論義理、五経諸子、無不該覧」
>物事の正しい道筋。また、人の踏み行なうべき道。道理。
*米沢本沙石集〔1283〕三・一「癲狂が利口、世法自(より)仏法の無量の義理(キリ)をふくめり」
*幸若・満仲(寛永版)〔室町末~近世初〕「なんぢ寺へのぼりせばがくもんさいしょに法花経をよくよみおぼえ其外よろづのぎりをしるべし」
*童子問〔1707〕上・二〇「亦以読書講義理為非」
*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕四「ヲヲ道理道理それまでもなく一たびはたづねあはではかなはぬ義理(ギリ)」
*史記‐始皇本紀「外教諸侯光施文恵、明以義理」
>職業、階層、親子、主従、子弟などのさまざまな対人関係、交際関係で、人が他に対して立場上務めなければならないと意識されたこと。体面。面目。
*曾我物語〔南北朝頃〕二・祐清京へのぼる事「善き侍の振舞、弓矢のぎり、これにしかじと、惜しまぬ者はなかりけり」
*虎明本狂言・文荷〔室町末~近世初〕「『さいぜんから某(それがし)ばかりもった、又おぬしもたしめ』『あまりぎりをかたふいはずとも、あっちまでおぬしもってくれさしめ』」
*仮名草子・身の鏡〔1659〕下「見すて申さじと、義理(ギリ)の奉公仕たる心ざしは」
*浮世草子・好色一代男〔1682〕二・三「かたれと申。いはねばならぬ義理(ギリ)になって」
*浄瑠璃・山崎与次兵衛寿の門松〔1718〕下「親の許した女房は、ぎりと情(なさけ)の二面(おもて)。かけて思へどかひもなく」
*洒落本・傾城買四十八手〔1790〕やすひ手「ありゃぎりでした色さ。まだ小僧の時さ」
*読本・椿説弓張月〔1807~11〕後・二一回「苦しきものは浮世の義理、形(あぢき)なきは武士(もののふ)の意地なりかし」
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