言葉で迷い、言葉で傷つき、言葉で目覚める――宮城しずか 中日新聞こらむ、今週の言葉より。
>2005年10月、最後となったご法話の中で、師は「法が私を生かし、私を歩ませてくださる。そういう法にどうぞ出遇ってほしい、目覚めてほしい。そういう叫びを生涯をあげて残してくださっておる。それが宗祖親鸞聖人と呼びうる所以でないか。」と、語っている。
本書は、2011年にお迎えした宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の記念Ⅱとして、金沢教区順教寺公開仏教講座において、宮城師(真宗大谷派本福寺前住職、九州大谷短期大学名誉教授)からご法話いただいたものを一冊にまとめたもの。咲て清浄、散りて清浄、出版広告
他力の生活は、最後まで努力せずにはおれない生活なのです
宮城しずか
>2005年10月、最後となったご法話の中で、師は「法が私を生かし、私を歩ませてくださる。そういう法にどうぞ出遇ってほしい、目覚めてほしい。そういう叫びを生涯をあげて残してくださっておる。それが宗祖親鸞聖人と呼びうる所以でないか。」と、語っている。
本書は、2011年にお迎えした宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の記念Ⅱとして、金沢教区順教寺公開仏教講座において、宮城師(真宗大谷派本福寺前住職、九州大谷短期大学名誉教授)からご法話いただいたものを一冊にまとめたもの。咲て清浄、散りて清浄、出版広告
他力の生活は、最後まで努力せずにはおれない生活なのです
宮城しずか