陳を発った孔丘は、楚の昭王の使者から昭王が仁の君主であると聞き、彼のもとに向かう。その道中、孔丘は呉の敗残兵に蹂躙された蔡国で死体が谷を埋め尽くす光景を目にする。彼は食料がないにもかかわらず弟子たちと谷に留まり、7日かけてすべての死体を埋葬した。一方、昭王は孔丘を評価し、破格の待遇で迎えようと考えていた。だが宰相の子西が少正卯の残した文を誇張して話したため、昭王は考えを変えてしまい……。wowowオンラインあらすじより。
孔子ドラマの終焉を前に、大団円だ。
いつも剣を携えている孔子を想像したことがあったろうか。
その服装は、歩きようは、まして放浪の十数年を、どうとらえていたろう。
恩師の墓を探す姿には晩年の孔子の思いがある。
孔子ドラマを35話、毎週連続して見続けてきて、その思いがある。
孔子年表より
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/nenpyou2.htm
492 3 61 魯で孔子を呼び戻そうとする動きがあったが、反対があって実現せず。
代わりに弟子の冉有(ゼンユウ)が魯に招致され、一行と分かれて帰国。
491 4 62 孔子は陳より蔡へ行く。蔡の昭公が死去。
490 5 63 斉の景公が死去。<季子第十六442>
489 6 64 孔子、蔡を出発し楚の葉県に行く。
葉公との問答。<子路第十三328><子路第十三330>
葉公が孔子の人柄を子路に聞く。 <述而第七168>
葉から蔡に戻る途中、隠者に合う。
<微子第十八476> <微子第十八477>
楚の昭王の開明ぶりを聞き、蔡から陳を経由して楚を目指す。
蔡と陳の大夫は、孔子が楚に用いられ、楚の国力が増すことを恐れ、
徒党を集め、孔子一行をとり囲み先に行けないようにした。
子貢が夜陰にまぎれ楚王に救助を依頼。孔子一行は、窮地を脱して楚に
入る。
暴徒に包囲された時、子路へ <衛霊公第十五390>(子路55才)
暴徒に包囲された時、子貢へ <衛霊公第十五391>(子貢33才)
子張の質問に答えて <衛霊公第十五394>(子張16才)
楚の昭王は孔子の登用を考えるが、重臣・子西の反対により、断念。
楚の昭王が死去。
楚の変人接輿が、歌を歌いながら孔子の宿舎を通りかかった。
<微子第十八475>
孔子は、再び衛に戻る。
この当時の様子を晩年に振りかえる <先進第十一264>
↓
488 7 65 ↓
487 8 66 魯は呉の攻撃を受けるが、かろうじて撃退。斉も魯を侵す。
孔子は引き続き衛に滞在。 ↓
486 9 67
孔子ドラマの終焉を前に、大団円だ。
いつも剣を携えている孔子を想像したことがあったろうか。
その服装は、歩きようは、まして放浪の十数年を、どうとらえていたろう。
恩師の墓を探す姿には晩年の孔子の思いがある。
孔子ドラマを35話、毎週連続して見続けてきて、その思いがある。
孔子年表より
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/nenpyou2.htm
492 3 61 魯で孔子を呼び戻そうとする動きがあったが、反対があって実現せず。
代わりに弟子の冉有(ゼンユウ)が魯に招致され、一行と分かれて帰国。
491 4 62 孔子は陳より蔡へ行く。蔡の昭公が死去。
490 5 63 斉の景公が死去。<季子第十六442>
489 6 64 孔子、蔡を出発し楚の葉県に行く。
葉公との問答。<子路第十三328><子路第十三330>
葉公が孔子の人柄を子路に聞く。 <述而第七168>
葉から蔡に戻る途中、隠者に合う。
<微子第十八476> <微子第十八477>
楚の昭王の開明ぶりを聞き、蔡から陳を経由して楚を目指す。
蔡と陳の大夫は、孔子が楚に用いられ、楚の国力が増すことを恐れ、
徒党を集め、孔子一行をとり囲み先に行けないようにした。
子貢が夜陰にまぎれ楚王に救助を依頼。孔子一行は、窮地を脱して楚に
入る。
暴徒に包囲された時、子路へ <衛霊公第十五390>(子路55才)
暴徒に包囲された時、子貢へ <衛霊公第十五391>(子貢33才)
子張の質問に答えて <衛霊公第十五394>(子張16才)
楚の昭王は孔子の登用を考えるが、重臣・子西の反対により、断念。
楚の昭王が死去。
楚の変人接輿が、歌を歌いながら孔子の宿舎を通りかかった。
<微子第十八475>
孔子は、再び衛に戻る。
この当時の様子を晩年に振りかえる <先進第十一264>
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488 7 65 ↓
487 8 66 魯は呉の攻撃を受けるが、かろうじて撃退。斉も魯を侵す。
孔子は引き続き衛に滞在。 ↓
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