おに は、おん 音変化だとする。これは、古辞書に見える、語源になる。
>(「隠(おん)」が変化したもので、隠れて人の目に見えないものの意という)死者の霊魂。精霊。
*十巻本和名類聚抄〔934頃〕一「人神 周易云人神曰鬼〈居偉反和名於邇、或説云於邇者隠音之訛也。鬼物隠而不欲顕形故以称也〉」
*観智院本類聚名義抄〔1241〕「神 カミ オニ タマシヒ」
もののけ としてみられていた。
>人にたたりをすると信じられていた無形の幽魂など。もののけ。幽鬼。
*日本書紀〔720〕神代上(水戸本訓)「此れ桃を用て鬼(ヲニ)を避(ふせ)ぐ縁(ことのもと)なり」
*日本書紀〔720〕欽明五年一二月(北野本訓)「彼の嶋の人の言(こと)に、人に非ず、とまうす。亦の言(こと)に鬼魅(オニ)なりと言して敢(あ)へて近(ちかつ)けず。〈略〉人有りて占へて云はく、是の邑人(さとひと)、必ず魃鬼(オニ)なりと為」
桃が鬼を防ぐとされたのは、中国由来の、桃の実の神話伝承にあるか。
>
想像上の怪物。仏教の羅刹(らせつ)と混同され、餓鬼、地獄の青鬼、赤鬼などになり、また、美男、美女となって人間世界に現われたりする。また、陰陽道(おんようどう)の影響で、人間の姿をとり、口は耳まで裂け、鋭い牙(きば)をもち、頭に牛の角があり、裸に虎の皮の褌をしめ、怪力をもち、性質が荒々しいものとされた。夜叉(やしゃ)。羅刹(らせつ)。
*竹取物語〔9C末〜10C初〕「ある時には、風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなる物出来て殺さんとしき」
*伊勢物語〔10C前〕五八「葎(むぐら)生ひて荒れたる宿のうれたきはかりにもおにのすだくなりけり」
*古今著聞集〔1254〕一一・五九九「鬼は物いふことなし。其かたち身は八九尺ばかりにて、髪は夜叉のごとし」
*蔭凉軒日録‐長享二年〔1488〕二月一三日「万選者為五山長老。三十年後迄在寺。故愚能見之。其色太黒其身太長。其面醜。所〓謂鬼云者也」
*咄本・くだ巻〔1777〕鳶の者「鐘を明ると、女の面(つら)が鬼(オニ)さ」
語誌
(1)「古事記」の国生み神話には、黄泉の国からイザナギが逃亡する際に、追っ手に桃の実を投げつけて退散させる記述が見える。中国においても「春秋左伝」に桃の木で作った弓が災いを払うとする記述があり、桃は古くから災厄を除く樹木とされていた。これが、中国から伝来したものなのか、もともと日中両国に別個に存したものなのかは明らかではない。
(2)中国では、仙界や不老長寿を象徴する樹木としての意識もあった。「漢武内伝」などに見える仙女西王母が漢の武帝に三〇〇〇年に一度実のなる不老長寿の桃の実を献じたという伝説や、陶淵明の「桃花源記」で有名な「桃源境」の伝説などがそれである。
(3)これらの伝説は平安時代の文人たちに大いに受容され、特に三月三日の節日に関連して漢詩文に詠み込むことが、盛んになり、三月三日は日本では「桃の節句」として位置づけられていく。平安時代以降、古典和歌の世界では、桃を、三月三日の節日と関連させずに、単に春の花として詠むことは、ほとんど行なわれない。
(4)中国では、春の代表的な花として盛んに詩文に詠まれるものの、三月三日の節日との結びつきは日本ほど強くはない。
以上は、日本国語大辞典より。
https://nohmask21.com/oni/prover_j.html
>
鬼の誕生
鬼とは、もと冬の寒気、疫病であった。人にわざわいをもたらす目に見えない隠れた者が 鬼(隠オニ)と呼ばれていた。 中国では生者の陽に対して死者を陰とし、死者の霊を鬼と言った(先祖の霊を鬼として崇拝した)。 わが国では陰陽五行説の影響で鬼は恐ろしいもの、人を食う怪物となり、仏教の影響で餓鬼から 青鬼・赤鬼が生まれた。 鬼は牛のような角、虎のような牙と虎の皮のふんどしを付けた姿で描かれるが、これは「鬼門 [=北東]」という言葉からもわかるように、鬼の住む北東が十二支の丑寅(牛、虎)にあたるからである。
日本の鬼の交流博物館(京都府大江町)の資料より
鬼のことわざ
いくつ知っていますか?
鬼も角折る
鬼のように凶悪な者でも、ふとしたきっかけで善人になることのたとえ。
非常にかたくなで自分の考えや態度を変えようとしなかった者が、態度を一変させること。
鬼も笑顔
(醜い鬼でも笑っている顔は愛嬌があることから)だれでも愛嬌がある方が他人から好かれるということ。 容貌は多少悪くても、笑顔を見せているときはかわいいという事。
鬼も一八番茶も出花
(摘み残りの質の劣る番茶でも、出花[湯をそそいだばかりのもの]は、よい香りがすることから) どんなに器量の悪い女でも、年頃になれば娘らしくなり、男女の心の機微も理解するようになるというたとえ。
鬼も寝る間
(恐ろしい鬼でさえ必ず眠っているときはあるということから) どんな人間にも必ずすきはあるということ。
鬼も頼めば人食わぬ
どれほど相手のしたいことであっても、こちらから頼むと、あれこれ理由をつけて承知してくれないものだということ。
知らぬ仏より馴染みの鬼
たとえどんな相手であっても、親しみのない者よりは、なれ親しんだ者の方がよいということ。 [知らぬ神より馴染みの鬼]ともいう。
心を鬼にする
(相手のためを思って)意識的に、非常な態度をとる。 鬼を欺く 1.強い鬼と見まちがえるほど勇猛、怪力であること。 2.鬼と見間違えるほど恐ろしい容貌をしていること。
来年のことを言えば鬼が笑う
あれこれと未来について予測、あるいは期待してものをいうと鬼が嘲笑する。人は未来について前もって知ることはできないということのたとえ。 また、未来のことはあてにならないという意味もある。「明日のことを言えば鬼が笑う」「三年先のことを言えば鬼が笑う」ともいう。
姉姑は鬼千匹、小姑は鬼十六に向かう
[「千匹」、「十六(匹)」は、はなはだしさをいうための数]嫁にとっては、夫の姉や妹は大勢の鬼にも匹敵するくらい恐ろしいもので、 円満に付き合っていく苦労は並大抵ではない。
嫁に小姑、鬼千匹
嫁にとって、意地悪な目で見ている小姑は一人で鬼千匹に当たるくらいの、やっかいでこわい存在であるということ。
渡る世間に鬼はない
世間には鬼のように冷たい人ばかりでなく、心が温かくて親切な人もいるというたとえ。「渡る世界に鬼はない」ともいう。
(類)仏千人神千人。地獄にも鬼ばかりはいない。捨てる神あれば拾う神あり。浮世に鬼はいない。
鬼を酢に指して食う
恐ろしいことであっても、全く平気なことのたとえ。「鬼を酢にして食う」ともいう。
鬼を一車に載す
(恐ろしい鬼といっしょに車にのる意から)非常に恐ろしく危険なことのたとえ。
鬼に衣
1.(鬼は裸で生活しているところから)不必要なもののたとえ。2.(鬼が僧衣を着ていることから)一見したところはやさしそうにみえるが、心の中は恐ろしいことのたとえ。
鬼の霍乱
ふだん非常に丈夫な人が、思いがけなく病気になることのたとえ。
(参考)「霍乱」は、中国では嘔吐や下痢を起こす急性消化器疾患の総称とされていた。日本では一般に日射病や暑気あたりをいったが、古くは腹痛や嘔吐を伴う急性胃腸病をさした。
鬼の起請
文字は拙劣だが筆に勢いがあることをいう。
(参考)「起請」は人と人との約束や契約を神仏を仲介してとりかわすことで、その誓いの内容を書いたものを「起請文」といった。起請文は権威のあるものとされていたために、筆に勢いのある文字が書かれた。
鬼の首を取ったよう
大手柄をたてたように有頂天になるさま。
鬼の念仏
(恐ろしくて残忍な鬼が念仏をとなえることから)1.無慈悲で残酷な心を持った者が、うわべだけ慈悲深そうにふるまうこと。2.柄にもなくおとなしそうに、殊勝らしくふるまうことをひやかしていう。「鬼の空念仏」ともいう。
鬼の一口
鬼が一口で人を食うように、物事の処理の仕方が激しくすばやいたとえ。2.たいへん危険な目にあうことのたとえ。
鬼の目にも涙
(冷酷な鬼でも時には人情が通じて涙を流すことがあるということから)ふだん厳しく無慈悲な人でも、たまには情に感じて慈悲心をおこし、優しい態度をとることがあるということ。
鬼の目にも見残し
(鬼はなんでも見とおす鋭い目を持つが、時には見落としがあるという意から)どんなに慎重に配慮していても、なおかつ落ち度や不注意があるということのたとえ。
鬼の中にも仏が居る
鬼と呼ばれるような情けしらずの悪人の中にも、仏のように優しい心の持ち主はいるものだというたとえ。
鬼が住むか蛇が住むか
世間にはどんな恐ろしい人がいるかわからないということ。また、人間の心の中にはどんな恐ろしい考えがひそんでいるか予想もできないということ。
鬼が出るか蛇が出るか
前途にどんな困難が待ちうけているか予想がつかないことにいう。
鬼が仏の早変わり
陰では鬼のように凶悪なことをする者が、人前では仏のように善人らしく振る舞うこと。
鬼が笑う
見通しがはっきりしない希望や、実現が難しいと思われることなどを言ったときに、それをからかって言うことば。
鬼瓦にも化粧
醜くいかつい女性であっても、化粧をすれば少しは美しく見えるということ。⇒馬子にも衣装
(英) No woman is ugly if she is well dressed.(着飾ればいかなる女も醜くない)
鬼と戯れ言
(鬼が親しげに冗談を言っても、その本心がわからず不気味なように)親しくされればされるほど、かえって気味悪く感じることのたとえ。
鬼に金棒
(強く恐ろしい鬼にさらに強力な武器を持たせることから)ただでさえ強いうえに、さらに強力なものが加わることのたとえ。
鬼に瘤を取らる
一見したところ不幸な目にあったようでいて、思わぬ幸運を招き、それまでの苦労の種がなくなることのたとえ。
鬼の居ぬ間に洗濯
主人やうるさい者などがいないすきに、息抜きをし、ひと休みすること。「鬼の留守に洗濯」「鬼の来ぬ間に洗濯」ともいう。
(用例)いま、現場監督の姿が見えないね。鬼の居ぬ間に洗濯だ。一服しよう。
(参考)「洗濯」は命の洗濯の意で、息抜き。
(英)When the cat's away,the mice will play.
(猫がいないとき鼠が遊ぶ)
http://kotowaza-allguide.com/wa/watarusekennioni.html
渡る世間に鬼はなしの解説】
【注釈】世の中には鬼のように無情な人ばかりでなく、親切で人情に厚い人もいるということのたとえ。
「渡る世間に鬼はない」とも。
【出典】-
【注意】-
【類義】浮き世に鬼はない/地獄にも鬼ばかりはいない/捨てる神あれば拾う神あり/倒す神あれば起こす神あり/寝せる神あれば起こす神あり/仏千人神千人
【対義】寺の隣にも鬼が住む/人を見たら鬼と思え/人を見たら泥棒と思え
【英語】There is kindness to be found everywhere.(親切な人はどこにでもいる)
【用例】「人間不信になりかけていたときに、情深い人の優しさに触れ、渡る世間に鬼はなしだと思ったよ」
渡(わた)る世間に鬼はない
世の中には無情な人ばかりがいるのではなく、困ったときには助けてくれる情け深い人もいるものだということ。
⇒わたる【渡る/渉る】の全ての意味を見る
出典:デジタル大辞泉
>(「隠(おん)」が変化したもので、隠れて人の目に見えないものの意という)死者の霊魂。精霊。
*十巻本和名類聚抄〔934頃〕一「人神 周易云人神曰鬼〈居偉反和名於邇、或説云於邇者隠音之訛也。鬼物隠而不欲顕形故以称也〉」
*観智院本類聚名義抄〔1241〕「神 カミ オニ タマシヒ」
もののけ としてみられていた。
>人にたたりをすると信じられていた無形の幽魂など。もののけ。幽鬼。
*日本書紀〔720〕神代上(水戸本訓)「此れ桃を用て鬼(ヲニ)を避(ふせ)ぐ縁(ことのもと)なり」
*日本書紀〔720〕欽明五年一二月(北野本訓)「彼の嶋の人の言(こと)に、人に非ず、とまうす。亦の言(こと)に鬼魅(オニ)なりと言して敢(あ)へて近(ちかつ)けず。〈略〉人有りて占へて云はく、是の邑人(さとひと)、必ず魃鬼(オニ)なりと為」
桃が鬼を防ぐとされたのは、中国由来の、桃の実の神話伝承にあるか。
>
想像上の怪物。仏教の羅刹(らせつ)と混同され、餓鬼、地獄の青鬼、赤鬼などになり、また、美男、美女となって人間世界に現われたりする。また、陰陽道(おんようどう)の影響で、人間の姿をとり、口は耳まで裂け、鋭い牙(きば)をもち、頭に牛の角があり、裸に虎の皮の褌をしめ、怪力をもち、性質が荒々しいものとされた。夜叉(やしゃ)。羅刹(らせつ)。
*竹取物語〔9C末〜10C初〕「ある時には、風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなる物出来て殺さんとしき」
*伊勢物語〔10C前〕五八「葎(むぐら)生ひて荒れたる宿のうれたきはかりにもおにのすだくなりけり」
*古今著聞集〔1254〕一一・五九九「鬼は物いふことなし。其かたち身は八九尺ばかりにて、髪は夜叉のごとし」
*蔭凉軒日録‐長享二年〔1488〕二月一三日「万選者為五山長老。三十年後迄在寺。故愚能見之。其色太黒其身太長。其面醜。所〓謂鬼云者也」
*咄本・くだ巻〔1777〕鳶の者「鐘を明ると、女の面(つら)が鬼(オニ)さ」
語誌
(1)「古事記」の国生み神話には、黄泉の国からイザナギが逃亡する際に、追っ手に桃の実を投げつけて退散させる記述が見える。中国においても「春秋左伝」に桃の木で作った弓が災いを払うとする記述があり、桃は古くから災厄を除く樹木とされていた。これが、中国から伝来したものなのか、もともと日中両国に別個に存したものなのかは明らかではない。
(2)中国では、仙界や不老長寿を象徴する樹木としての意識もあった。「漢武内伝」などに見える仙女西王母が漢の武帝に三〇〇〇年に一度実のなる不老長寿の桃の実を献じたという伝説や、陶淵明の「桃花源記」で有名な「桃源境」の伝説などがそれである。
(3)これらの伝説は平安時代の文人たちに大いに受容され、特に三月三日の節日に関連して漢詩文に詠み込むことが、盛んになり、三月三日は日本では「桃の節句」として位置づけられていく。平安時代以降、古典和歌の世界では、桃を、三月三日の節日と関連させずに、単に春の花として詠むことは、ほとんど行なわれない。
(4)中国では、春の代表的な花として盛んに詩文に詠まれるものの、三月三日の節日との結びつきは日本ほど強くはない。
以上は、日本国語大辞典より。
https://nohmask21.com/oni/prover_j.html
>
鬼の誕生
鬼とは、もと冬の寒気、疫病であった。人にわざわいをもたらす目に見えない隠れた者が 鬼(隠オニ)と呼ばれていた。 中国では生者の陽に対して死者を陰とし、死者の霊を鬼と言った(先祖の霊を鬼として崇拝した)。 わが国では陰陽五行説の影響で鬼は恐ろしいもの、人を食う怪物となり、仏教の影響で餓鬼から 青鬼・赤鬼が生まれた。 鬼は牛のような角、虎のような牙と虎の皮のふんどしを付けた姿で描かれるが、これは「鬼門 [=北東]」という言葉からもわかるように、鬼の住む北東が十二支の丑寅(牛、虎)にあたるからである。
日本の鬼の交流博物館(京都府大江町)の資料より
鬼のことわざ
いくつ知っていますか?
鬼も角折る
鬼のように凶悪な者でも、ふとしたきっかけで善人になることのたとえ。
非常にかたくなで自分の考えや態度を変えようとしなかった者が、態度を一変させること。
鬼も笑顔
(醜い鬼でも笑っている顔は愛嬌があることから)だれでも愛嬌がある方が他人から好かれるということ。 容貌は多少悪くても、笑顔を見せているときはかわいいという事。
鬼も一八番茶も出花
(摘み残りの質の劣る番茶でも、出花[湯をそそいだばかりのもの]は、よい香りがすることから) どんなに器量の悪い女でも、年頃になれば娘らしくなり、男女の心の機微も理解するようになるというたとえ。
鬼も寝る間
(恐ろしい鬼でさえ必ず眠っているときはあるということから) どんな人間にも必ずすきはあるということ。
鬼も頼めば人食わぬ
どれほど相手のしたいことであっても、こちらから頼むと、あれこれ理由をつけて承知してくれないものだということ。
知らぬ仏より馴染みの鬼
たとえどんな相手であっても、親しみのない者よりは、なれ親しんだ者の方がよいということ。 [知らぬ神より馴染みの鬼]ともいう。
心を鬼にする
(相手のためを思って)意識的に、非常な態度をとる。 鬼を欺く 1.強い鬼と見まちがえるほど勇猛、怪力であること。 2.鬼と見間違えるほど恐ろしい容貌をしていること。
来年のことを言えば鬼が笑う
あれこれと未来について予測、あるいは期待してものをいうと鬼が嘲笑する。人は未来について前もって知ることはできないということのたとえ。 また、未来のことはあてにならないという意味もある。「明日のことを言えば鬼が笑う」「三年先のことを言えば鬼が笑う」ともいう。
姉姑は鬼千匹、小姑は鬼十六に向かう
[「千匹」、「十六(匹)」は、はなはだしさをいうための数]嫁にとっては、夫の姉や妹は大勢の鬼にも匹敵するくらい恐ろしいもので、 円満に付き合っていく苦労は並大抵ではない。
嫁に小姑、鬼千匹
嫁にとって、意地悪な目で見ている小姑は一人で鬼千匹に当たるくらいの、やっかいでこわい存在であるということ。
渡る世間に鬼はない
世間には鬼のように冷たい人ばかりでなく、心が温かくて親切な人もいるというたとえ。「渡る世界に鬼はない」ともいう。
(類)仏千人神千人。地獄にも鬼ばかりはいない。捨てる神あれば拾う神あり。浮世に鬼はいない。
鬼を酢に指して食う
恐ろしいことであっても、全く平気なことのたとえ。「鬼を酢にして食う」ともいう。
鬼を一車に載す
(恐ろしい鬼といっしょに車にのる意から)非常に恐ろしく危険なことのたとえ。
鬼に衣
1.(鬼は裸で生活しているところから)不必要なもののたとえ。2.(鬼が僧衣を着ていることから)一見したところはやさしそうにみえるが、心の中は恐ろしいことのたとえ。
鬼の霍乱
ふだん非常に丈夫な人が、思いがけなく病気になることのたとえ。
(参考)「霍乱」は、中国では嘔吐や下痢を起こす急性消化器疾患の総称とされていた。日本では一般に日射病や暑気あたりをいったが、古くは腹痛や嘔吐を伴う急性胃腸病をさした。
鬼の起請
文字は拙劣だが筆に勢いがあることをいう。
(参考)「起請」は人と人との約束や契約を神仏を仲介してとりかわすことで、その誓いの内容を書いたものを「起請文」といった。起請文は権威のあるものとされていたために、筆に勢いのある文字が書かれた。
鬼の首を取ったよう
大手柄をたてたように有頂天になるさま。
鬼の念仏
(恐ろしくて残忍な鬼が念仏をとなえることから)1.無慈悲で残酷な心を持った者が、うわべだけ慈悲深そうにふるまうこと。2.柄にもなくおとなしそうに、殊勝らしくふるまうことをひやかしていう。「鬼の空念仏」ともいう。
鬼の一口
鬼が一口で人を食うように、物事の処理の仕方が激しくすばやいたとえ。2.たいへん危険な目にあうことのたとえ。
鬼の目にも涙
(冷酷な鬼でも時には人情が通じて涙を流すことがあるということから)ふだん厳しく無慈悲な人でも、たまには情に感じて慈悲心をおこし、優しい態度をとることがあるということ。
鬼の目にも見残し
(鬼はなんでも見とおす鋭い目を持つが、時には見落としがあるという意から)どんなに慎重に配慮していても、なおかつ落ち度や不注意があるということのたとえ。
鬼の中にも仏が居る
鬼と呼ばれるような情けしらずの悪人の中にも、仏のように優しい心の持ち主はいるものだというたとえ。
鬼が住むか蛇が住むか
世間にはどんな恐ろしい人がいるかわからないということ。また、人間の心の中にはどんな恐ろしい考えがひそんでいるか予想もできないということ。
鬼が出るか蛇が出るか
前途にどんな困難が待ちうけているか予想がつかないことにいう。
鬼が仏の早変わり
陰では鬼のように凶悪なことをする者が、人前では仏のように善人らしく振る舞うこと。
鬼が笑う
見通しがはっきりしない希望や、実現が難しいと思われることなどを言ったときに、それをからかって言うことば。
鬼瓦にも化粧
醜くいかつい女性であっても、化粧をすれば少しは美しく見えるということ。⇒馬子にも衣装
(英) No woman is ugly if she is well dressed.(着飾ればいかなる女も醜くない)
鬼と戯れ言
(鬼が親しげに冗談を言っても、その本心がわからず不気味なように)親しくされればされるほど、かえって気味悪く感じることのたとえ。
鬼に金棒
(強く恐ろしい鬼にさらに強力な武器を持たせることから)ただでさえ強いうえに、さらに強力なものが加わることのたとえ。
鬼に瘤を取らる
一見したところ不幸な目にあったようでいて、思わぬ幸運を招き、それまでの苦労の種がなくなることのたとえ。
鬼の居ぬ間に洗濯
主人やうるさい者などがいないすきに、息抜きをし、ひと休みすること。「鬼の留守に洗濯」「鬼の来ぬ間に洗濯」ともいう。
(用例)いま、現場監督の姿が見えないね。鬼の居ぬ間に洗濯だ。一服しよう。
(参考)「洗濯」は命の洗濯の意で、息抜き。
(英)When the cat's away,the mice will play.
(猫がいないとき鼠が遊ぶ)
http://kotowaza-allguide.com/wa/watarusekennioni.html
渡る世間に鬼はなしの解説】
【注釈】世の中には鬼のように無情な人ばかりでなく、親切で人情に厚い人もいるということのたとえ。
「渡る世間に鬼はない」とも。
【出典】-
【注意】-
【類義】浮き世に鬼はない/地獄にも鬼ばかりはいない/捨てる神あれば拾う神あり/倒す神あれば起こす神あり/寝せる神あれば起こす神あり/仏千人神千人
【対義】寺の隣にも鬼が住む/人を見たら鬼と思え/人を見たら泥棒と思え
【英語】There is kindness to be found everywhere.(親切な人はどこにでもいる)
【用例】「人間不信になりかけていたときに、情深い人の優しさに触れ、渡る世間に鬼はなしだと思ったよ」
渡(わた)る世間に鬼はない
世の中には無情な人ばかりがいるのではなく、困ったときには助けてくれる情け深い人もいるものだということ。
⇒わたる【渡る/渉る】の全ての意味を見る
出典:デジタル大辞泉