2017年0808宣言、これの趣旨は、おやおや宣言とでもいうべき、この現実について、驚くことである。おどろかされるのは目をみひらく思いのことで、何としても教育の根幹にかかわる。国語教育、日本語教育の、教育に携わりながら、その経験において貢献してきたか、40年に及ぶことであるが、余生には20年を思えば、気力のことである。10年前に研究テーマを、あと30年をかけての教育のことにありとした。その時は流れて現役教師を退休して、そのいとぐちにある。思いは後進に託す日本社会であるから教育のありようは難関である。
ブリタニカを引用すれば、
>教え育てること。知識,技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質,能力を発展させ,これを助長する作用。人間を望ましい姿に変化させ,価値を実現させる活動。以上のように教育という語は多義に使用されるが,陶冶,教化,育成,形成などと同義にも用いられ,またそれらを総括する語として広義にも用いられる。
とあって、多義にわたる、その内容を陶冶、教化、育成、形成にも見る。語義には漢籍から、また用語としてみる。
>出典としては,『孟子』に「得天下英才,而教育之」とあるのが初めであるとされ,また英語,ドイツ語,フランス語などの語源は,「引出す」あるいは「引上げる」の意味であるとされている。
難関はすでに実践をもってしめすところ、そこに成果とするを評価すれば、どうなるかという、内心に忸怩たる思いがある。引き出す、引き上げる、それはまた、教師についてのことでもあるから、己の実力をどう実現してきたかということでもある。教育は実践にあって活動をすることが最大のことであると、40年前のことに実感し、そこに研究を重ねあわせてきた。何をどうして、どうなったかを、おやおやと述べることになるか。
教育方法を、さらにブリタニカは解説する。いわば、個別的観点の宣言になろう、
>教育は無意図的教育と意図的教育に大別され,方法上から養護,教授,訓練 (訓育) に区分され,内容上から知育,徳育,体育などに区分されることもこれまでしばしば行われてきた。また教育が行われる場によって,家庭教育,学校教育,社会教育に大別することもできる。教育の考え方としては,個人的観点を主とするものと社会的観点を主とするものとがあり,また社会的観点にも,社会のもつ本質的機能としてみる立場,社会を改造する機能を重視する立場など種々のものがある。
出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典