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日本語教育文法の論議

2013-07-02 | 日本語教育
日本語教育文法の論議

日本語教育文法が取りざたされたのはわたしの知るところ3回ある。日本語学研究で日本語教育からの文法論議は限りがない。日本語教育用の文法が、コミュニケーションのための日本語教育文法として3回目のこととすると、2回目は文化初級が編纂した日本語教育文法の文型がある。それでは1回目とは文型のステップアップで丁寧体からの導入だろうか、対して動詞の活用を丸暗記する方法である。

文型提出による口頭法はそれなりに文法理論を実現したものであった。やさしい文型から難しい文型へと進みながら絶えず初歩の文型を繰り返しながら組み合わせていく。その始まりは構造主義文法理論によってもたらされたものの指示用法の文型からであった。外国語を学習する際の常套句にもなる。戦後の英語教育はテキストですべてがこの文型導入をする流行であった。

それは口頭法の常であるが文型をパタンパタンとコーラスするものであったから、発音練習を兼ねた楽しい授業であった。レッスンの前には新出語を同じく一斉に練習するからそのすすめかたは単純そのもであった。それを文法教育とするなら定形のパターンを刷り込むことで記憶を活性化する、というようなうけとめ方であった。それは実はオーディオリンガルのメソッドであった。

このオーラルアプローチがなぜに日本語文法の議論となったのか。日本語教育用の文法はこのステップアップによってさまざまな日本語文法の構造を文型化していたので扱いよかったのである。それは突然に言れたわけではない、なにかというと、導入文型は普段の会話では使わないという物言い、そこで使わない文を教えるのは不要だという実利的な考えだ。さらにストレスを与える、とも非難が上がった。

これは事実、使うか使わないかは見解が分かれる。いくらでも使っているのであるが、その指示用法が言葉を捉える概念形成であり、それまでの学習者が持つ概念を一致させるための重要なワンステップであったが、それこそ成人した学習者に使うことのできる適した練習法だと心得ていたから現場は何も疑うことはなかったのである。使わないような文型はステップアップのためでほかにもあるのである。

その勢いは日本語教育用の文法の根本的な議論になる。指示用法のためには主語述語の構造が必要であったが、主語を用いないでも表現できる言語として位置付けることになる。事実、その文型をとれば日本語は動詞一語からでも始めることはできるし、るるぶ式に、寝る食べる遊ぶと言っていれば場面によって日本語は通じるのである、それは極端だとしても日本語文法の文型が違って選ばれることになる。

その動きは新しいことではない。しかしちょうど学習者のニーズに合わせた言葉選びとして目標言語を定めると学習者が選ぶ言葉遣いに沿った日本語学習が想定されてそのテキストを作り出すということで、そのような発想であったろうかと思う、もっと現場に即して教えるという理想で生まれたのだと理解する、それが日本語教育文法を変える勢いであったのだが、テキストでは文型の構造が捉えにくくなってしまったようだ。

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