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あのころ

2024-01-19 | 日記





 

あのころが時空に限りなく思え実践したことはいまでもパイオニアの誇りである。

国文学教育に古写本の解読を入れた。源氏物語のベッポンを写真版で購読した授業を取り入れて演習にして教授した。昭和53年から10年、当時この授業方法は大学院の文書読解に相当していて、かなり意識したものとなる。陽明文庫本が複製刊行されてまだその本文の読みは行われていなかっただろうから。変体仮名と言われる書体を読み解くのは技術である。それほど難しいものではないが、何しろ源氏物語である。国文科の杵柄は恩師の変体仮名帖にあって書誌学と文献解読の実を上げる。

そしてなによりも大学生の初期にすべくコミュニケーションのためのセミナーと言おうか、そのときはフレッシュマンキャンプと言っていた入学後の仲間作り合宿を実現させた。学科専攻の数十名を山寺に引率した。蓬莱山の禅寺だったか、本堂を借りて早朝の瞑想の時を以て大学生になったスタートである。学園紛争が時を経て納まりかけてどの大学も文部省もその学生教育に腐心しなければならなくなる、その実践をおこなった。手作りのものには禅寺の集団行動に宗教教育の押し付けだと言いだす学生が出てきてそれをボイコットされたことがある。

その本務に並行して日本語教育研修生を受け入れた。1979年に国交の友好条約が実現して、故田中首相から受け継がれた往来は大学の事業の一つに計画されて、大阪から日本語教育のノウハウに加え日本語の文化接触についての体験プログラムを作った。教科目など名古屋を超えて運んだのである。中国教育部派遣の大学院生に留学招聘をする1年間研修で大学の事業は年間4名の枠を宿舎提供奨学金つきで行うことになり、そのプログラムのカリキュラムを作成し、教育することになった。それは10年継続されて、その当初の5年を差配した。付け加えると研修生と言い、実際に予定する進修生は教育部の提案で日本語教師研修の実践となっていた。各地の大学教師がやってきて大学事業には効果絶大であった。

研究と教育のふたつ道をひとつに大学人が始まって国際交流の異文化接触、異文化コミュニケーションを日本語教育で行うことになったころである。










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