古典文学に親しんだのは偶然である。なにごともきっかけというものが、そういうものだと思える。本を読むと決めて大学の文学科を選んで入学していた。そこは2年たてば教養課程から専門課程へ移ることになる。大学というのは紛争で荒れるものだと知って、2年を落ち着いて過ごすことはなかった。そして専門課程へ移るときに、それまで英文科となんとなく決めていたのを、国文科に変更したのである。クラスの友人たちも英文科に行く仲間と思っていたようだ。
1年時の担任はアメリカ文学の専門で、いつも英書ばかりを読んでいたし、本が読みたいからと言ったら、書棚の教科書を取り出して薦めた。野球部の顧問をしていて大学の中では古参の勢力を持っていた。入学後の紛争にあって、いろいろとお世話になったことだった。とにかく米軍キャンプ建物の、古めかしい、頑丈な将校か何かの部屋だった、その研究室は広かったことを覚えている。その英語教師の影響もあったが、その一方で、日本語文章の科目担当の先生に出会って、入学直後の事情を経て、意思が変わった。
その事情というのは、転任してきたばかりの、隣の女子大からの先生は、その1年の担当科目を文学でやらない、文法でやると話したものだったから、受講学生が文学の方の科目へ行ってしまって、残ったのはわたしと、演劇の活動に熱心な男の、ただの二人になってしまったという事情で、文学が聞きたい学生はそうだろうが、文法でもいいでないかと、そのままに残ったら、なんと、その演劇学生は活動に忙しく、いつも一人で授業を受けることになった。そのうち彼は芝居仕立てに旅行鞄と傘を持って現れて、故郷へ帰るとか何とかのままに、来なくなった。
研究室で大きなデスクを挟んで、国文学、源氏物語の専門を持つ先生と、文章表現の授業が毎週に始まって、また文法の専門を国語学として学ぶことになった。その授業は一人で、生き生きとしていて、先生を呆れさせるのであるが、それは聞いている片端からノートをとるので、サラリさらりと書くままに、よどむことがないので、その日の予定量をアッと終わってしまうようなことになる、というようなことは、楽しくてしょうがなかった。そうするうちに学内が騒然とし、先生が言われたのは、勉強はどこでもできるぞ、隅っこに机があればそこでやればよい、と言っているうちにも、封鎖しようと駆け上がる学生に追われて、授業は現実に会議室の隅っこになった。
懐かしい思いのようなことであるが、入学後の半年に、とでもないことが襲っていたのである。のちになっていえば、その先生がわたしの生涯の恩師となられた。その当時は、偶然だという出会いに、専門課程のゼミを中古文学にした。演習は源氏物語をテキストにしていた。帚木、空蝉の巻と講読をしたが、テキストに評釈源氏を用いた。そして宇治十条、橋姫を読んだのである。大学院の課程までその師につくことになる
リマインダーに、次を引き続き、再録する。
年立て 私説 源氏語り6
2013-09-04 15:46:10 | 源氏語り
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古人もこれに気づいて時間を追って筋をとらえようとした。
源氏物語のとしだてである。年立てと書く。
物語の最初は親の代で、そこに主人公の誕生が描かれ、元服までが書かれている。
現存の巻は、そこから、読み始める。
物語に入っていくのである。
そして青春時代の疾風怒濤、奔放な貴公子の振る舞いが印象を以て語られる。
それは時間がかさなるようにして次の巻で描かれた。
古女房の昔語りの噂話であるから、時間が行きつ戻りつするのであろう。
そして成人をしてもう一人の主人公が登場するころから物語は始まっていく。
が、時間の順序は、やはり戻って語られるところがある。
源氏物語の時系列に見られる、妙である。
いつのころからそうであるのか。
はじめからに決まっていると思う。
書写本ができる、物語が書き写され表紙がついて巻名がつけられ整えられた
そのころからであろうか、それはおよそ七五〇年前、それ以上も前のことであり、物語が作られたのは千年も前である。
五十余帖がその間に成立することになる。
巧みに語られた時間意識がそこでつくられる。
いつ 私説 源氏語り7
2013-09-05 22:19:30 | 源氏語り
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いづれの御時にか、おーんときにか、と、強めて読む。
物語りの冒頭は、物語準拠論では遡る設定である。
延喜年間と天暦年間、947-957 の治世に範を求めて語り出される。
いまのわたしたちは、その順で読み始める。
源氏物語の作者は紫式部だといわれている。
言われているというのは、そう伝えらえてきたということで、たしかではないという意味だ。
名前も紫式部がなぜ紫なのかも明らかにすることはできな。
しかし、言い伝えいぇきたことによて、そうだとされる。
古代の女性が名前を歴史の記録にとどめないことは知られている。
名を残す人もいて、それは王族の場合で后や王女は名が伝えられる。
文学作品の作者名などは多く固有名詞であるかというと、そうではない。
実際には、呼び名なのだが、それを固有名としている。
源氏物語を紫式部が書いたということ、これは伝えるままでいい。
ただその積極的な証拠を揚げることはできない、情況によるとでも言いうる。
作者 私説 源氏語り8
2013-09-06 22:09:55 | 源氏語り
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表紙に名を記す、奥付に著者名を書くという習慣は、本にはタイトル名を書くものだと思っているからである。
冊子の始めか、終わりに識語を書き、書写の由来を記すことはあった。
源氏の物語を書くことが噂になりそれを、むらさきのゆかりに求めて、そう呼ばれたことをもって作者となった。
自分の日記のそう書いたと記してでもあればわかりよい。
紫式部にまつわる伝説に、湖水に写る月を見て想を練った、など、注釈書に伝えられることは、作者の推定をもはや必要としない。
作者のことは実はそのほかに、いくつかのことについて、確かめなければならない。
自筆本がなければ、署名もない。
日記に書いた事実も記さない。
伝説に作者像がそれと浮かび上がる。
>尊卑分脈(『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』)の註記
上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾
湖月 私説 源氏語り9
2013-09-08 22:44:48 | 源氏語り
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源氏を読むのに、湖月で読むといった。
源氏物語といえないときに、何を読んでいるか、湖月を読んでいると言ったりした。
20世紀前半までは湖月抄で源氏物語を読む時代だった、と言われる。
湖月抄は注釈書、北村季吟著、60巻の大部である。
延宝元年、1673年に成立した、源氏物語の古注を取捨し集成したものとして、読むむのに便であった。
湖月は、紫式部が石山寺にこもり、琵琶湖上の月を見ながら、須磨の巻を書いたという伝説による。
本文に傍注や頭注を施し、発端、系図、表白、雲隠説各一巻、年立二巻を加える。
その増註本が、いま電子書籍で読める。
講談社学術文庫本、上、中、下の3巻、有川武彦校定本である。
本文に傍注・頭注があって、本文としてきわめて読みやすくなっている。
ある古書店の湖月抄は次のようである。
>北村季吟著, 60巻60冊 価格: 350,000円. 「夢の浮橋」の末に刊記あり「延寶元年冬至月 北村季吟 書林 林和泉・村上勘兵衛・吉田四郎右衛門・村上勘左衛門」原表紙 原題簽 27.2×19.4糎 拵帙入. 延宝元年(1673)刊.
源氏物語の注釈書に古注、旧注、新注と分ける場合がある。ウイキペディアより。
古注
源氏釈(北野本) • 奥入(大橋本 • 定家小本) • 水原抄 • 紫明抄 • 異本紫明抄 • 幻中類林(光源氏物語本事) • 弘安源氏論議 • 雪月抄 • 原中最秘抄 • 河海抄 • 仙源抄 • 珊瑚秘抄 • 千鳥抄
旧注
源氏和秘抄 • 花鳥余情 • 源語秘訣 • 山頂湖面抄 • 雨夜談抄 • 源氏物語青表紙河内本分別條々 • 一葉抄 • 三源一覧 • 源氏物語不審抄出 • 弄花抄 • 細流抄 • 明星抄 • 長珊聞書 • 万水一露 • 紹巴抄 • 山下水 • 覚勝院抄 • 孟津抄 • 花屋抄 • 玉栄集 • 岷江入楚 • 首書源氏物語 • 湖月抄
新注
源氏外伝 • 源注拾遺 • 紫家七論 • 源氏物語新釈 • 紫文要領 • 源氏物語玉の小櫛 • 源氏物語評釈
作者説 私説 源氏語り10
2013-09-09 23:41:31 | 源氏語り
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筆写する小女たちが書き手としてかかわったテクスト論や、紫式部の娘が書き継いだ、といったことである。
作者が複数いた、といえば事実ではないが、真実にはそれに近いことがあったのだろうと思わせることがある。
それでも作者はいて物語を構想しつつ書きつづっていたのである。
源氏物語の作者は紫式部と呼ばれた人である。
紫式部は日本文学史上で女性解放の第一人者と記されているのがある。
源氏物語を書いたことによって宮中の腐敗を描いた、というのである。
中国の百科事典に、日本文学の解説にそう書かれていたのにはおどろいた。
史観が違えば紫式部は活動する運動家にも見えてくるのである。