武器がなければ抑止力にならない、とか、軍事評論家が言った。武器を所有するとはどういうことか、核には核の抑止力という、人類の最終兵器になる爆弾を争って持つ大国があるから、そのことではなかろうかと思っていたら、大国でない、小国でもないのだけれど、ユニークな国家にふさわしいとばかりの弾頭に爆弾を原子化水素化とする恐ろしい時代である。先の論理でいえば、その論理がわかるわけにはいかない、という前提でいえば、平和には平和が抑止力になる、抑止ではなくて、旺盛力になるということで、平和が戦争と並ぶことはないから、平和だとして、武器もなければ、それは戦争の抑止にはならない、平和だとして、武器を持てばそれもまた、戦争の競争になる。武器は使いたくなる、使わなければ、その効果がない、わからないという、おかしな循環論法になっていく。平和に対しては平和をバランスにして、武器には武器をとるのではなくて、武器を持つことがバランスとなるなら、軍事の専門家がいればそう考えるしかないことなので、核爆弾を持つ国地域に囲まれてしまえば、いく先は、存続無き破滅でしかないという論理も出てくる。気が付いたときには、核の傘がアジア太平洋地域とユーラシア大陸にある核の傘が、半島にまで、大小と並び始めている。
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