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日本語教育、うつろいゆくも

2015-03-22 | 日本語教育私史
中国北京の交換教員は海外での日本語教育としての経験で、それ以後、中国での日本語教育をウオッチングするようなことになった。1984年8月にでかけて、日本に、1985年2月に帰国した。あい変わらず勤務校での国語国文学と研修生の日本語にかかわっていたが、それまで大阪に通い続けた1978年から1983年までの日本語教師はそこで中断して、留学生への本務のひとつとなって継続することになる。日本語教育研修の中国からの派遣者を受け容れていた。その当時は北京語言学院から継続して、あるいは、社会科学院、南開大学、上海外国語学院、大連外国語学院、北京第2外国語学院と、かわらずにいて、年ごとの人数は半分になって、研究奨学としての待遇であった。すでに語言研究の受け入れが、法律、経済の専門分野での受け入れとかわって、留学生事業は軌道に乗っていた。中国の研究は校是であったから、辞典編纂に次ぐことは、新しい校地での新学部構想へと発展したのである。

そのころを大学の沿革でみると、

1988年 4月 名古屋新キャンパス(西加茂郡三好町)開校
短期大学部に留学生別科、別科英語専修、別科生活環境専修開設

この留学生別科設立に参加して、いまでいうシラバスデザイン、カリキュラムデザインを作り上げた。教科書を編集し、スタッフとともに日本語教授のチームティチングを始めた。それは、1989年に転じることにはなるものの、10年にわたってののち、跡を継いでくれた教え子たちの成果が実を結び、別科は発展解消をした。

2002年 4月 大学院に国際コミュニケーション研究科国際コミュニケーション専攻修士課程設置
短期大学部留学生別科を廃止し、大学に外国人留学生別科開設


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