万葉集の巻頭に並ぶ歌を見ることは、どのようにして万葉集が作られたかを考えることになる。
雄略天皇の歌を雑歌の冒頭に置き舒明天皇の世が来る、西暦で言えば475年ころより、629年までをとぶ。
舒明朝から万葉集の歌が増える、ということは、その時代の歌がよまれたたことになる。
この構成はその後に続く時代に、この巻の成立をうかがわせることになる。
おそらく雑歌の部立ては万葉集三大部立ての相聞、挽歌に合わせたものである。
その部立てはまた、万葉集の歌の分類がほどこされる、編集であった、その雑歌とは何か。
儀礼的な歌とされることがあるのは、四季・恋・賀・哀傷・旅・別など以外の歌だからである。
明確に分類できない雑多のものをいうと、日本国語大辞典では説明して、次のように言う。
挽歌、相聞以外の歌すべてをいい、むしろ公的な、はれの歌、四季歌のような正統的な歌を含むとある。
さらに第5番歌になると、どうか。
讃岐の国の安益の郡にいます時に、軍王が山を見て作る歌
さぬきのくに、あやのこほり、香川県綾歌郡東部とある、こにきしのおほきみ、軍王は渡来人か。
かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず
むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなきおれば
たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおおきみの
いでましの やまこすかぜの ひとりおる わがころもでに
あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも
くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに
あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる
あがしたごころ
第6番、反歌がある。
やまごしの かぜをときじみ ぬるよおちず いえにあるいもを
かけてしのひつ
国見の歌、遊猟の歌、遠征の歌と並び、舒明朝の歌となる。
前のふたつに比べ、この歌は技巧におよび、歌の内容も詳しく情景を描く。
軍王は百済系の人とされ、山を見て作る歌は望郷の歌と解釈されている。
この歌には左注があって、日本書記によれば讃岐の国への行倖はなかったとする。
軍王についても詳細はわからないとしている。
注には作歌事情の検証があり、そしてそのなかには、山上憶良に類聚花林という歌集の名が見える。
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。
この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店
雄略天皇の歌を雑歌の冒頭に置き舒明天皇の世が来る、西暦で言えば475年ころより、629年までをとぶ。
舒明朝から万葉集の歌が増える、ということは、その時代の歌がよまれたたことになる。
この構成はその後に続く時代に、この巻の成立をうかがわせることになる。
おそらく雑歌の部立ては万葉集三大部立ての相聞、挽歌に合わせたものである。
その部立てはまた、万葉集の歌の分類がほどこされる、編集であった、その雑歌とは何か。
儀礼的な歌とされることがあるのは、四季・恋・賀・哀傷・旅・別など以外の歌だからである。
明確に分類できない雑多のものをいうと、日本国語大辞典では説明して、次のように言う。
挽歌、相聞以外の歌すべてをいい、むしろ公的な、はれの歌、四季歌のような正統的な歌を含むとある。
さらに第5番歌になると、どうか。
讃岐の国の安益の郡にいます時に、軍王が山を見て作る歌
さぬきのくに、あやのこほり、香川県綾歌郡東部とある、こにきしのおほきみ、軍王は渡来人か。
かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず
むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなきおれば
たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおおきみの
いでましの やまこすかぜの ひとりおる わがころもでに
あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも
くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに
あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる
あがしたごころ
第6番、反歌がある。
やまごしの かぜをときじみ ぬるよおちず いえにあるいもを
かけてしのひつ
国見の歌、遊猟の歌、遠征の歌と並び、舒明朝の歌となる。
前のふたつに比べ、この歌は技巧におよび、歌の内容も詳しく情景を描く。
軍王は百済系の人とされ、山を見て作る歌は望郷の歌と解釈されている。
この歌には左注があって、日本書記によれば讃岐の国への行倖はなかったとする。
軍王についても詳細はわからないとしている。
注には作歌事情の検証があり、そしてそのなかには、山上憶良に類聚花林という歌集の名が見える。
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。
この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店