近代詩は詩の翻訳から始まっている。
新体詩抄は外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎らの詩集であるが、明治15年、1882年に刊行された。シェークスピア、テニソンなどの訳詩からなる。
漢詩、和歌に対する、新体詩の始まりとされる。
文語と七五調によって西洋詩 poetry を再現しようと試みtと言われる。
言文一致運動により、文語を用いるかどうかが、文語詩と口語詩、七五調などの音数律を用いる定型詩と自由詩を区別した。
文語定型詩、文語自由詩、口語定型詩、口語自由詩の分類が行われ、西洋式の詩を近代詩、さらに第2次大戦後のそれを現代詩と言うようになった。
短歌や俳句で音数律に従わないものは自由詩ではなく自由律と呼ばれている。
詩の韻律には日本文学の伝統である音数律があるが、一方で修辞技巧はやはり音韻律を工夫する。
詩のメーター、リズム、イントネーションによる。
リズムとメーターは日本語ではどちらも韻律と訳される。
メーターは韻文の確立されたパターンである。
西洋詩の伝統では、メーターは特徴となる韻脚と、行あたりの脚数によって分類されるのが通例と解説される。
ウイキペディアによると、弱強五歩格は1行につき5つの韻脚から成り、支配的な韻脚はアイアンブ、弱強格/短長格である。それに対し、リズムは詩行から実際に結果として得られた音のことになるようである。
韻脚については、次のようである。ウイキペディアより。
>verse(韻文、詩)における脚(foot)は、韻脚(いんきゃく)、詩脚(しきゃく)あるいは音歩と訳され、詩のrhythm(リズム、律動)の基本単位として、多くのmeter(韻律、格調)に用いられる。
例えば「Shall I compare thee to a summer's day?」(ウィリアム・シェイクスピア『Sonnet 18』)は、5つの韻脚から成っている。(「//」は韻脚の区切りで、太字は強いアクセント)。
Shall I // com-pare // thee to // a sum- // mer's day?
韻脚は特定の数の音節から成り、それは複数の言葉から成る場合(Shall I)も1語だけで成る場合(com-pare)もある。また、語が韻脚をまたいでもよい(sum- ・ mer's)。
多くの英語詩やドイツ語詩ではアクセントの強・弱(揚・抑)で韻律をつけるが、ギリシャ語やラテン語で書かれた古典詩は音量(quantity)つまり母音の長・短でつける。
>詩行のメーターはアイアンブ、強弱格であるといったように記述されうるが、言語がどこで休止または加速を引き起こすか、いかにメーターが言語の他の要素と相互作用するかといったリズムの完全な記述にはこれといった規定はない。韻律論はまたより特定的に、メーターを示すために詩行を解析することを指す場合もある。
世界大百科事典 第2版の解説
しんたいししょう【新体詩抄】
1882年(明治15)に丸善から刊行の日本最初の近代詩集。帝国大学(のちの東京大学)の教官外山正一(ゝ山(ちゆざん)),井上哲次郎(巽軒(そんけん)),矢田部良吉(尚今(しようこん))の共著で,3人の序文,翻訳詩14編,創作詩5編から成る。伝統的な短い詩形を近代には不向きなものと断定し,西洋詩の模倣を合言葉としたが,用語や発想は短歌を基礎としている。訳詩には《グレイ氏墳上感懐の詩》(尚今訳)や《ハムレット》の独白(第3幕第1場)の競訳(ゝ山と尚今)など注目すべきものがある。
世界大百科事典内の新体詩抄の言及
【歌論】より
…そうしたなかで,都合4度にわたる短歌否定論ないしは短歌滅亡論をめぐってのやりとりは,〈時代の詩〉としての問題,〈心〉と〈言葉〉の問題といった古典歌論以来の問題にあらたな角度から照明を当て,加えて西欧詩と日本の詩,伝統と現代,小説と詩といった新しい問題をとり込んで〈歌論〉の領域を広げ,かつ論点を深めたのであった。最初は,《新体詩抄》序(1882)にはじまるそれ,以下,尾上柴舟〈短歌滅亡私論〉(1910),釈迢空(ちようくう)(折口信夫)〈歌の円寂する時〉(1926),そして第2次大戦後の昭和20年代初頭のいわゆる〈第二芸術論〉時代,この4度である。歌の根拠,歌の存在理由を直接に問うたこれらの機会を典型的な場面として,〈歌論〉は文芸評論史のなかで独自の歩みを進めてきたのである。
【詩】より
…【荒井 健】
【日本の近代詩】
日本近代詩の歴史は,和歌,俳諧,漢詩など旧来の伝統的詩形に替わるものとしての西洋のポエトリーの移入によって始まったと,一応いうことができる。外山正一,矢田部良吉,井上哲次郎共著の《新体詩抄》(1882)が一時代を画したとされるのはそのためである。彼らは上述の伝統詩形に対する明治の新しいスタイルの詩という意気ごみで,自分たちの作ならびに訳詩を〈新体詩〉とよんだ。…
>漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする
>韻律論 (en:Prosody) は詩のメーター、リズム、イントネーションの研究である。リズムとメーターは密接に関係し合うものであり、日本語ではどちらも「韻律」と訳されることがあるが、別の概念である。メーターは韻文の確立されたパターン(例えば弱強五歩格など)であるのに対し、リズムは詩行から実際に結果として得られた音である。従って、詩行のメーターは「アイアンブ(強弱格)」であるといったように記述されうるが、言語がどこで休止または加速を引き起こすか、いかにメーターが言語の他の要素と相互作用するかといったリズムの完全な記述にはこれといった規定はない。韻律論はまたより特定的に、メーターを示すために詩行を解析することを指す場合もある。
新体詩抄は外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎らの詩集であるが、明治15年、1882年に刊行された。シェークスピア、テニソンなどの訳詩からなる。
漢詩、和歌に対する、新体詩の始まりとされる。
文語と七五調によって西洋詩 poetry を再現しようと試みtと言われる。
言文一致運動により、文語を用いるかどうかが、文語詩と口語詩、七五調などの音数律を用いる定型詩と自由詩を区別した。
文語定型詩、文語自由詩、口語定型詩、口語自由詩の分類が行われ、西洋式の詩を近代詩、さらに第2次大戦後のそれを現代詩と言うようになった。
短歌や俳句で音数律に従わないものは自由詩ではなく自由律と呼ばれている。
詩の韻律には日本文学の伝統である音数律があるが、一方で修辞技巧はやはり音韻律を工夫する。
詩のメーター、リズム、イントネーションによる。
リズムとメーターは日本語ではどちらも韻律と訳される。
メーターは韻文の確立されたパターンである。
西洋詩の伝統では、メーターは特徴となる韻脚と、行あたりの脚数によって分類されるのが通例と解説される。
ウイキペディアによると、弱強五歩格は1行につき5つの韻脚から成り、支配的な韻脚はアイアンブ、弱強格/短長格である。それに対し、リズムは詩行から実際に結果として得られた音のことになるようである。
韻脚については、次のようである。ウイキペディアより。
>verse(韻文、詩)における脚(foot)は、韻脚(いんきゃく)、詩脚(しきゃく)あるいは音歩と訳され、詩のrhythm(リズム、律動)の基本単位として、多くのmeter(韻律、格調)に用いられる。
例えば「Shall I compare thee to a summer's day?」(ウィリアム・シェイクスピア『Sonnet 18』)は、5つの韻脚から成っている。(「//」は韻脚の区切りで、太字は強いアクセント)。
Shall I // com-pare // thee to // a sum- // mer's day?
韻脚は特定の数の音節から成り、それは複数の言葉から成る場合(Shall I)も1語だけで成る場合(com-pare)もある。また、語が韻脚をまたいでもよい(sum- ・ mer's)。
多くの英語詩やドイツ語詩ではアクセントの強・弱(揚・抑)で韻律をつけるが、ギリシャ語やラテン語で書かれた古典詩は音量(quantity)つまり母音の長・短でつける。
>詩行のメーターはアイアンブ、強弱格であるといったように記述されうるが、言語がどこで休止または加速を引き起こすか、いかにメーターが言語の他の要素と相互作用するかといったリズムの完全な記述にはこれといった規定はない。韻律論はまたより特定的に、メーターを示すために詩行を解析することを指す場合もある。
世界大百科事典 第2版の解説
しんたいししょう【新体詩抄】
1882年(明治15)に丸善から刊行の日本最初の近代詩集。帝国大学(のちの東京大学)の教官外山正一(ゝ山(ちゆざん)),井上哲次郎(巽軒(そんけん)),矢田部良吉(尚今(しようこん))の共著で,3人の序文,翻訳詩14編,創作詩5編から成る。伝統的な短い詩形を近代には不向きなものと断定し,西洋詩の模倣を合言葉としたが,用語や発想は短歌を基礎としている。訳詩には《グレイ氏墳上感懐の詩》(尚今訳)や《ハムレット》の独白(第3幕第1場)の競訳(ゝ山と尚今)など注目すべきものがある。
世界大百科事典内の新体詩抄の言及
【歌論】より
…そうしたなかで,都合4度にわたる短歌否定論ないしは短歌滅亡論をめぐってのやりとりは,〈時代の詩〉としての問題,〈心〉と〈言葉〉の問題といった古典歌論以来の問題にあらたな角度から照明を当て,加えて西欧詩と日本の詩,伝統と現代,小説と詩といった新しい問題をとり込んで〈歌論〉の領域を広げ,かつ論点を深めたのであった。最初は,《新体詩抄》序(1882)にはじまるそれ,以下,尾上柴舟〈短歌滅亡私論〉(1910),釈迢空(ちようくう)(折口信夫)〈歌の円寂する時〉(1926),そして第2次大戦後の昭和20年代初頭のいわゆる〈第二芸術論〉時代,この4度である。歌の根拠,歌の存在理由を直接に問うたこれらの機会を典型的な場面として,〈歌論〉は文芸評論史のなかで独自の歩みを進めてきたのである。
【詩】より
…【荒井 健】
【日本の近代詩】
日本近代詩の歴史は,和歌,俳諧,漢詩など旧来の伝統的詩形に替わるものとしての西洋のポエトリーの移入によって始まったと,一応いうことができる。外山正一,矢田部良吉,井上哲次郎共著の《新体詩抄》(1882)が一時代を画したとされるのはそのためである。彼らは上述の伝統詩形に対する明治の新しいスタイルの詩という意気ごみで,自分たちの作ならびに訳詩を〈新体詩〉とよんだ。…
>漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする
>韻律論 (en:Prosody) は詩のメーター、リズム、イントネーションの研究である。リズムとメーターは密接に関係し合うものであり、日本語ではどちらも「韻律」と訳されることがあるが、別の概念である。メーターは韻文の確立されたパターン(例えば弱強五歩格など)であるのに対し、リズムは詩行から実際に結果として得られた音である。従って、詩行のメーターは「アイアンブ(強弱格)」であるといったように記述されうるが、言語がどこで休止または加速を引き起こすか、いかにメーターが言語の他の要素と相互作用するかといったリズムの完全な記述にはこれといった規定はない。韻律論はまたより特定的に、メーターを示すために詩行を解析することを指す場合もある。