文法は日本語文法となる。国語文法から日本語教育文法にシフトした。いつからかといえば、学校教育の国語文法が日本語文法になるのもそう遠いことではない。中学校に学習用文法として日本語文法が教科目にいれられると事情が変わる、そのときであろう。国語科目は存続する、そこに別置するような、需要が生まれるようになり、少ないとしても、日本語教育があれば、それで変わってくるだろうし、国語と日本語を比較対照できる国語プロパー教師はいない。何がどう変わるか。
平成から令和への時代に新たな衣が動き出している。学校文法にある国語の主語の概念は、教育文法の日本語で補語となる。かの主語廃止論による、主格補足語を唱える記述文法に依拠するようである。。
NINJAL
2021-02-08 | 思い遥かに
日本語教育センターにかかわって、あの当時、北区にあった研究棟の並びに、そこに面接に出かけたのだが、新棟は母屋を凌駕して、そのうちに国語方言研究と語彙データ研究は、日本語教育研究と肩を並べると感じたものだった。板橋から研究所までの道は商店街を抜けていたことを思い出す。
国立国語研究所は日本言語と言語学の研究所の看板を掲げ、その組織は改変を重ねている。
https://www.ninjal.ac.jp/info/aboutus/history/
>沿革 (略年表)
平成18 (2006) 年 4月 日本語教育部門を日本語教育基盤情報センターに改編
平成21 (2009) 年 3月 独立行政法人に係る改革を推進するための文部科学省関係法律の整備等に関する法律成立
平成21 (2009) 年10月 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立国語研究所 発足
管理部及び4研究系・3センター (理論・構造研究系,時空間変異研究系,言語資源研究系,言語対照研究系,研究情報資料センター,コーパス開発センター,日本語教育研究・情報センター)
平成28 (2016) 年4月 第3期中期目標・中期計画期間の開始に伴う体制整備 管理部及び研究系 (5研究領域) ・2センター
https://www.ninjal.ac.jp/info/director/
>所長メッセージ
2009年の人間文化研究機構への移管以降,国語研は日本語研究の基礎科学としての言語学の研究を視野に入れ,影山所長のもと短期間で実に多くのことを成し遂げてきました。理論研究の中心としての国際的注目度も年々高まっています。同時に,コーパスの充実など他の研究者に対する利便性を向上させました。これからの国語研はこのような方向性を維持しつつ,将来何十年,場合によっては何百年にもわたって残る研究成果を出すために,さらに基礎的な研究を充実させていくべきであると考えます。
「主語」というのは(現在の研究の主流である)欧語については必須に現れる、という建前はあるのですが、ラテン語だと「来た、見た、勝った」や「賽は投げられた」のように、「誰が?」に関しては省略されることも度々あります。命令文には主語は現れませんし、あるいは日記文学では主語を省略することがあるということです。
「述語においては、意味上の主語は要求されるものの、必ずしも表現上は現れない」という意味での「表現の上で現れた語」としての「補語」と謂った場合、「だったら『補語』の定義はどのようにあるべきか?」という話で、もう一度考え直す必要はありそうに思います。
「補語」というと、「場所」や「時刻」のような「相」に関わるもの、「到達格や方向格のような、必ずしも特定できないもの」、「主語のように、必ずしも表現上明らかにされないもの(たとえば「死ぬ!」と叫んだときに、「誰が死ぬのですか?」質問する人はあまりいませんし、「暑い!(形容詞ですから述語です)」という人に「誰が『暑い』と判断したのですか?」という話にはならりません。つーても「女性が多いと会議が長い」とか言ccじゃうような脇の甘い人がいたりするわけですが)」に関しては、「主要三格(「は」「を」「に」で指される格です)」以外の格について、いま一度検討・分析しておいたほうがよいように芋います。
季節のせいか体調を崩しておりまして、今年は梅もあまり見られませんでした。大田区の区の花は梅だそうで、池上梅園や平和島公園など梅見の場所は数々あるのに(T_T)。
「主要三格」という言葉はうっかり使ってしまいましたが、マイナーな世界では使われているものの、同じく余り一般的ではない国語学の世界では使われていると思っていました。
「主要三格」は、「日本語処理に関わっている」「(形態素解析ではなく)構文解析に関わっている」「『は』『が』は『格助詞』ではなく『とりたて詞』だと考える」という方々の間で使われる言葉です。まぁ、発祥はうちの所長なんですが (^_^)。
格助詞である「を」に関していえば、「をが」「をは」って言いませんよね?
同じく「にが」はありませんが、「には」はあります。
「から」「まで」他の「格助詞」には、とりたて詞である「は」「が」は、あまり接続しません(とはいうものの、「へは」「へが」は使用頻度が低くはありますが。このあたりは数値で押えているので、ご批判頂きたいと思っています)。
そういうわけで、
・「格助詞がなく、とりたて詞『は』『が』が一般的に使われる文法格」が「主格」
・「格助詞『を』で指標されるが、とりたて詞『は』『が』によって置換され指標される格」がある。
・「格助詞『に』で指標されるが、とりたて詞『は』によってとりたてられるが、『が』によっては置換される格」がある。
と、いうことで、「とりたて詞」との関係において「主要三格」という言葉を使っています。