外国語習得、言語学習にはきっかけがある。その地域で、その言語として身につけて育てば、母語あるいは国語である方言として、ことばがある。そこに母語でない、国語でない、他国の言語を学習するとなれば、どのようなきっかえがあるか。蛮族、蛮人という、夷狄とも称した、その言いは、言語を解しない人というとらえ方であったから、自他の言語の違いを地域によってまずは意識したことになる。そのように自分たちにわからない言語を学ぼうとしたかどうか、それはおそらく、逆で、ことばを押し付けようとすることから、文化衝突回避することがあったろう。しかしそこに、言語を異にして、さらに権力、腕力、暴力の差があると、それにともなって言語は学習の対象となることがある。言語学習は生じた地域に置けり民族と多民族の軋轢のためである。日本語教育、日本語学習、日本語教材と自覚的に行われる学修は、その目的によるところであるが、自覚されないまでも、言語意識の違いに、他国、他地域の言語を目標言語として、言語接触と文化摩擦を問題として解決を図ろうとする人々ん動機があった。それをとらえて、日本語教育史の前史に、留学僧、漂流民、そして通商の言語として見ることができる。
最新の画像[もっと見る]
- 満月 2ヶ月前
- さくら 240406 8ヶ月前
- さくら 240406 8ヶ月前
- さくら 240406 8ヶ月前
- さくら 240406 8ヶ月前
- 放春花 240331 8ヶ月前
- 放春花 240331 8ヶ月前
- 放春花 240331 8ヶ月前
- もんじ 2年前
- 東寺 2年前