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日本語文法の説58 文章の原理7

2019-08-18 | 日本語文法

蓋文章経国之大業、不朽之盛事。典論‐論文 文章は経国の事業という思想があった。文章はまた、もんじょう もんざう の読みである。詩文が作られて文学が栄えること、国家経営の大業とした政治思想とされる。文選の伝来とともに日本でも知られるようになったという。文学を重んじる発想と言ってよいが、いまの高等学府、大学にある文学部に、その理想を唱える人がいなくなってしまったが、わからなくなってしまったといってよい。>文章経国思想(もんじょうけいこくしそう) 漢詩文といった文学が国家の経営で重要とする考え。 中国の三国時代、魏の文帝(曹丕)が『典論』の「論文」で「文章は経国の大業不朽の盛事」と書いたことに由来する。https://nihonshiyougo.blog.fc2.com/blog-entry-1434.html




経国の大業 : 曹丕文章経国論考
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/index.php?...
和久希 著

ところで、ここに掲げた文章経国論は、後世、とくに近代以降の「文学」研究を中心として大いに注目され、ことに「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」との一文は、いわゆる「文学史」における画期をなすものと位置づけられてきた。


ウイキペディアより

魏の初代皇帝となった文帝(曹丕)が著した『典論』の中の1節
後に梁の時代に編纂された『文選』に『典論』が採録され(巻52)

桓武天皇以後、律令制の再建を目指す中で律令法の母国である中国の文物・制度を再度積極的に取り入れる動きが発生し、嵯峨天皇の弘仁年間に最盛期を迎えた。嵯峨天皇の時代には大学寮においては、漢文学や中国正史を扱う紀伝道の地位向上が図られ、『凌雲集』・『文華秀麗集』・『経国集』の勅撰漢詩集が編纂された。


大辞林 第三版の解説
ぶんしょうはけいこくのたいぎょうふきゅうのせいじ【文章は経国の大業不朽の盛事】
〔魏文帝(=曹丕そうひ)「典論」〕
すぐれた文章を作ることは国の大事業であり、永久に伝えられる不朽の事業である。

デジタル大辞泉の解説
文章(ぶんしょう)は経国(けいこく)の大業(たいぎょう)不朽(ふきゅう)の盛事(せいじ)
《魏文帝「典論」論文から》文章は、国を治めるための重大な事業であり、永久に朽ちることのない盛大な仕事である。

デジタル大辞泉の解説
もんじょう‐どう〔モンジヤウダウ〕【文章道】
律令制における大学寮の一科。中国の詩文および歴史を学ぶ学科。→紀伝道(きでんどう)


精選版 日本国語大辞典の解説
ぶんしょう【文章】 は 経国(けいこく)の大業(たいぎょう)不朽(ふきゅう)の盛事(せいじ)
(魏の曹丕の「典論‐論文」の「蓋文章経国之大業、不朽之盛事。年寿有二時而尽一、栄楽止二乎其身一。二者必至之常期、未レ若二文章之無一レ窮」による) 文学は国を治めるのに匹敵するほどの大事業で、永久に後の世に残る盛事である。文学は不滅で永遠に伝えられること。〔凌雲集(814)〕

精選版 日本国語大辞典の解説
もんじょう‐どう モンジャウダウ【文章道】
〘名〙 令制下の学制で、大学寮の学科の一つ。また、そこで学ばれた学問。紀伝道の俗称。中国の詩文および歴史を読み、漢詩文を作ることを学ぶ学科。令の官人登用試験の秀才・進士両科に対応する課程として次第に明経道から分離し、天平二年(七三〇)に教官・学生を具備する学科として制度的にも独立した。紀伝道とも呼ばれ、平安中期にはそれが公称となる。もんじょう。




日本語論78 口語文章、文語文章
2018-08-18 | 現代日本語百科

日本語の文章はどのように書かれてきたか。わたしたちの祖先は文章をどう書いたか。話し言葉と書き言葉とするが、そのそれぞれに文章があるということか。口語文、文語文という区別は近代になって意識されてきたのは言文二途のことからであるから、それをさかのぼって口語文章、文語文章をとくに示すものはない。文語文章が代表して日本語の文章であったのである。
しかし、実はここに日本語文章を明らかにしようとすると、文学作品には文章体である物語文学、説話文学などの作品に、随筆、日記、紀行などの文章を見ることになる。そしてこれらの和文には話しことばのもとになる句が認められる。歌句、唱句、佳句があり、歌説話、歌物語に和歌文学はその背景となる。そしてさらに、説話には漢文訓読の日本語文章があった。漢語を用いる文章は書き言葉としての伝統を持つことになり、それは漢学の才として官吏の教養であった。文章語は明治以降、近代社会に脈々と受け継がれて文語文と口語文の境界を形作った。


言文二途  日本語観5
2013-07-16 20:25:23 | 現代日本語百科

日本語が言文二途であることは言文一意運動を見てその歴史をさかのぼると、それは話しことばの断片と書きことばの記録を対比するようなことになる。漢語を入れて日本語とし和語と対比して記録するならどのような文体が生まれたか。和漢混交文体においてそれが現れるのでまとまった言語資料には平家物語などを思いつく。それはまた鎮魂を謡う口頭表現であったもの文字にして伝えようとした。日本語であるならその資料のままに言文を推測することにもなるが、和文体で書かれたものを言文一致とみる考え方もあるので物語文学や女流日記などに捉えることになる。しかしこれはそのような文体が文学作品のひとつに現われたということであって、書きことばはやはり取り入れた漢文日記があったので、その事実は言語の状況として言文二途である。しかし日本語観としてはどうとらえていたかの意識を探るのは困難でるが、言と文とが日本語であったこと、それはどこからわかるか。


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