大相撲で白鳳が40回になる、優勝をして、前人未到の大台にのせた。これで2017年を終わる。横綱の待った物言いという物議をかもす展開があった。それも場所中に起きた出来事に横綱の暴行事件があったから、それを影響したかとみるようなことであった。その世間を騒がせた横綱の所業は、モンゴル力士の会合でのことであったから、日本人社会とモンゴル出身の力士の会であったにもかかわらず、相撲協会の組織管理にまで出来事が及んだ。国技に相撲の神様とまで日本相撲としての体面をかけた。暴行と刑事訴訟になるか、年内にもその決着を図るというが、部屋住まいの親との人間関係、親方と弟子のあいだが、社会性の異なる様相を示している。
千秋楽、土俵サイドで放送局による恒例の優勝者インタビューが行われる。そこで横綱による万歳三唱があった。ファンは喜んでいたように、唱和していた。水を差してしまったようななことをしたと詫びていたから、その流れで、事件の二人の力士が土俵に上がれるようにも語った後である。まだこれから場所後の調査が行われる。
18日に書いた、ブログは、次である。そのときには没にしている。
どうもはめられている、どうにもはまっている。横綱だから、国技だから、その沙汰には、取りざたすることなく、かつての兄貴分と同じように、追放のことになる、というほどに、はめられてしまった。角界の事情を特殊に見ることで、外様は失脚するように仕組まれているとみえてならない。診断書が2通出てきたら、真逆となる証明は、これはもはや明らかなことである。わたしには同郷人の宴会に起きたことだから、そこで処理すれば済むことに、カラオケの室がそうでなくなって、ビール瓶をもってする暴力行為と漏れ出たニュースが、そのニュースソースがあやしい決めてとなり、異郷の処分が行われようとする事態である。どうにもやりきれない。道教異教ではない、同郷異郷の境目はこの世にあって、いかんともしがたく、解きほぐすこと、明らめること、国の、郷の立ち行くことがらである。国難、国情は奇しくもそこにあるのである。