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ゼミ文化

2017-11-27 | 木瓜日記

文化には伝統、当代そして現代と時系列に捉えるが、そこに空間を見れば地域の文化がある。文化は文明とともに精神遺産を遺跡遺物にとどめる。そこに文化の価値があると特徴において差があるから、文化に違いがあっても、その価値は不変である。その文化を支える人々は家族であり地域住民であり民族である。文化の担い手、継承者があることは文化を存在として評することができる。そのような文化のとらえ方でゼミ文化とはこれいかに、である。








ゼミ文化
2006年11月28日01:20

そうだね、ゼミ文化ってあるかもしれない
文化をいろいろ議論しだしてから日本社会には企業文化があると
その封建的なニュアンスをこめてと文化との関係を取りざたして言うようになったから
日本企業に勤めようとする日本語学習者には企業の文化はそれぞれでまた難しいことなんだよね

ゼミ文化はコースの言語によっても出来上がるから
もとより言語が違う異文化の集団のようにいわれていた
そのなかで日本語はコース内でも異文化だとされてしまって
それは徐々に見えてきたんだけれど知らぬは仏のたとえの通りだった

ゼミ選択をどうするかでひょいと見たら
コースの選択を言コミと同じようにやっているところがあって
現代社会の一部では、といってもほとんどがそうなのだけれど、ひとつだけが3年次ゼミで、2年からゼミにわかれている
これはよい点としたものだろうけれど言わば1年次で教養を終えて専門コース3年在籍のかたちで出来上がっている
コース内容からすれば専門性でこれはこれでやりよいだろう

コミュニケーションが取れるか取れないかで
異言語の異文化のと見られてきた言コミは実際に
共通言語が日本語であることを超えてしまって
英語それぞれ、中国語、そして日本語となった

このコミュニケーションの壁はなんだろうか
だからゼミ文化を仮定しなければと
考えてしまう異言語異文化集団に
共通日本語が存在していない

日本語論で異言語を教えて日本語を教える時間が限られて
ところとときを変えて日本語を学ぶ空間が映像で占められる
いつも同じ日本語以外の材料で行われるのは興味を引くため
そこに出来上がる疑似日本語ゼミ文化に言語の基礎はないのではないか

これでは授業は面白いだろうかとも思ってしまう
しかし基礎を学習していないからだが
基礎がないのは常識ができない
常識がないと目先に奪われてしまう

ゼミ文化はおもしろく楽しくをモットーに
基礎から応用へとステップアップする中で
着実に自らのスタイルを作り上げることが
専門性と技術を思考作用にもたらすのだ

ゼミを選ぶあなたにゼミ文化を考えてはいかが


コメント
2006年11月28日 22:36
not only 日本語論 but also 日本語教育入門 でも異言語
そして映像を通した日本語

コメント
p2006年11月29日 18:43
ゼミ語というのを考えてもいいでしょう。
そのゼミにいると決まって聞こえてくる師匠の繰言をいつの間にかゼミ語を習得するように聞いていて、抵抗するはずの品格にもいつしか馴らされて、げに言語はコミュニケーションの手段であって、こころざしも同じくしてしまうようなところがあります。
ショウネンよタイシをイダケ。





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