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思い出の記 旅券

2017-05-24 | まさごと
1985年から中国の出張は年をおって、1989年のときをのぞいて、ほぼ出かけている。訪問地は、大連、上海、北京、天津、南京などを旅行し講義に出かけて、短期出張を繰り返した。

パンフレットに寄せた随想があるので採録をしておこう。
タイトルは、旅券がのこすところ 2008年1月に書いている。

> 旅券がのこすところ1年である。1998年12月からの10年ものだ。そろそろ更新をしなければならないが、あと何回作成して使うだろうと、赤い表紙を見つめている。  

この書き出しは旅券の期限が2008年までのものである。ふと、そうだと、いまの手元の旅券に気づいて、更新時期が2017年、この記事から10年をまた過ごしているから、その時期が来ている。ここにあるようにその後の1回、2回とすれば、もうすぐにも傘寿である。

さて、続けて文章に綴ったのは、次である。 

> 出入国記録を繰ってみた。査証を必要とした渡航が8回ある。ほとんどが中国への業務であった。その査証を必要としたのは時期にも長期という方が適切だ。思い起こせば、1984年に在北京、日語教育専門家として中国訪問したのが始まりだった。それから数えると30回近くの往復がある。いまのより古い5年ものの旅券で日本語教育に関係したものでは、日語教学研究会の招請で集中講義、大学間国際交流協定の締結、協定による訪問と講義、そして中国政府奨学金を受けた留学がある。年に1回か、2回の旅行だったと、思い出して感慨深い。

 そして、2000年以降の記録が本学とのかかわりだ。年次ごと、1回ずつ回数が増えて、2005年には5回、プロジェクトの研究で訪ねているのは、日本語教育カリキュラムの実験のためであった。2006年には2回、あらためて2007年には3回の往復があることに気づく。日本語教育の海外研修が行われているので、毎年9月に南京を訪れるが、それを含めて調査研究と講演のために出かけている。この年末に研究協力をするので、また行かなければならない。随想が印刷されるころには、出張中だろう。

 日本語教育に携わると、その業務は予定通りの旅のために、あわただしく過ぎる。短期に駆け足旅行をして帰るだけであるので、中国語もなかなか修得できない。大学の交流に貢献できれば、コミュニケーションの極みでもあろうかと、本学の交流協定校へと出かける。かの地では日本人と思われなくなってきたようであるから、ますますこの旅券はアイデンティティーのために重要であるかと、思いをかみしめている。


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