現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

軍事出兵

2014-05-05 | 日本語どうなるの?
1874年の台湾出兵に始まり71年間もアジアに向かって軍事侵攻し戦争をし続けた国であるという説明は、71年間を、1945年までのこととしているようである。

また軍事侵攻を出兵ともみるなかで、琉球王国と薩摩藩また清の関係に見るとらえ方があり、軍事出兵は琉球王国が江戸時代にもった日本薩摩藩と中国の清の間で両属していた事実による。
冊封、朝貢関係とみれば、そこには国と国の関係に於ける歴史事情がある。

あるいは秀吉の朝鮮出兵、さらには古代朝鮮半島の争乱に及ぶ。

いずれも、近代における日清、日露の戦争にかかわれば、日本による出兵の事実はとらえられてよい。それにはシベリア出兵、そしてまた山東出兵となる。



ウイキペディアによる。
>台湾出兵は、1874年(明治7年)に明治政府が行った台湾への軍事出兵である。明治政府と日本軍が行った最初の海外派兵である。牡丹社事件、征台の役、台湾事件とも呼ばれる。
>日本と清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球にたいし清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。
1879年(明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年(明治13年)の北京での交渉において、日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島の領有は望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。琉球の帰属問題が日清間で最終的に解決するのは、日清戦争における日本の勝利を待たなければならなかった。


出兵に近い言葉→台湾出兵|山東出兵|朝鮮出兵|シベリア出兵|豊臣秀吉の朝鮮出兵




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。