24節気のこの日、格別の思いがある。けいちつ、春の兆候である。次は再録である。節気を季の字で書いている。中には、節気としているので24節気と書くべきであった。格別の思いというのは、啓の文字にあった。ただそれだけであったのであるが、ふと調べていくうちに、おどろくなかれ、中国では、驚蟄であったのである。文字づかいをどう思うかである。また、この日について虫が這い出てくるとする季節感は楽しい。立春を過ぎてこの日を待ちわびるような思いだ。定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ、というのだから、この測定で太陽の運行を見る限りは、変わらない日となる。つまり、命名と実体の様相は一致すると考えてよいのだろう。啓蟄の期間の七十二候の文言はこれもまた楽しい。
ウイキペディアより。
>啓蟄の期間の七十二候は以下の通り。
初候
蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく):冬蘢りの虫が出て来る(日本)
桃始華(もも はじめて はなさく):桃の花が咲き始める(中国)
次候
桃始笑(もも はじめて わらう):桃の花が咲き始める(日本)
倉庚鳴(そうこう なく):山里で鶯が鳴き始める(中国)
末候
菜虫化蝶(なむし ちょうと けす):青虫が羽化して紋白蝶になる(日本)
鷹化為鳩(たか けして はとと なる):鷹が郭公に姿を変える(中国)
>現代日本語百科と銘打っているのだから、そのもとに、書き込まれるのがよいだろう。
24節季の啓蟄である。立春、雨水を過ぎ、3月6日からこの候となる。春分までの間をとらえて、四季の自然の恵みが現れる。命のうごめきとそれがさまざまに開くときである。
啓蟄の啓の字について開くまたは開けるに通ずると理解していたが、あるとき、中国の暦では驚蟄であることを知った。調べてみて季節の目覚めの時であったというわけだ。それではなぜ日本の節気と違う文字なのか疑問になっていろいろ見て行き当たったのが避諱ということだ。それは維基のなかで項目がヒットした。
実は正月の語についてこれはなぜこの文字を使うのかと調べ始めたことによる。結果からいえば正月についても中国では政月というのであったが、その文字使いに正月を決めている。これが同じ文字になる呼び名を避けるということだ。わたしが調べてから、かどうかは、わからないが、いまそれはずいぶんと説明がされるようになってきたので、詳しくすることができるようになった。
啓も正も、それを使わない理由があったのである。おもしろいことに、日本語には啓は啓蟄の語でそのまま使うようになって、政は正月となっていることだ。伝播の仕方がことなるのか、暦と月の呼び方の人口に膾炙した違いかもしれない。ちなみに正月は異名ではなくて別名なのである。
大辞林 第三版の解説
せっき【節季】
①季節の終わり。時節の終わり。時節。
②年の暮れ。年末。歳末。12月。 [季] 冬。
③勘定の締めくくりをする時期。普通,盆と暮れの二回。 「 -に帳かたげた男の顔を見ぬを嬉しや/浮世草子・永代蔵 2」
知恵蔵2014の解説
春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことである。「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味がある。もともとは、陰暦(太陰太陽暦)で用いられていた二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ。陰暦では、毎年の日数が違い、暦と季節がずれていたため、これを調整するために工夫されたものが二十四節気である。太陽が真東から昇り真西に沈み、昼夜の長さがほぼ同じになる「春分」を起点(黄経0度)として、太陽が1年間に動く黄道上の動きを15度ごとに24等分し、季節を示す基準とした。二十四節気では、全体を春夏秋冬の四つの季節に区分し、さらにそれを三つの月に分けている。一つの月には、二つの等分を割り当て、前半の等分を「節気」、後半の等分を「中気」とし、それぞれの等分点を太陽が通過するときの時候を表わす名称を「正月節立春」「正月中雨水(うすい)」「二月節啓蟄」「二月中春分」「三月節清明(せいめい)」「三月中穀雨(こくう)」などとした。このうち、黄経345度、陰暦の2月前半を表す「二月節啓蟄」が、表題の「啓蟄」の由来である。現在の太陽暦の3月6日ごろに当たる。
ウイキペディアより。
>啓蟄の期間の七十二候は以下の通り。
初候
蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく):冬蘢りの虫が出て来る(日本)
桃始華(もも はじめて はなさく):桃の花が咲き始める(中国)
次候
桃始笑(もも はじめて わらう):桃の花が咲き始める(日本)
倉庚鳴(そうこう なく):山里で鶯が鳴き始める(中国)
末候
菜虫化蝶(なむし ちょうと けす):青虫が羽化して紋白蝶になる(日本)
鷹化為鳩(たか けして はとと なる):鷹が郭公に姿を変える(中国)
>現代日本語百科と銘打っているのだから、そのもとに、書き込まれるのがよいだろう。
24節季の啓蟄である。立春、雨水を過ぎ、3月6日からこの候となる。春分までの間をとらえて、四季の自然の恵みが現れる。命のうごめきとそれがさまざまに開くときである。
啓蟄の啓の字について開くまたは開けるに通ずると理解していたが、あるとき、中国の暦では驚蟄であることを知った。調べてみて季節の目覚めの時であったというわけだ。それではなぜ日本の節気と違う文字なのか疑問になっていろいろ見て行き当たったのが避諱ということだ。それは維基のなかで項目がヒットした。
実は正月の語についてこれはなぜこの文字を使うのかと調べ始めたことによる。結果からいえば正月についても中国では政月というのであったが、その文字使いに正月を決めている。これが同じ文字になる呼び名を避けるということだ。わたしが調べてから、かどうかは、わからないが、いまそれはずいぶんと説明がされるようになってきたので、詳しくすることができるようになった。
啓も正も、それを使わない理由があったのである。おもしろいことに、日本語には啓は啓蟄の語でそのまま使うようになって、政は正月となっていることだ。伝播の仕方がことなるのか、暦と月の呼び方の人口に膾炙した違いかもしれない。ちなみに正月は異名ではなくて別名なのである。
大辞林 第三版の解説
せっき【節季】
①季節の終わり。時節の終わり。時節。
②年の暮れ。年末。歳末。12月。 [季] 冬。
③勘定の締めくくりをする時期。普通,盆と暮れの二回。 「 -に帳かたげた男の顔を見ぬを嬉しや/浮世草子・永代蔵 2」
知恵蔵2014の解説
春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことである。「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味がある。もともとは、陰暦(太陰太陽暦)で用いられていた二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ。陰暦では、毎年の日数が違い、暦と季節がずれていたため、これを調整するために工夫されたものが二十四節気である。太陽が真東から昇り真西に沈み、昼夜の長さがほぼ同じになる「春分」を起点(黄経0度)として、太陽が1年間に動く黄道上の動きを15度ごとに24等分し、季節を示す基準とした。二十四節気では、全体を春夏秋冬の四つの季節に区分し、さらにそれを三つの月に分けている。一つの月には、二つの等分を割り当て、前半の等分を「節気」、後半の等分を「中気」とし、それぞれの等分点を太陽が通過するときの時候を表わす名称を「正月節立春」「正月中雨水(うすい)」「二月節啓蟄」「二月中春分」「三月節清明(せいめい)」「三月中穀雨(こくう)」などとした。このうち、黄経345度、陰暦の2月前半を表す「二月節啓蟄」が、表題の「啓蟄」の由来である。現在の太陽暦の3月6日ごろに当たる。
指紋は唯一無二である
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