孔子22話 子貢の計略
2014-09-13 中国歴史ドラマ
六国の撤兵を求めて斉を訪れた子貢は、斉王と会えないことも気に留めず、妓女を借り切って豪遊する。だが子貢はただ遊んでいたわけではなく、実はそうすることで人脈を得ようとしていたのだった。ある妓女を通じて景公の寵姫に密かに会った子貢は、ついに景公との面会を取り付ける。彼の働きによって六国の兵が引き上げた後、孔丘は新たに兵を集めて鍛え、農耕のために牛を買いつけて民のために動き始めるが……。
以上はwowowオンラインのあらすじである。
T:『史記』 司馬遷
V:067:巻六十七
B:067:仲尼弟子列伝第七
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端木賜(子貢)
端木賜、衛人、字子貢。少孔子三十一歳。
子貢利口巧辞、孔子常黜其弁。
問曰「汝与回也孰愈。」対曰「賜也何敢望回。回也聞一以知十、賜也聞一以知二。」
子貢既已受業、問曰「賜何人也。」孔子曰「汝器也。」曰「何器也。」曰「瑚也。」
陳子禽問子貢曰「仲尼焉学。」子貢曰「文武之道未墜於地、在人、賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文武之道。夫子焉不学、而亦何常師之有。」
又問曰「孔子適是国必聞其政。求之与。抑与之与。」子貢曰「夫子温良恭倹譲以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之也。」
子貢問曰「富而無驕、貧而無諂、何如。」孔子曰「可也。不如貧而楽道、富而好礼。」
端木賜(たんぼくし)は衛人、字は子貢、孔子よりも少(わか)きこと三十一歳。子貢、利口巧辞(りこうこうじ)なり。孔子常に其の辯(べん)を黜(しりぞ)く。問ひて曰く、汝と囘(かい)と敦(いづ)れか愈(まさ)る、と。對(こた)へて曰く、賜(し)や何ぞ敢(あへ)て囘(かい)を望まん。囘や一を聞きて以て十を知る。賜や一を聞きて以て二を知るのみ、と。子貢既(すで)に已(すで)に業を受く。問ひて曰く、賜は何人ぞや、と。孔子曰く、汝(なんじ)は器(き)なり、と。曰く、何の器ぞや、と。曰く、瑚(これん)なり、と。陳子禽(ちんしきん)、子貢に問ひて曰く、仲尼は焉(いづ)くにか学べる、と。子貢曰く、文・武の道、未だ地に墜(お)ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文・武の莫道有らざる(な)し。夫子焉(いづ)くにか学ばざらん。而うして亦(また)何の常師(じょうし)か之れ有らん、と。又問ひて曰く、孔子、是の國に適(ゆ)く、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之を求むるか、抑々(そもそも)之を與(あた)ふるか、と。子貢曰く、夫子は温(おん)良(りょう)恭(きょう)儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるなり、と。子貢問ひて曰く、富みて驕(おご)る無く、貧しくして諂(へつら)ふ無きは何如(いかん)、と。孔子曰く、可なり。貧しくして道を楽しみ、富みて禮を好むに如かず、と
田常欲作乱於斉、憚高、国、鮑、晏、故移其兵欲以伐魯。
孔子聞之、謂門弟子曰「夫魯、墳墓所処、父母之国、国危如此、二三子何為莫出。」
子路請出、孔子止之。子張、子石請行、孔子弗許。子貢請行、孔子許之。
田常(でんじょう)、亂(らん)を齊に作(な)さんと欲し、高(かう)・國(こく)・鮑(ほう)・晏(あん)を憚(はばか)る。故に其の兵を移し、以て魯を伐(う)たんと欲す。孔子、之を聞き、門弟子に謂(い)ひて曰く、夫(そ)れ魯は墳墓(ふんぼ)の處(あ)る所、父母の國なり。國の危(あやふ)きこと此(か)くの如(ごと)し。二三子(にさんし)、何為(す)れぞ出づる莫(な)き、と。子路出(い)でんと請(こ)ふ。孔子之を止(とど)む。子張(しちょう)・子石(こせき)、行(ゆ)かんと請(こ)ふ。孔子許(ゆる)さず。子貢行かんと請ふ。孔子之を許す。
遂行、至斉、説田常曰「君之伐魯過矣。夫魯、難伐之国、其城薄以卑、其地狭以泄、其君愚而不仁、大臣偽而無用、其士民又悪甲兵之事、此不可与戦。君不如伐呉。夫呉、城高以厚、地広以深、甲堅以新、士選以飽、重器精兵尽在其中、又使明大夫守之、此易伐也。」
田常忿然作色曰「子之所難、人之所易。子之所易、人之所難而以教常、何也。」
遂(つひ)に行き、齊に至り、田常(でんじょう)に説きて曰く、君の魯を伐(う)つは過(あやま)てり。夫(そ)れ魯は伐ち難(がた)きの國なり。其の城は薄くして以て卑(ひく)く、其の池(いけ)は狭(せま)くして以て浅(あさ)し。其の君は愚(ぐ)にして不仁(ふじん)、大臣は偽(いつは)りて用(よう)無し。其の士民(しみん)、又甲兵(こうへい)の事を悪(にく)む。此(こ)れ與(とも)に戦ふべからず。君、呉を伐つに如(し)かず。夫(そ)れ呉は城高くして以て厚く、池は廣(ひろ)くして以て深く、甲は堅くして以て新たに、士は選(せん)にして以て飽(あ)く。重器(じゅうき)・精兵(せいへい)、盡(ことごと)く其の中(うち)に在り。又明大夫(めいたいふ)をして之を守らしむ。此れ伐ち易(やす)し、と。田常、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰く、子(し)の難(かた)しとする所は、人の易しとする所、子(し)の易しとする所は、人の難しとする所なり。而(しか)るに以て常(じょう)に教(おし)ふるは何ぞや、と。
子貢曰「臣聞之、憂在内者攻強、憂在外者攻弱。今君憂在内。吾聞君三封而三不成者、大臣有不聴者也。今君破魯以広斉、戦勝以驕主、破国以尊臣、而君之功不与焉、則交日疏於主。是君上驕主心、下恣群臣、求以成大事、難矣。夫上驕則恣、臣驕則争、是君上与主有卻、下与大臣交争也。如此、則君之立於斉危矣。故曰不如伐呉。伐呉不勝、民人外死、大臣内空、是君上無強臣之敵、下無民人之過、孤主制斉者唯君也。」
田常曰「善。雖然、吾兵業已加魯矣。去而之呉、大臣疑我、奈何。」
子貢曰「君按兵無伐、臣請往使呉王、令之救魯而伐斉、君因以兵迎之。」
田常許之、使子貢南見呉王。
子貢曰く、臣(しん)之を聞く、憂(うれ)ひ、内に在る者は彊(つよ)きを攻め、憂(うれ)ひ、外(そと)に在(あ)る者は弱きを攻(せ)む、と。今、君の憂ひは内に在り。吾(われ)聞く、君三たび封(ほう)ぜられんとして三たび成(な)らざる者は、大臣、聴かざる者有ればなり、と。今、君、魯を破りて以て齊を廣(ひろ)くせんとす。戦ひ勝ちて以て主を驕(おご)らせ、國を破りて以て臣を尊(たっと)くし、而(しこ)うして君の功(こう)焉(これ)に與(あづ)からず。則ち交(まじ)はり日(ひ)に主に疏(うと)からん。是れ君、上(かみ)は主の心を驕(おご)らし、下(しも)は羣臣(ぐんしん)を恣(ほしい)ままにするなり。以て大事を成すを求むるは難(がた)し。夫(そ)れ上(かみ)、驕(おご)れば則ち恣(ほしい)ままに、臣、驕れば則ち争ふ。是れ君、上は主と郤(でき)有り、下は大臣と交々(こもごも)争ふなり。此(か)くの如くならば則ち君の齊に立つこと危(あやふ)からん。故に曰く、呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人、外(そと)に死し、大臣、内に空(むな)しからん。是れ君、上(かみ)は彊臣(きょうしん)の敵無く、下(しも)は民人の過(とが)目無く、主を弧(こ)にし齊を制する者は唯だ君なり、と。田常(でんじょう)曰く、善し。然りと雖(いえど)も、吾が兵、業(すで)に已(すで)に魯に加(くは)ふ。去りて呉に之(ゆ)かば、大臣、我を疑(うたが)はん。柰何(いかん)せん、と。子貢曰く、君、兵を按(あん)じて、伐つ無かれ。臣請(こ)ふ、往(ゆ)きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて齊を伐たしめん。君因(よ)りて兵を以て之を迎へよ、と。田常之を許す。子貢をして南のかた呉王に見(まみ)えしむ。
説曰「臣聞之、王者不絶世、霸者無強敵、千鈞之重加銖両而移。今以萬乗之斉而私千乗之魯、与呉争強、窃為王危之。且夫救魯、顕名也。伐斉、大利也。以撫泗上諸侯、誅暴斉以服強晋、利莫大焉。名存亡魯、実困強斉。智者不疑也。」
説(と)きて曰く、臣、之を聞く、王者は世を絶(た)たず、覇者は敵を彊(つよ)くする無し、と。千鈞(せんきん)の重きも、銖兩(しゅりょう)を加(くわ)へて移る。今、萬乗(ばんじょう)の齊を以てして、千乗(せんじょう)の魯を私(わたくし)し、呉と彊(つよ)きを争はんとす。竊(ひそ)かに王の為に之を危(あや)ぶむ。且(か)つ夫(そ)れ魯を救ふは顕名(けんめい)なり。齊を伐つは大利(だいり)なり。以て泗上(しじょう)の諸侯を撫(ぶ)し、暴(ぼう)齊を誅(ちゅう)し以て彊晋(きょうしん)を服(ふく)せんこと、利、焉(これ)よりも大なるは莫(な)し。名は亡(ぼう)魯を存し、實(じつ)は彊(きょう)齊を困(くる)しむなり。智者は疑はざるなり、と。
呉王曰「善。雖然、吾嘗与越戦、棲之会稽。越王苦身養士、有報我心。子待我伐越而聴子。」
子貢曰「越之勁不過魯、呉之強不過斉、王置斉而伐越、則斉已平魯矣。且王方以存亡継絶為名、夫伐小越而畏強斉、非勇也。夫勇者不避難、仁者不窮約、智者不失時、王者不絶世、以立其義。今存越示諸侯以仁、救魯伐斉、威加晋国、諸侯必相率而朝呉、霸業成矣。且王必悪越、臣請東見越王、令出兵以従、此実空越、名従諸侯以伐也。」
呉王大説、乃使子貢之越。
呉王曰く、善し。然りと雖(いえど)も吾嘗(かつ)て越と戦ひ、之を會稽(かいけい)に棲(す)ましむ。越王、身を苦しめ士を養(やしな)ひ、我に報(むく)ゆるの心有り。子、我が越を伐(う)つを待て、而(しこ)うして子(し)に聴かん、と。子貢曰く、越の勁(つよ)きは魯に過ぎず。呉の彊(つよ)きは斉に過ぎず。王、斉を置きて越を伐(う)たば、則ち斉已(すで)に魯を平らげん。且つ王、方(まさ)に亡(ぼう)を存し絶を継ぐを以て名と為す。夫(そ)れ小越を伐ちて彊(きょう)斉を畏るるは、勇に非ず。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約を窮(くる)しめず、智者は時を失はず、王者は世を絶(た)たず、以て其の義を立つ。今、越を存し、諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威を晋国に加へば、諸侯必ず相率(あいひき)いて呉に朝し、覇業成らん。且つ王必ず越を悪(にく)まば、臣請(こ)ふ東のかた越王に見(まみ)え、兵を出(い)だして以て従(したが)はしめん。此れ實は越を空(むな)しくし、名は諸侯を従へて以て伐つなり、と。呉王大いに説(よろこ)び、乃(すなは)ち子貢をして越に之(ゆ)かしむ。
越王除道郊迎、身御至舍而問曰「此蛮夷之国、大夫何以儼然辱而臨之。」
子貢曰「今者吾説呉王以救魯伐斉、其志欲之而畏越、曰『待我伐越乃可』。如此、破越必矣。且夫無報人之志而令人疑之、拙也。有報人之志、使人知之、殆也。事未発而先聞、危也。三者挙事之大患。」
句践頓首再拝曰「孤嘗不料力、乃与呉戦、困於会稽、痛入於骨髄、日夜焦脣乾舌、徒欲与呉王接踵而死、孤之願也。」
遂問子貢。
越王、道を除(はら)ひて郊迎(こうげい)し、身(みづか)ら御(ぎょ)して舎(しゃ)に至り、問ひて曰く、此れ蠻夷(ばんい)の國(くに)なり、大夫(たいふ)何を以てか儼然(げんぜん)として辱(かたじけな)くも之に臨(のぞ)める、と。子貢曰く、今者(このごろ)、吾、呉王に説くに魯を救(すく)ひ斉を伐(う)つを以ってす。其の志(こころざし)、之を欲すれども越を畏(おそ)る。曰く、我が越を伐つを待たば、乃(すなは)ち可なり、と。此(か)くの如くならば越を破らんこと必(ひつ)せり。且(か)つ夫(そ)れ人に報(むく)ゆるの志(こころざし)無くして、人をして之を疑(うたが)はしむるは、拙(せつ)なり。人に報(むく)ゆるの意有りて人をして之を知らしむるは、殆(たい)なり。事未(いま)だ発せずして先づ聞こゆるは、危なり。三つの者は事を挙(あ)ぐるの大患(だいかん)なり、と。句踐(こうせん)頓首(とんしゅ)再拝(さいはい)して曰く、孤(われ)嘗(かつ)て力を料(はか)らず、乃(すなは)ち呉と戦ひて會稽(かいけい)に困(くる)しめられ、痛み骨髄(こつずい)に入る。日夜、唇を焦がし舌を乾かし、徒(ただ)に呉王と踵(くびす)を接して死せんと欲す、孤(われ)願ひなり、と。遂(つひ)に子貢に問ふ。
子貢曰「呉王為人猛暴、群臣不堪。国家敝以数戦、士卒弗忍。百姓怨上、大臣内変。子胥以諫死、太宰O用事、順君之過以安其私、是残国之治也。今王誠発士卒佐之徼其志、重宝以説其心、卑辞以尊其礼、其伐斉必也。彼戦不勝、王之福矣。戦勝、必以兵臨晋、臣請北見晋君、令共攻之、弱呉必矣。其鋭兵尽於斉、重甲困於晋、而王制其敝、此滅呉必矣。」
越王大説、許諾。
送子貢金百鎰、剣一、良矛二。子貢不受、遂行。
子貢曰く、呉王、ひとと為り猛暴(もうぼう)にして、羣臣(ぐんしん)堪(た)へず。国家數々(しばしば)戦ふに敝(つか)れ、士卒(しそつ)忍びず、百姓(ひゃくせい)上(かみ)を怨み、大臣内に變(へん)ず。子胥(ししょ)諌(いさめ)を以て死し、太宰(たいさい)嚭(ひ)、事を用ゐ(もちい)、君の過ちに順(したが)ひ、以て其の私を安んず。是れ國を殘(そこな)ふの治(ち)んり。今、王、誠に士卒を発し之を佐(たす)けて、以て其の志を徼(むか)へ、重寶(じゅうほう)以て其の心を説(よろこ)ばしめ、辭(ことば)を卑(ひく)くして以て其の禮を尊くせば、其の斉を伐たんこと必せり。彼戦ひて勝たずば、王の福(さいわい)なり。戦いて勝たば、必ず兵を以て晋に臨(のぞ)まん。臣請(こ)ふ、北のかた晋君に見(まみ)え、共に之を攻めしめん。呉を弱くせんこと必(ひつ)せり。其の鋭兵(えいへい)は斉に盡(つ)き、重甲(じゅうこう)は晋に困(くる)しまん。而(しか)うして王、其の敝(へい)を制せば、此れ呉を滅ぼさんこと必(ひつ)せり、と。越王大いに説(よろこ)び、許諾す。子貢に金百鎰(ひゃくいつ)・劔一(けんいち)・良矛(りょうぼう)ニを送る。子貢受けず、遂に行(さ)る。
報呉王曰「臣敬以大王之言告越王、越王大恐、曰『孤不幸、少失先人、内不自量、抵罪於呉、軍敗身辱、棲于会稽、国為虚莽、頼大王之賜、使得奉俎豆而修祭祀、死不敢忘、何謀之敢慮』。」
后五日、越使大夫種頓首言於呉王曰「東海役臣孤句践使者臣種、敢修下吏問於左右。今窃聞大王将興大義、誅強救弱、困暴斉而撫周室、請悉起境内士卒三千人、孤請自被堅執鋭、以先受矢石。因越賤臣種奉先人蔵器、甲二十領、屈盧之矛、歩光之剣、以賀軍吏。」
呉王大説、以告子貢曰「越王欲身従寡人伐斉、可乎。」子貢曰「不可。夫空人之国、悉人之衆、又従其君、不義。君受其幣、許其師、而辞其君。」
呉王許諾、乃謝越王。於是呉王乃遂発九郡兵伐斉。
呉王に報じて曰く、臣、敬(つつし)みて大王の言を以て越王に告ぐ。越王大いに恐れて曰く、孤(われ)、不幸にして、少(わか)くして先人を失(うしな)ひ、内、自ら量(はか)らず、罪に呉に抵(あた)り、軍敗れ身辱(はずかし)められ、会稽(かいけい)に棲(す)み、國、虚莽(きょぼう)と為る。大王の賜(たまもの)に頼(よ)り、爼豆(そとう)を奉(ほう)じ祭祀を修むるを得しむ。死すとも敢(あへ)て忘れず。何の謀(はかりごと)をか之れ敢慮(おもんばか)らんや、と。後五日、越、大夫種(しょう)をして頓首(とんしゅ)して呉王に言はしめて曰く、東海の役(えき)孤(われ)句踐(こうせん)の使者臣(しん)種(しょう)、敢て下吏(かり)を修め、左右に問ふ。今竊(ひそ)かに聞く、大王、将に大義を興し、彊(つよ)きを誅(ちゅう)し弱きを救ひ、暴斉(ぼうせい)を困(くる)しめて周室(しゅうしつ)を撫(ぶ)せんとす、と。請(こ)ふ、悉(ことごと)く境内(きょうない)の士卒(しそつ)三千人を起こし、孤(われ)請ふ、自ら堅(けん)を被(こうむ)り鋭(えい)を執(と)り、以て先ず矢石(しせき)を受けん。越の賤臣(せんしん)種(しよう)に因(よ)りて先人の藏器(ぞうき)・甲(こう)二十領(りょう)・屈盧(くつろ)の矛(ほこ)・歩光(ほこう)の劔(けん)を奉(ほう)じて、以て軍吏(ぐんり)に賀(が)す、と。呉王大いに説(よろこ)び、以て子貢に告げて曰く、越王、身(み)づから寡人(かじん)に従ひて斉を伐たんと欲す。可ならんか、と。子貢曰く、不可なり。夫(そ)れ人の國を空(むな)しくし、人の眾(しゅう)を悉(つく)し、又其の君を従ふるは、不義なり。君、其の幣(へい)を受け、其の師を許して、其の君を辭(じ)せよ、と。呉王許諾(きょだく)す。乃(すなは)ち越王に謝(しゃ)す。是(ここ)に於いて呉王乃(すなは)ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
子貢因去之晋、謂晋君曰「臣聞之、慮不先定不可以応卒、兵不先辨不可以勝敵。今夫斉与呉将戦、彼戦而不勝、越乱之必矣。与斉戦而勝、必以其兵臨晋。」
晋君大恐、曰「為之奈何。」
子貢曰「修兵休卒以待之。」晋君許諾。
子貢去而之魯。
呉王果与斉人戦於艾陵、大破斉師、獲七将軍之兵而不帰、果以兵臨晋、与晋人相遇黄池之上。呉晋争強。晋人撃之、大敗呉師。
越王聞之、渉江襲呉、去城七里而軍。
呉王聞之、去晋而帰、与越戦於五湖。
三戦不勝、城門不守、越遂囲王宮、殺夫差而戮其相。
破呉三年、東向而霸。
故子貢一出、存魯、乱斉、破呉、強晋而霸越。
子貢一使、使勢相破、十年之中、五国各有変。
子貢好廃挙、与時転貨貲。
喜揚人之美、不能匿人之過。常相魯衛、家累千金、卒終于斉。
子貢因(よ)りて去りて晋に之き、晋君に謂(い)ひて曰く、臣之を聞く、慮(おもんばか)り先づ定まらざれば、以て卒(そつ)に應(おう)ずべからず。兵先(ま)ず辯(べん)ぜざれば、以て敵に勝つべからず、と。今、夫(そ)れ斉と呉と将に戦わんとす。彼戦ひて勝たずば、越之を亂(みだ)さんこと必(ひつ)せり。斉と戦いて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨(のぞ)まん、と。晋君大いに恐れて曰く、之を為すこと奈何(いかん)せん、と。子貢曰く、兵を修め卒を休めて以て之を待て、と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之(ゆ)く。呉王果(は)たして斉人と艾陵(がいりょう)に戦ひ、大いに斉の師を破(やぶ)り、七将軍(ひちしょうぐん)の兵を獲(え)、而(しか)も歸(かえ)らず、果たして兵を以て晋に臨(のぞ)み、晋人と黄池(こうち)上(ほとり)に相遇(あいあ)ふ。呉・晋、彊(きょう)を争ふ。晋人之を撃(う)ち、大いに呉の師を敗(やぶ)る。越王之を聞き、江(こう)を渉(わた)つて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて歸り、越と五湖(ごこ)に戦ふ。三たび戦ひ勝たず、城門守らず。越遂に王宮を圍(かこ)み、夫差(ふさ)を殺して其の相を戮(りく)す。呉を破りて三年、東向して覇(は)たり。故(ゆえ)に子貢一たび出(い)でて、魯を存(そん)し斉を亂(みだ)し、呉を破り晋を彊(つよ)くして、越を覇(は)とす。子貢一たび使ひして、勢(いきお)ひをして相破(あいやぶ)らしむ。十年の中(うち)に、五國各々(おのおの)變(へん)有り。
子廃擧(はいきょ)を好み、時と與(とも)に貨し(かし)を轉(てん)ず。喜(この)んで人の美を揚げ、人の過ちを匿(かく)すこと能(あた)はず。常(かつ)て魯・衛に相(そう)たり。家、千金を累(かさ)ぬ。卒(つひ)に斉に終わる。
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端木賜(たんぼくし)は衛人、字は子貢、孔子よりも少(わか)きこと三十一歳。子貢、利口巧辞(りこうこうじ)なり。孔子常に其の辯(べん)を黜(しりぞ)く。問ひて曰く、汝と囘(かい)と敦(いづ)れか愈(まさ)る、と。對(こた)へて曰く、賜(し)や何ぞ敢(あへ)て囘(かい)を望まん。囘や一を聞きて以て十を知る。賜や一を聞きて以て二を知るのみ、と。
子貢既(すで)に已(すで)に業を受く。問ひて曰く、賜は何人ぞや、と。孔子曰く、汝(なんじ)は器(き)なり、と。曰く、何の器ぞや、と。曰く、瑚(これん)なり、と。
陳子禽(ちんしきん)、子貢に問ひて曰く、仲尼は焉(いづ)くにか学べる、と。子貢曰く、文・武の道、未だ地に墜(お)ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文・武の莫道有らざる(な)し。夫子焉(いづ)くにか学ばざらん。而うして亦(また)何の常師(じょうし)か之れ有らん、と。
又問ひて曰く、孔子、是の國に適(ゆ)く、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之を求むるか、抑々(そもそも)之を與(あた)ふるか、と。子貢曰く、夫子は温(おん)良(りょう)恭(きょう)儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるなり、と。
田常(でんじょう)、亂(らん)を齊に作(な)さんと欲し、高(かう)・國(こく)・鮑(ほう)・晏(あん)を憚(はばか)る。故に其の兵を移し、以て魯を伐(う)たんと欲す。孔子、之を聞き、門弟子に謂(い)ひて曰く、夫(そ)れ魯は墳墓(ふんぼ)の處(あ)る所、父母の國なり。國の危(あやふ)きこと此(か)くの如(ごと)し。二三子(にさんし)、何為(す)れぞ出づる莫(な)き、と。子路出(い)でんと請(こ)ふ。孔子之を止(とど)む。子張(しちょう)・子石(こせき)、行(ゆ)かんと請(こ)ふ。孔子許(ゆる)さず。子貢行かんと請ふ。孔子之を許す。
遂(つひ)に行き、齊に至り、田常(でんじょう)に説きて曰く、君の魯を伐(う)つは過(あやま)てり。夫(そ)れ魯は伐ち難(がた)きの國なり。其の城は薄くして以て卑(ひく)く、其の池(いけ)は狭(せま)くして以て浅(あさ)し。其の君は愚(ぐ)にして不仁(ふじん)、大臣は偽(いつは)りて用(よう)無し。其の士民(しみん)、又甲兵(こうへい)の事を悪(にく)む。此(こ)れ與(とも)に戦ふべからず。君、呉を伐つに如(し)かず。夫(そ)れ呉は城高くして以て厚く、池は廣(ひろ)くして以て深く、甲は堅くして以て新たに、士は選(せん)にして以て飽(あ)く。重器(じゅうき)・精兵(せいへい)、盡(ことごと)く其の中(うち)に在り。又明大夫(めいたいふ)をして之を守らしむ。此れ伐ち易(やす)し、と。田常、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰く、子(し)の難(かた)しとする所は、人の易しとする所、子(し)の易しとする所は、人の難しとする所なり。而(しか)るに以て常(じょう)に教(おし)ふるは何ぞや、と。
子貢曰く、臣(しん)之を聞く、憂(うれ)ひ、内に在る者は彊(つよ)きを攻め、憂(うれ)ひ、外(そと)に在(あ)る者は弱きを攻(せ)む、と。今、君の憂ひは内に在り。吾(われ)聞く、君三たび封(ほう)ぜられんとして三たび成(な)らざる者は、大臣、聴かざる者有ればなり、と。今、君、魯を破りて以て齊を廣(ひろ)くせんとす。戦ひ勝ちて以て主を驕(おご)らせ、國を破りて以て臣を尊(たっと)くし、而(しこ)うして君の功(こう)焉(これ)に與(あづ)からず。則ち交(まじ)はり日(ひ)に主に疏(うと)からん。是れ君、上(かみ)は主の心を驕(おご)らし、下(しも)は羣臣(ぐんしん)を恣(ほしい)ままにするなり。以て大事を成すを求むるは難(がた)し。夫(そ)れ上(かみ)、驕(おご)れば則ち恣(ほしい)ままに、臣、驕れば則ち争ふ。是れ君、上は主と郤(でき)有り、下は大臣と交々(こもごも)争ふなり。此(か)くの如くならば則ち君の齊に立つこと危(あやふ)からん。故に曰く、呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人、外(そと)に死し、大臣、内に空(むな)しからん。是れ君、上(かみ)は彊臣(きょうしん)の敵無く、下(しも)は民人の過(とが)目無く、主を弧(こ)にし齊を制する者は唯だ君なり、と。田常(でんじょう)曰く、善し。然りと雖(いえど)も、吾が兵、業(すで)に已(すで)に魯に加(くは)ふ。去りて呉に之(ゆ)かば、大臣、我を疑(うたが)はん。柰何(いかん)せん、と。子貢曰く、君、兵を按(あん)じて、伐つ無かれ。臣請(こ)ふ、往(ゆ)きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて齊を伐たしめん。君因(よ)りて兵を以て之を迎へよ、と。田常之を許す。子貢をして南のかた呉王に見(まみ)えしむ。
説(と)きて曰く、臣、之を聞く、王者は世を絶(た)たず、覇者は敵を彊(つよ)くする無し、と。千鈞(せんきん)の重きも、銖兩(しゅりょう)を加(くわ)へて移る。今、萬乗(ばんじょう)の齊を以てして、千乗(せんじょう)の魯を私(わたくし)し、呉と彊(つよ)きを争はんとす。竊(ひそ)かに王の為に之を危(あや)ぶむ。且(か)つ夫(そ)れ魯を救ふは顕名(けんめい)なり。齊を伐つは大利(だいり)なり。以て泗上(しじょう)の諸侯を撫(ぶ)し、暴(ぼう)齊を誅(ちゅう)し以て彊晋(きょうしん)を服(ふく)せんこと、利、焉(これ)よりも大なるは莫(な)し。名は亡(ぼう)魯を存し、實(じつ)は彊(きょう)齊を困(くる)しむなり。智者は疑はざるなり、と。
呉王曰く、善し。然りと雖(いえど)も吾嘗(かつ)て越と戦ひ、之を會稽(かいけい)に棲(す)ましむ。越王、身を苦しめ士を養(やしな)ひ、我に報(むく)ゆるの心有り。子、我が越を伐(う)つを待て、而(しこ)うして子(し)に聴かん、と。子貢曰く、越の勁(つよ)きは魯に過ぎず。呉の彊(つよ)きは斉に過ぎず。王、斉を置きて越を伐(う)たば、則ち斉已(すで)に魯を平らげん。且つ王、方(まさ)に亡(ぼう)を存し絶を継ぐを以て名と為す。夫(そ)れ小越を伐ちて彊(きょう)斉を畏るるは、勇に非ず。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約を窮(くる)しめず、智者は時を失はず、王者は世を絶(た)たず、以て其の義を立つ。今、越を存し、諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威を晋国に加へば、諸侯必ず相率(あいひき)いて呉に朝し、覇業成らん。且つ王必ず越を悪(にく)まば、臣請(こ)ふ東のかた越王に見(まみ)え、兵を出(い)だして以て従(したが)はしめん。此れ實は越を空(むな)しくし、名は諸侯を従へて以て伐つなり、と。呉王大いに説(よろこ)び、乃(すなは)ち子貢をして越に之(ゆ)かしむ。
越王、道を除(はら)ひて郊迎(こうげい)し、身(みづか)ら御(ぎょ)して舎(しゃ)に至り、問ひて曰く、此れ蠻夷(ばんい)の國(くに)なり、大夫(たいふ)何を以てか儼然(げんぜん)として辱(かたじけな)くも之に臨(のぞ)める、と。子貢曰く、今者(このごろ)、吾、呉王に説くに魯を救(すく)ひ斉を伐(う)つを以ってす。其の志(こころざし)、之を欲すれども越を畏(おそ)る。曰く、我が越を伐つを待たば、乃(すなは)ち可なり、と。此(か)くの如くならば越を破らんこと必(ひつ)せり。且(か)つ夫(そ)れ人に報(むく)ゆるの志(こころざし)無くして、人をして之を疑(うたが)はしむるは、拙(せつ)なり。人に報(むく)ゆるの意有りて人をして之を知らしむるは、殆(たい)なり。事未(いま)だ発せずして先づ聞こゆるは、危なり。三つの者は事を挙(あ)ぐるの大患(だいかん)なり、と。句踐(こうせん)頓首(とんしゅ)再拝(さいはい)して曰く、孤(われ)嘗(かつ)て力を料(はか)らず、乃(すなは)ち呉と戦ひて會稽(かいけい)に困(くる)しめられ、痛み骨髄(こつずい)に入る。日夜、唇を焦がし舌を乾かし、徒(ただ)に呉王と踵(くびす)を接して死せんと欲す、孤(われ)願ひなり、と。遂(つひ)に子貢に問ふ。
子貢曰く、呉王、ひとと為り猛暴(もうぼう)にして、羣臣(ぐんしん)堪(た)へず。国家數々(しばしば)戦ふに敝(つか)れ、士卒(しそつ)忍びず、百姓(ひゃくせい)上(かみ)を怨み、大臣内に變(へん)ず。子胥(ししょ)諌(いさめ)を以て死し、太宰(たいさい)嚭(ひ)、事を用ゐ(もちい)、君の過ちに順(したが)ひ、以て其の私を安んず。是れ國を殘(そこな)ふの治(ち)んり。今、王、誠に士卒を発し之を佐(たす)けて、以て其の志を徼(むか)へ、重寶(じゅうほう)以て其の心を説(よろこ)ばしめ、辭(ことば)を卑(ひく)くして以て其の禮を尊くせば、其の斉を伐たんこと必せり。彼戦ひて勝たずば、王の福(さいわい)なり。戦いて勝たば、必ず兵を以て晋に臨(のぞ)まん。臣請(こ)ふ、北のかた晋君に見(まみ)え、共に之を攻めしめん。呉を弱くせんこと必(ひつ)せり。其の鋭兵(えいへい)は斉に盡(つ)き、重甲(じゅうこう)は晋に困(くる)しまん。而(しか)うして王、其の敝(へい)を制せば、此れ呉を滅ぼさんこと必(ひつ)せり、と。越王大いに説(よろこ)び、許諾す。子貢に金百鎰(ひゃくいつ)・劔一(けんいち)・良矛(りょうぼう)ニを送る。子貢受けず、遂に行(さ)る。
呉王に報じて曰く、臣、敬(つつし)みて大王の言を以て越王に告ぐ。越王大いに恐れて曰く、孤(われ)、不幸にして、少(わか)くして先人を失(うしな)ひ、内、自ら量(はか)らず、罪に呉に抵(あた)り、軍敗れ身辱(はずかし)められ、会稽(かいけい)に棲(す)み、國、虚莽(きょぼう)と為る。大王の賜(たまもの)に頼(よ)り、爼豆(そとう)を奉(ほう)じ祭祀を修むるを得しむ。死すとも敢(あへ)て忘れず。何の謀(はかりごと)をか之れ敢慮(おもんばか)らんや、と。後五日、越、大夫種(しょう)をして頓首(とんしゅ)して呉王に言はしめて曰く、東海の役(えき)孤(われ)句踐(こうせん)の使者臣(しん)種(しょう)、敢て下吏(かり)を修め、左右に問ふ。今竊(ひそ)かに聞く、大王、将に大義を興し、彊(つよ)きを誅(ちゅう)し弱きを救ひ、暴斉(ぼうせい)を困(くる)しめて周室(しゅうしつ)を撫(ぶ)せんとす、と。請(こ)ふ、悉(ことごと)く境内(きょうない)の士卒(しそつ)三千人を起こし、孤(われ)請ふ、自ら堅(けん)を被(こうむ)り鋭(えい)を執(と)り、以て先ず矢石(しせき)を受けん。越の賤臣(せんしん)種(しよう)に因(よ)りて先人の藏器(ぞうき)・甲(こう)二十領(りょう)・屈盧(くつろ)の矛(ほこ)・歩光(ほこう)の劔(けん)を奉(ほう)じて、以て軍吏(ぐんり)に賀(が)す、と。呉王大いに説(よろこ)び、以て子貢に告げて曰く、越王、身(み)づから寡人(かじん)に従ひて斉を伐たんと欲す。可ならんか、と。子貢曰く、不可なり。夫(そ)れ人の國を空(むな)しくし、人の眾(しゅう)を悉(つく)し、又其の君を従ふるは、不義なり。君、其の幣(へい)を受け、其の師を許して、其の君を辭(じ)せよ、と。呉王許諾(きょだく)す。乃(すなは)ち越王に謝(しゃ)す。是(ここ)に於いて呉王乃(すなは)ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
子貢因(よ)りて去りて晋に之き、晋君に謂(い)ひて曰く、臣之を聞く、慮(おもんばか)り先づ定まらざれば、以て卒(そつ)に應(おう)ずべからず。兵先(ま)ず辯(べん)ぜざれば、以て敵に勝つべからず、と。今、夫(そ)れ斉と呉と将に戦わんとす。彼戦ひて勝たずば、越之を亂(みだ)さんこと必(ひつ)せり。斉と戦いて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨(のぞ)まん、と。晋君大いに恐れて曰く、之を為すこと奈何(いかん)せん、と。子貢曰く、兵を修め卒を休めて以て之を待て、と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之(ゆ)く。呉王果(は)たして斉人と艾陵(がいりょう)に戦ひ、大いに斉の師を破(やぶ)り、七将軍(ひちしょうぐん)の兵を獲(え)、而(しか)も歸(かえ)らず、果たして兵を以て晋に臨(のぞ)み、晋人と黄池(こうち)上(ほとり)に相遇(あいあ)ふ。呉・晋、彊(きょう)を争ふ。晋人之を撃(う)ち、大いに呉の師を敗(やぶ)る。越王之を聞き、江(こう)を渉(わた)つて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて歸り、越と五湖(ごこ)に戦ふ。三たび戦ひ勝たず、城門守らず。越遂に王宮を圍(かこ)み、夫差(ふさ)を殺して其の相を戮(りく)す。呉を破りて三年、東向して覇(は)たり。故(ゆえ)に子貢一たび出(い)でて、魯を存(そん)し斉を亂(みだ)し、呉を破り晋を彊(つよ)くして、越を覇(は)とす。子貢一たび使ひして、勢(いきお)ひをして相破(あいやぶ)らしむ。十年の中(うち)に、五國各々(おのおの)變(へん)有り。
子廃擧(はいきょ)を好み、時と與(とも)に貨し(かし)を轉(てん)ず。喜(この)んで人の美を揚げ、人の過ちを匿(かく)すこと能(あた)はず。常(かつ)て魯・衛に相(そう)たり。家、千金を累(かさ)ぬ。卒(つひ)に斉に終わる。
史記「仲尼弟子列伝」
2014-09-06 中国歴史ドラマ
孔丘は政治から距離を置き、弟子たちと静かに自給自足の生活をしていた。そんな彼を、子貢という斉の商人が訪ねてくる。孔丘と弟子たちの様子を眺めていた子貢は、孔丘に自らの悩みを打ち明けて弟子入りを願い出る。そのころ、曲阜に居座って軍費だけを要求し続ける六国の軍に頭を痛めていた季孫斯は、孔丘に頭を下げて助けてくれるよう頼み込む。考え込む孔丘だったが、曲阜の長官の職を受け入れることに決めて……。以上はwowowオンラインのあらすじである。君子の儒とは何か。論語の語に、子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。孔子の論語 雍也第六の十三にある。子、子夏(しか)に謂(い)いて曰わく、女(なんじ)、君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ。小人(しょうじん)の儒と為ること無かれ。Confucius said to Zi Xia, “You should be a Confucian as a gentleman. Do not be a Confucian as a mere scholar.” http://mage8.com/magetan/rongo06.htmlより。 .
2014-09-13 中国歴史ドラマ
六国の撤兵を求めて斉を訪れた子貢は、斉王と会えないことも気に留めず、妓女を借り切って豪遊する。だが子貢はただ遊んでいたわけではなく、実はそうすることで人脈を得ようとしていたのだった。ある妓女を通じて景公の寵姫に密かに会った子貢は、ついに景公との面会を取り付ける。彼の働きによって六国の兵が引き上げた後、孔丘は新たに兵を集めて鍛え、農耕のために牛を買いつけて民のために動き始めるが……。
以上はwowowオンラインのあらすじである。
T:『史記』 司馬遷
V:067:巻六十七
B:067:仲尼弟子列伝第七
http://homepage2.nifty.com/zaco/text/kan/shiki/shiki067_chuji.txt
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端木賜(子貢)
端木賜、衛人、字子貢。少孔子三十一歳。
子貢利口巧辞、孔子常黜其弁。
問曰「汝与回也孰愈。」対曰「賜也何敢望回。回也聞一以知十、賜也聞一以知二。」
子貢既已受業、問曰「賜何人也。」孔子曰「汝器也。」曰「何器也。」曰「瑚也。」
陳子禽問子貢曰「仲尼焉学。」子貢曰「文武之道未墜於地、在人、賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文武之道。夫子焉不学、而亦何常師之有。」
又問曰「孔子適是国必聞其政。求之与。抑与之与。」子貢曰「夫子温良恭倹譲以得之。夫子之求之也、其諸異乎人之求之也。」
子貢問曰「富而無驕、貧而無諂、何如。」孔子曰「可也。不如貧而楽道、富而好礼。」
端木賜(たんぼくし)は衛人、字は子貢、孔子よりも少(わか)きこと三十一歳。子貢、利口巧辞(りこうこうじ)なり。孔子常に其の辯(べん)を黜(しりぞ)く。問ひて曰く、汝と囘(かい)と敦(いづ)れか愈(まさ)る、と。對(こた)へて曰く、賜(し)や何ぞ敢(あへ)て囘(かい)を望まん。囘や一を聞きて以て十を知る。賜や一を聞きて以て二を知るのみ、と。子貢既(すで)に已(すで)に業を受く。問ひて曰く、賜は何人ぞや、と。孔子曰く、汝(なんじ)は器(き)なり、と。曰く、何の器ぞや、と。曰く、瑚(これん)なり、と。陳子禽(ちんしきん)、子貢に問ひて曰く、仲尼は焉(いづ)くにか学べる、と。子貢曰く、文・武の道、未だ地に墜(お)ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文・武の莫道有らざる(な)し。夫子焉(いづ)くにか学ばざらん。而うして亦(また)何の常師(じょうし)か之れ有らん、と。又問ひて曰く、孔子、是の國に適(ゆ)く、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之を求むるか、抑々(そもそも)之を與(あた)ふるか、と。子貢曰く、夫子は温(おん)良(りょう)恭(きょう)儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるなり、と。子貢問ひて曰く、富みて驕(おご)る無く、貧しくして諂(へつら)ふ無きは何如(いかん)、と。孔子曰く、可なり。貧しくして道を楽しみ、富みて禮を好むに如かず、と
田常欲作乱於斉、憚高、国、鮑、晏、故移其兵欲以伐魯。
孔子聞之、謂門弟子曰「夫魯、墳墓所処、父母之国、国危如此、二三子何為莫出。」
子路請出、孔子止之。子張、子石請行、孔子弗許。子貢請行、孔子許之。
田常(でんじょう)、亂(らん)を齊に作(な)さんと欲し、高(かう)・國(こく)・鮑(ほう)・晏(あん)を憚(はばか)る。故に其の兵を移し、以て魯を伐(う)たんと欲す。孔子、之を聞き、門弟子に謂(い)ひて曰く、夫(そ)れ魯は墳墓(ふんぼ)の處(あ)る所、父母の國なり。國の危(あやふ)きこと此(か)くの如(ごと)し。二三子(にさんし)、何為(す)れぞ出づる莫(な)き、と。子路出(い)でんと請(こ)ふ。孔子之を止(とど)む。子張(しちょう)・子石(こせき)、行(ゆ)かんと請(こ)ふ。孔子許(ゆる)さず。子貢行かんと請ふ。孔子之を許す。
遂行、至斉、説田常曰「君之伐魯過矣。夫魯、難伐之国、其城薄以卑、其地狭以泄、其君愚而不仁、大臣偽而無用、其士民又悪甲兵之事、此不可与戦。君不如伐呉。夫呉、城高以厚、地広以深、甲堅以新、士選以飽、重器精兵尽在其中、又使明大夫守之、此易伐也。」
田常忿然作色曰「子之所難、人之所易。子之所易、人之所難而以教常、何也。」
遂(つひ)に行き、齊に至り、田常(でんじょう)に説きて曰く、君の魯を伐(う)つは過(あやま)てり。夫(そ)れ魯は伐ち難(がた)きの國なり。其の城は薄くして以て卑(ひく)く、其の池(いけ)は狭(せま)くして以て浅(あさ)し。其の君は愚(ぐ)にして不仁(ふじん)、大臣は偽(いつは)りて用(よう)無し。其の士民(しみん)、又甲兵(こうへい)の事を悪(にく)む。此(こ)れ與(とも)に戦ふべからず。君、呉を伐つに如(し)かず。夫(そ)れ呉は城高くして以て厚く、池は廣(ひろ)くして以て深く、甲は堅くして以て新たに、士は選(せん)にして以て飽(あ)く。重器(じゅうき)・精兵(せいへい)、盡(ことごと)く其の中(うち)に在り。又明大夫(めいたいふ)をして之を守らしむ。此れ伐ち易(やす)し、と。田常、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰く、子(し)の難(かた)しとする所は、人の易しとする所、子(し)の易しとする所は、人の難しとする所なり。而(しか)るに以て常(じょう)に教(おし)ふるは何ぞや、と。
子貢曰「臣聞之、憂在内者攻強、憂在外者攻弱。今君憂在内。吾聞君三封而三不成者、大臣有不聴者也。今君破魯以広斉、戦勝以驕主、破国以尊臣、而君之功不与焉、則交日疏於主。是君上驕主心、下恣群臣、求以成大事、難矣。夫上驕則恣、臣驕則争、是君上与主有卻、下与大臣交争也。如此、則君之立於斉危矣。故曰不如伐呉。伐呉不勝、民人外死、大臣内空、是君上無強臣之敵、下無民人之過、孤主制斉者唯君也。」
田常曰「善。雖然、吾兵業已加魯矣。去而之呉、大臣疑我、奈何。」
子貢曰「君按兵無伐、臣請往使呉王、令之救魯而伐斉、君因以兵迎之。」
田常許之、使子貢南見呉王。
子貢曰く、臣(しん)之を聞く、憂(うれ)ひ、内に在る者は彊(つよ)きを攻め、憂(うれ)ひ、外(そと)に在(あ)る者は弱きを攻(せ)む、と。今、君の憂ひは内に在り。吾(われ)聞く、君三たび封(ほう)ぜられんとして三たび成(な)らざる者は、大臣、聴かざる者有ればなり、と。今、君、魯を破りて以て齊を廣(ひろ)くせんとす。戦ひ勝ちて以て主を驕(おご)らせ、國を破りて以て臣を尊(たっと)くし、而(しこ)うして君の功(こう)焉(これ)に與(あづ)からず。則ち交(まじ)はり日(ひ)に主に疏(うと)からん。是れ君、上(かみ)は主の心を驕(おご)らし、下(しも)は羣臣(ぐんしん)を恣(ほしい)ままにするなり。以て大事を成すを求むるは難(がた)し。夫(そ)れ上(かみ)、驕(おご)れば則ち恣(ほしい)ままに、臣、驕れば則ち争ふ。是れ君、上は主と郤(でき)有り、下は大臣と交々(こもごも)争ふなり。此(か)くの如くならば則ち君の齊に立つこと危(あやふ)からん。故に曰く、呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人、外(そと)に死し、大臣、内に空(むな)しからん。是れ君、上(かみ)は彊臣(きょうしん)の敵無く、下(しも)は民人の過(とが)目無く、主を弧(こ)にし齊を制する者は唯だ君なり、と。田常(でんじょう)曰く、善し。然りと雖(いえど)も、吾が兵、業(すで)に已(すで)に魯に加(くは)ふ。去りて呉に之(ゆ)かば、大臣、我を疑(うたが)はん。柰何(いかん)せん、と。子貢曰く、君、兵を按(あん)じて、伐つ無かれ。臣請(こ)ふ、往(ゆ)きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて齊を伐たしめん。君因(よ)りて兵を以て之を迎へよ、と。田常之を許す。子貢をして南のかた呉王に見(まみ)えしむ。
説曰「臣聞之、王者不絶世、霸者無強敵、千鈞之重加銖両而移。今以萬乗之斉而私千乗之魯、与呉争強、窃為王危之。且夫救魯、顕名也。伐斉、大利也。以撫泗上諸侯、誅暴斉以服強晋、利莫大焉。名存亡魯、実困強斉。智者不疑也。」
説(と)きて曰く、臣、之を聞く、王者は世を絶(た)たず、覇者は敵を彊(つよ)くする無し、と。千鈞(せんきん)の重きも、銖兩(しゅりょう)を加(くわ)へて移る。今、萬乗(ばんじょう)の齊を以てして、千乗(せんじょう)の魯を私(わたくし)し、呉と彊(つよ)きを争はんとす。竊(ひそ)かに王の為に之を危(あや)ぶむ。且(か)つ夫(そ)れ魯を救ふは顕名(けんめい)なり。齊を伐つは大利(だいり)なり。以て泗上(しじょう)の諸侯を撫(ぶ)し、暴(ぼう)齊を誅(ちゅう)し以て彊晋(きょうしん)を服(ふく)せんこと、利、焉(これ)よりも大なるは莫(な)し。名は亡(ぼう)魯を存し、實(じつ)は彊(きょう)齊を困(くる)しむなり。智者は疑はざるなり、と。
呉王曰「善。雖然、吾嘗与越戦、棲之会稽。越王苦身養士、有報我心。子待我伐越而聴子。」
子貢曰「越之勁不過魯、呉之強不過斉、王置斉而伐越、則斉已平魯矣。且王方以存亡継絶為名、夫伐小越而畏強斉、非勇也。夫勇者不避難、仁者不窮約、智者不失時、王者不絶世、以立其義。今存越示諸侯以仁、救魯伐斉、威加晋国、諸侯必相率而朝呉、霸業成矣。且王必悪越、臣請東見越王、令出兵以従、此実空越、名従諸侯以伐也。」
呉王大説、乃使子貢之越。
呉王曰く、善し。然りと雖(いえど)も吾嘗(かつ)て越と戦ひ、之を會稽(かいけい)に棲(す)ましむ。越王、身を苦しめ士を養(やしな)ひ、我に報(むく)ゆるの心有り。子、我が越を伐(う)つを待て、而(しこ)うして子(し)に聴かん、と。子貢曰く、越の勁(つよ)きは魯に過ぎず。呉の彊(つよ)きは斉に過ぎず。王、斉を置きて越を伐(う)たば、則ち斉已(すで)に魯を平らげん。且つ王、方(まさ)に亡(ぼう)を存し絶を継ぐを以て名と為す。夫(そ)れ小越を伐ちて彊(きょう)斉を畏るるは、勇に非ず。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約を窮(くる)しめず、智者は時を失はず、王者は世を絶(た)たず、以て其の義を立つ。今、越を存し、諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威を晋国に加へば、諸侯必ず相率(あいひき)いて呉に朝し、覇業成らん。且つ王必ず越を悪(にく)まば、臣請(こ)ふ東のかた越王に見(まみ)え、兵を出(い)だして以て従(したが)はしめん。此れ實は越を空(むな)しくし、名は諸侯を従へて以て伐つなり、と。呉王大いに説(よろこ)び、乃(すなは)ち子貢をして越に之(ゆ)かしむ。
越王除道郊迎、身御至舍而問曰「此蛮夷之国、大夫何以儼然辱而臨之。」
子貢曰「今者吾説呉王以救魯伐斉、其志欲之而畏越、曰『待我伐越乃可』。如此、破越必矣。且夫無報人之志而令人疑之、拙也。有報人之志、使人知之、殆也。事未発而先聞、危也。三者挙事之大患。」
句践頓首再拝曰「孤嘗不料力、乃与呉戦、困於会稽、痛入於骨髄、日夜焦脣乾舌、徒欲与呉王接踵而死、孤之願也。」
遂問子貢。
越王、道を除(はら)ひて郊迎(こうげい)し、身(みづか)ら御(ぎょ)して舎(しゃ)に至り、問ひて曰く、此れ蠻夷(ばんい)の國(くに)なり、大夫(たいふ)何を以てか儼然(げんぜん)として辱(かたじけな)くも之に臨(のぞ)める、と。子貢曰く、今者(このごろ)、吾、呉王に説くに魯を救(すく)ひ斉を伐(う)つを以ってす。其の志(こころざし)、之を欲すれども越を畏(おそ)る。曰く、我が越を伐つを待たば、乃(すなは)ち可なり、と。此(か)くの如くならば越を破らんこと必(ひつ)せり。且(か)つ夫(そ)れ人に報(むく)ゆるの志(こころざし)無くして、人をして之を疑(うたが)はしむるは、拙(せつ)なり。人に報(むく)ゆるの意有りて人をして之を知らしむるは、殆(たい)なり。事未(いま)だ発せずして先づ聞こゆるは、危なり。三つの者は事を挙(あ)ぐるの大患(だいかん)なり、と。句踐(こうせん)頓首(とんしゅ)再拝(さいはい)して曰く、孤(われ)嘗(かつ)て力を料(はか)らず、乃(すなは)ち呉と戦ひて會稽(かいけい)に困(くる)しめられ、痛み骨髄(こつずい)に入る。日夜、唇を焦がし舌を乾かし、徒(ただ)に呉王と踵(くびす)を接して死せんと欲す、孤(われ)願ひなり、と。遂(つひ)に子貢に問ふ。
子貢曰「呉王為人猛暴、群臣不堪。国家敝以数戦、士卒弗忍。百姓怨上、大臣内変。子胥以諫死、太宰O用事、順君之過以安其私、是残国之治也。今王誠発士卒佐之徼其志、重宝以説其心、卑辞以尊其礼、其伐斉必也。彼戦不勝、王之福矣。戦勝、必以兵臨晋、臣請北見晋君、令共攻之、弱呉必矣。其鋭兵尽於斉、重甲困於晋、而王制其敝、此滅呉必矣。」
越王大説、許諾。
送子貢金百鎰、剣一、良矛二。子貢不受、遂行。
子貢曰く、呉王、ひとと為り猛暴(もうぼう)にして、羣臣(ぐんしん)堪(た)へず。国家數々(しばしば)戦ふに敝(つか)れ、士卒(しそつ)忍びず、百姓(ひゃくせい)上(かみ)を怨み、大臣内に變(へん)ず。子胥(ししょ)諌(いさめ)を以て死し、太宰(たいさい)嚭(ひ)、事を用ゐ(もちい)、君の過ちに順(したが)ひ、以て其の私を安んず。是れ國を殘(そこな)ふの治(ち)んり。今、王、誠に士卒を発し之を佐(たす)けて、以て其の志を徼(むか)へ、重寶(じゅうほう)以て其の心を説(よろこ)ばしめ、辭(ことば)を卑(ひく)くして以て其の禮を尊くせば、其の斉を伐たんこと必せり。彼戦ひて勝たずば、王の福(さいわい)なり。戦いて勝たば、必ず兵を以て晋に臨(のぞ)まん。臣請(こ)ふ、北のかた晋君に見(まみ)え、共に之を攻めしめん。呉を弱くせんこと必(ひつ)せり。其の鋭兵(えいへい)は斉に盡(つ)き、重甲(じゅうこう)は晋に困(くる)しまん。而(しか)うして王、其の敝(へい)を制せば、此れ呉を滅ぼさんこと必(ひつ)せり、と。越王大いに説(よろこ)び、許諾す。子貢に金百鎰(ひゃくいつ)・劔一(けんいち)・良矛(りょうぼう)ニを送る。子貢受けず、遂に行(さ)る。
報呉王曰「臣敬以大王之言告越王、越王大恐、曰『孤不幸、少失先人、内不自量、抵罪於呉、軍敗身辱、棲于会稽、国為虚莽、頼大王之賜、使得奉俎豆而修祭祀、死不敢忘、何謀之敢慮』。」
后五日、越使大夫種頓首言於呉王曰「東海役臣孤句践使者臣種、敢修下吏問於左右。今窃聞大王将興大義、誅強救弱、困暴斉而撫周室、請悉起境内士卒三千人、孤請自被堅執鋭、以先受矢石。因越賤臣種奉先人蔵器、甲二十領、屈盧之矛、歩光之剣、以賀軍吏。」
呉王大説、以告子貢曰「越王欲身従寡人伐斉、可乎。」子貢曰「不可。夫空人之国、悉人之衆、又従其君、不義。君受其幣、許其師、而辞其君。」
呉王許諾、乃謝越王。於是呉王乃遂発九郡兵伐斉。
呉王に報じて曰く、臣、敬(つつし)みて大王の言を以て越王に告ぐ。越王大いに恐れて曰く、孤(われ)、不幸にして、少(わか)くして先人を失(うしな)ひ、内、自ら量(はか)らず、罪に呉に抵(あた)り、軍敗れ身辱(はずかし)められ、会稽(かいけい)に棲(す)み、國、虚莽(きょぼう)と為る。大王の賜(たまもの)に頼(よ)り、爼豆(そとう)を奉(ほう)じ祭祀を修むるを得しむ。死すとも敢(あへ)て忘れず。何の謀(はかりごと)をか之れ敢慮(おもんばか)らんや、と。後五日、越、大夫種(しょう)をして頓首(とんしゅ)して呉王に言はしめて曰く、東海の役(えき)孤(われ)句踐(こうせん)の使者臣(しん)種(しょう)、敢て下吏(かり)を修め、左右に問ふ。今竊(ひそ)かに聞く、大王、将に大義を興し、彊(つよ)きを誅(ちゅう)し弱きを救ひ、暴斉(ぼうせい)を困(くる)しめて周室(しゅうしつ)を撫(ぶ)せんとす、と。請(こ)ふ、悉(ことごと)く境内(きょうない)の士卒(しそつ)三千人を起こし、孤(われ)請ふ、自ら堅(けん)を被(こうむ)り鋭(えい)を執(と)り、以て先ず矢石(しせき)を受けん。越の賤臣(せんしん)種(しよう)に因(よ)りて先人の藏器(ぞうき)・甲(こう)二十領(りょう)・屈盧(くつろ)の矛(ほこ)・歩光(ほこう)の劔(けん)を奉(ほう)じて、以て軍吏(ぐんり)に賀(が)す、と。呉王大いに説(よろこ)び、以て子貢に告げて曰く、越王、身(み)づから寡人(かじん)に従ひて斉を伐たんと欲す。可ならんか、と。子貢曰く、不可なり。夫(そ)れ人の國を空(むな)しくし、人の眾(しゅう)を悉(つく)し、又其の君を従ふるは、不義なり。君、其の幣(へい)を受け、其の師を許して、其の君を辭(じ)せよ、と。呉王許諾(きょだく)す。乃(すなは)ち越王に謝(しゃ)す。是(ここ)に於いて呉王乃(すなは)ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
子貢因去之晋、謂晋君曰「臣聞之、慮不先定不可以応卒、兵不先辨不可以勝敵。今夫斉与呉将戦、彼戦而不勝、越乱之必矣。与斉戦而勝、必以其兵臨晋。」
晋君大恐、曰「為之奈何。」
子貢曰「修兵休卒以待之。」晋君許諾。
子貢去而之魯。
呉王果与斉人戦於艾陵、大破斉師、獲七将軍之兵而不帰、果以兵臨晋、与晋人相遇黄池之上。呉晋争強。晋人撃之、大敗呉師。
越王聞之、渉江襲呉、去城七里而軍。
呉王聞之、去晋而帰、与越戦於五湖。
三戦不勝、城門不守、越遂囲王宮、殺夫差而戮其相。
破呉三年、東向而霸。
故子貢一出、存魯、乱斉、破呉、強晋而霸越。
子貢一使、使勢相破、十年之中、五国各有変。
子貢好廃挙、与時転貨貲。
喜揚人之美、不能匿人之過。常相魯衛、家累千金、卒終于斉。
子貢因(よ)りて去りて晋に之き、晋君に謂(い)ひて曰く、臣之を聞く、慮(おもんばか)り先づ定まらざれば、以て卒(そつ)に應(おう)ずべからず。兵先(ま)ず辯(べん)ぜざれば、以て敵に勝つべからず、と。今、夫(そ)れ斉と呉と将に戦わんとす。彼戦ひて勝たずば、越之を亂(みだ)さんこと必(ひつ)せり。斉と戦いて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨(のぞ)まん、と。晋君大いに恐れて曰く、之を為すこと奈何(いかん)せん、と。子貢曰く、兵を修め卒を休めて以て之を待て、と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之(ゆ)く。呉王果(は)たして斉人と艾陵(がいりょう)に戦ひ、大いに斉の師を破(やぶ)り、七将軍(ひちしょうぐん)の兵を獲(え)、而(しか)も歸(かえ)らず、果たして兵を以て晋に臨(のぞ)み、晋人と黄池(こうち)上(ほとり)に相遇(あいあ)ふ。呉・晋、彊(きょう)を争ふ。晋人之を撃(う)ち、大いに呉の師を敗(やぶ)る。越王之を聞き、江(こう)を渉(わた)つて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて歸り、越と五湖(ごこ)に戦ふ。三たび戦ひ勝たず、城門守らず。越遂に王宮を圍(かこ)み、夫差(ふさ)を殺して其の相を戮(りく)す。呉を破りて三年、東向して覇(は)たり。故(ゆえ)に子貢一たび出(い)でて、魯を存(そん)し斉を亂(みだ)し、呉を破り晋を彊(つよ)くして、越を覇(は)とす。子貢一たび使ひして、勢(いきお)ひをして相破(あいやぶ)らしむ。十年の中(うち)に、五國各々(おのおの)變(へん)有り。
子廃擧(はいきょ)を好み、時と與(とも)に貨し(かし)を轉(てん)ず。喜(この)んで人の美を揚げ、人の過ちを匿(かく)すこと能(あた)はず。常(かつ)て魯・衛に相(そう)たり。家、千金を累(かさ)ぬ。卒(つひ)に斉に終わる。
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端木賜(たんぼくし)は衛人、字は子貢、孔子よりも少(わか)きこと三十一歳。子貢、利口巧辞(りこうこうじ)なり。孔子常に其の辯(べん)を黜(しりぞ)く。問ひて曰く、汝と囘(かい)と敦(いづ)れか愈(まさ)る、と。對(こた)へて曰く、賜(し)や何ぞ敢(あへ)て囘(かい)を望まん。囘や一を聞きて以て十を知る。賜や一を聞きて以て二を知るのみ、と。
子貢既(すで)に已(すで)に業を受く。問ひて曰く、賜は何人ぞや、と。孔子曰く、汝(なんじ)は器(き)なり、と。曰く、何の器ぞや、と。曰く、瑚(これん)なり、と。
陳子禽(ちんしきん)、子貢に問ひて曰く、仲尼は焉(いづ)くにか学べる、と。子貢曰く、文・武の道、未だ地に墜(お)ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文・武の莫道有らざる(な)し。夫子焉(いづ)くにか学ばざらん。而うして亦(また)何の常師(じょうし)か之れ有らん、と。
又問ひて曰く、孔子、是の國に適(ゆ)く、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之を求むるか、抑々(そもそも)之を與(あた)ふるか、と。子貢曰く、夫子は温(おん)良(りょう)恭(きょう)儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるなり、と。
田常(でんじょう)、亂(らん)を齊に作(な)さんと欲し、高(かう)・國(こく)・鮑(ほう)・晏(あん)を憚(はばか)る。故に其の兵を移し、以て魯を伐(う)たんと欲す。孔子、之を聞き、門弟子に謂(い)ひて曰く、夫(そ)れ魯は墳墓(ふんぼ)の處(あ)る所、父母の國なり。國の危(あやふ)きこと此(か)くの如(ごと)し。二三子(にさんし)、何為(す)れぞ出づる莫(な)き、と。子路出(い)でんと請(こ)ふ。孔子之を止(とど)む。子張(しちょう)・子石(こせき)、行(ゆ)かんと請(こ)ふ。孔子許(ゆる)さず。子貢行かんと請ふ。孔子之を許す。
遂(つひ)に行き、齊に至り、田常(でんじょう)に説きて曰く、君の魯を伐(う)つは過(あやま)てり。夫(そ)れ魯は伐ち難(がた)きの國なり。其の城は薄くして以て卑(ひく)く、其の池(いけ)は狭(せま)くして以て浅(あさ)し。其の君は愚(ぐ)にして不仁(ふじん)、大臣は偽(いつは)りて用(よう)無し。其の士民(しみん)、又甲兵(こうへい)の事を悪(にく)む。此(こ)れ與(とも)に戦ふべからず。君、呉を伐つに如(し)かず。夫(そ)れ呉は城高くして以て厚く、池は廣(ひろ)くして以て深く、甲は堅くして以て新たに、士は選(せん)にして以て飽(あ)く。重器(じゅうき)・精兵(せいへい)、盡(ことごと)く其の中(うち)に在り。又明大夫(めいたいふ)をして之を守らしむ。此れ伐ち易(やす)し、と。田常、忿然(ふんぜん)として色を作(な)して曰く、子(し)の難(かた)しとする所は、人の易しとする所、子(し)の易しとする所は、人の難しとする所なり。而(しか)るに以て常(じょう)に教(おし)ふるは何ぞや、と。
子貢曰く、臣(しん)之を聞く、憂(うれ)ひ、内に在る者は彊(つよ)きを攻め、憂(うれ)ひ、外(そと)に在(あ)る者は弱きを攻(せ)む、と。今、君の憂ひは内に在り。吾(われ)聞く、君三たび封(ほう)ぜられんとして三たび成(な)らざる者は、大臣、聴かざる者有ればなり、と。今、君、魯を破りて以て齊を廣(ひろ)くせんとす。戦ひ勝ちて以て主を驕(おご)らせ、國を破りて以て臣を尊(たっと)くし、而(しこ)うして君の功(こう)焉(これ)に與(あづ)からず。則ち交(まじ)はり日(ひ)に主に疏(うと)からん。是れ君、上(かみ)は主の心を驕(おご)らし、下(しも)は羣臣(ぐんしん)を恣(ほしい)ままにするなり。以て大事を成すを求むるは難(がた)し。夫(そ)れ上(かみ)、驕(おご)れば則ち恣(ほしい)ままに、臣、驕れば則ち争ふ。是れ君、上は主と郤(でき)有り、下は大臣と交々(こもごも)争ふなり。此(か)くの如くならば則ち君の齊に立つこと危(あやふ)からん。故に曰く、呉を伐つに如かず、と。呉を伐ちて勝たずんば、民人、外(そと)に死し、大臣、内に空(むな)しからん。是れ君、上(かみ)は彊臣(きょうしん)の敵無く、下(しも)は民人の過(とが)目無く、主を弧(こ)にし齊を制する者は唯だ君なり、と。田常(でんじょう)曰く、善し。然りと雖(いえど)も、吾が兵、業(すで)に已(すで)に魯に加(くは)ふ。去りて呉に之(ゆ)かば、大臣、我を疑(うたが)はん。柰何(いかん)せん、と。子貢曰く、君、兵を按(あん)じて、伐つ無かれ。臣請(こ)ふ、往(ゆ)きて呉王に使ひし、之をして魯を救ひて齊を伐たしめん。君因(よ)りて兵を以て之を迎へよ、と。田常之を許す。子貢をして南のかた呉王に見(まみ)えしむ。
説(と)きて曰く、臣、之を聞く、王者は世を絶(た)たず、覇者は敵を彊(つよ)くする無し、と。千鈞(せんきん)の重きも、銖兩(しゅりょう)を加(くわ)へて移る。今、萬乗(ばんじょう)の齊を以てして、千乗(せんじょう)の魯を私(わたくし)し、呉と彊(つよ)きを争はんとす。竊(ひそ)かに王の為に之を危(あや)ぶむ。且(か)つ夫(そ)れ魯を救ふは顕名(けんめい)なり。齊を伐つは大利(だいり)なり。以て泗上(しじょう)の諸侯を撫(ぶ)し、暴(ぼう)齊を誅(ちゅう)し以て彊晋(きょうしん)を服(ふく)せんこと、利、焉(これ)よりも大なるは莫(な)し。名は亡(ぼう)魯を存し、實(じつ)は彊(きょう)齊を困(くる)しむなり。智者は疑はざるなり、と。
呉王曰く、善し。然りと雖(いえど)も吾嘗(かつ)て越と戦ひ、之を會稽(かいけい)に棲(す)ましむ。越王、身を苦しめ士を養(やしな)ひ、我に報(むく)ゆるの心有り。子、我が越を伐(う)つを待て、而(しこ)うして子(し)に聴かん、と。子貢曰く、越の勁(つよ)きは魯に過ぎず。呉の彊(つよ)きは斉に過ぎず。王、斉を置きて越を伐(う)たば、則ち斉已(すで)に魯を平らげん。且つ王、方(まさ)に亡(ぼう)を存し絶を継ぐを以て名と為す。夫(そ)れ小越を伐ちて彊(きょう)斉を畏るるは、勇に非ず。夫れ勇者は難を避けず、仁者は約を窮(くる)しめず、智者は時を失はず、王者は世を絶(た)たず、以て其の義を立つ。今、越を存し、諸侯に示すに仁を以てし、魯を救ひ斉を伐ち、威を晋国に加へば、諸侯必ず相率(あいひき)いて呉に朝し、覇業成らん。且つ王必ず越を悪(にく)まば、臣請(こ)ふ東のかた越王に見(まみ)え、兵を出(い)だして以て従(したが)はしめん。此れ實は越を空(むな)しくし、名は諸侯を従へて以て伐つなり、と。呉王大いに説(よろこ)び、乃(すなは)ち子貢をして越に之(ゆ)かしむ。
越王、道を除(はら)ひて郊迎(こうげい)し、身(みづか)ら御(ぎょ)して舎(しゃ)に至り、問ひて曰く、此れ蠻夷(ばんい)の國(くに)なり、大夫(たいふ)何を以てか儼然(げんぜん)として辱(かたじけな)くも之に臨(のぞ)める、と。子貢曰く、今者(このごろ)、吾、呉王に説くに魯を救(すく)ひ斉を伐(う)つを以ってす。其の志(こころざし)、之を欲すれども越を畏(おそ)る。曰く、我が越を伐つを待たば、乃(すなは)ち可なり、と。此(か)くの如くならば越を破らんこと必(ひつ)せり。且(か)つ夫(そ)れ人に報(むく)ゆるの志(こころざし)無くして、人をして之を疑(うたが)はしむるは、拙(せつ)なり。人に報(むく)ゆるの意有りて人をして之を知らしむるは、殆(たい)なり。事未(いま)だ発せずして先づ聞こゆるは、危なり。三つの者は事を挙(あ)ぐるの大患(だいかん)なり、と。句踐(こうせん)頓首(とんしゅ)再拝(さいはい)して曰く、孤(われ)嘗(かつ)て力を料(はか)らず、乃(すなは)ち呉と戦ひて會稽(かいけい)に困(くる)しめられ、痛み骨髄(こつずい)に入る。日夜、唇を焦がし舌を乾かし、徒(ただ)に呉王と踵(くびす)を接して死せんと欲す、孤(われ)願ひなり、と。遂(つひ)に子貢に問ふ。
子貢曰く、呉王、ひとと為り猛暴(もうぼう)にして、羣臣(ぐんしん)堪(た)へず。国家數々(しばしば)戦ふに敝(つか)れ、士卒(しそつ)忍びず、百姓(ひゃくせい)上(かみ)を怨み、大臣内に變(へん)ず。子胥(ししょ)諌(いさめ)を以て死し、太宰(たいさい)嚭(ひ)、事を用ゐ(もちい)、君の過ちに順(したが)ひ、以て其の私を安んず。是れ國を殘(そこな)ふの治(ち)んり。今、王、誠に士卒を発し之を佐(たす)けて、以て其の志を徼(むか)へ、重寶(じゅうほう)以て其の心を説(よろこ)ばしめ、辭(ことば)を卑(ひく)くして以て其の禮を尊くせば、其の斉を伐たんこと必せり。彼戦ひて勝たずば、王の福(さいわい)なり。戦いて勝たば、必ず兵を以て晋に臨(のぞ)まん。臣請(こ)ふ、北のかた晋君に見(まみ)え、共に之を攻めしめん。呉を弱くせんこと必(ひつ)せり。其の鋭兵(えいへい)は斉に盡(つ)き、重甲(じゅうこう)は晋に困(くる)しまん。而(しか)うして王、其の敝(へい)を制せば、此れ呉を滅ぼさんこと必(ひつ)せり、と。越王大いに説(よろこ)び、許諾す。子貢に金百鎰(ひゃくいつ)・劔一(けんいち)・良矛(りょうぼう)ニを送る。子貢受けず、遂に行(さ)る。
呉王に報じて曰く、臣、敬(つつし)みて大王の言を以て越王に告ぐ。越王大いに恐れて曰く、孤(われ)、不幸にして、少(わか)くして先人を失(うしな)ひ、内、自ら量(はか)らず、罪に呉に抵(あた)り、軍敗れ身辱(はずかし)められ、会稽(かいけい)に棲(す)み、國、虚莽(きょぼう)と為る。大王の賜(たまもの)に頼(よ)り、爼豆(そとう)を奉(ほう)じ祭祀を修むるを得しむ。死すとも敢(あへ)て忘れず。何の謀(はかりごと)をか之れ敢慮(おもんばか)らんや、と。後五日、越、大夫種(しょう)をして頓首(とんしゅ)して呉王に言はしめて曰く、東海の役(えき)孤(われ)句踐(こうせん)の使者臣(しん)種(しょう)、敢て下吏(かり)を修め、左右に問ふ。今竊(ひそ)かに聞く、大王、将に大義を興し、彊(つよ)きを誅(ちゅう)し弱きを救ひ、暴斉(ぼうせい)を困(くる)しめて周室(しゅうしつ)を撫(ぶ)せんとす、と。請(こ)ふ、悉(ことごと)く境内(きょうない)の士卒(しそつ)三千人を起こし、孤(われ)請ふ、自ら堅(けん)を被(こうむ)り鋭(えい)を執(と)り、以て先ず矢石(しせき)を受けん。越の賤臣(せんしん)種(しよう)に因(よ)りて先人の藏器(ぞうき)・甲(こう)二十領(りょう)・屈盧(くつろ)の矛(ほこ)・歩光(ほこう)の劔(けん)を奉(ほう)じて、以て軍吏(ぐんり)に賀(が)す、と。呉王大いに説(よろこ)び、以て子貢に告げて曰く、越王、身(み)づから寡人(かじん)に従ひて斉を伐たんと欲す。可ならんか、と。子貢曰く、不可なり。夫(そ)れ人の國を空(むな)しくし、人の眾(しゅう)を悉(つく)し、又其の君を従ふるは、不義なり。君、其の幣(へい)を受け、其の師を許して、其の君を辭(じ)せよ、と。呉王許諾(きょだく)す。乃(すなは)ち越王に謝(しゃ)す。是(ここ)に於いて呉王乃(すなは)ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
子貢因(よ)りて去りて晋に之き、晋君に謂(い)ひて曰く、臣之を聞く、慮(おもんばか)り先づ定まらざれば、以て卒(そつ)に應(おう)ずべからず。兵先(ま)ず辯(べん)ぜざれば、以て敵に勝つべからず、と。今、夫(そ)れ斉と呉と将に戦わんとす。彼戦ひて勝たずば、越之を亂(みだ)さんこと必(ひつ)せり。斉と戦いて勝たば、必ず其の兵を以て晋に臨(のぞ)まん、と。晋君大いに恐れて曰く、之を為すこと奈何(いかん)せん、と。子貢曰く、兵を修め卒を休めて以て之を待て、と。晋君許諾す。子貢去りて魯に之(ゆ)く。呉王果(は)たして斉人と艾陵(がいりょう)に戦ひ、大いに斉の師を破(やぶ)り、七将軍(ひちしょうぐん)の兵を獲(え)、而(しか)も歸(かえ)らず、果たして兵を以て晋に臨(のぞ)み、晋人と黄池(こうち)上(ほとり)に相遇(あいあ)ふ。呉・晋、彊(きょう)を争ふ。晋人之を撃(う)ち、大いに呉の師を敗(やぶ)る。越王之を聞き、江(こう)を渉(わた)つて呉を襲ひ、城を去ること七里にして軍す。呉王之を聞き、晋を去りて歸り、越と五湖(ごこ)に戦ふ。三たび戦ひ勝たず、城門守らず。越遂に王宮を圍(かこ)み、夫差(ふさ)を殺して其の相を戮(りく)す。呉を破りて三年、東向して覇(は)たり。故(ゆえ)に子貢一たび出(い)でて、魯を存(そん)し斉を亂(みだ)し、呉を破り晋を彊(つよ)くして、越を覇(は)とす。子貢一たび使ひして、勢(いきお)ひをして相破(あいやぶ)らしむ。十年の中(うち)に、五國各々(おのおの)變(へん)有り。
子廃擧(はいきょ)を好み、時と與(とも)に貨し(かし)を轉(てん)ず。喜(この)んで人の美を揚げ、人の過ちを匿(かく)すこと能(あた)はず。常(かつ)て魯・衛に相(そう)たり。家、千金を累(かさ)ぬ。卒(つひ)に斉に終わる。
史記「仲尼弟子列伝」
2014-09-06 中国歴史ドラマ
孔丘は政治から距離を置き、弟子たちと静かに自給自足の生活をしていた。そんな彼を、子貢という斉の商人が訪ねてくる。孔丘と弟子たちの様子を眺めていた子貢は、孔丘に自らの悩みを打ち明けて弟子入りを願い出る。そのころ、曲阜に居座って軍費だけを要求し続ける六国の軍に頭を痛めていた季孫斯は、孔丘に頭を下げて助けてくれるよう頼み込む。考え込む孔丘だったが、曲阜の長官の職を受け入れることに決めて……。以上はwowowオンラインのあらすじである。君子の儒とは何か。論語の語に、子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。孔子の論語 雍也第六の十三にある。子、子夏(しか)に謂(い)いて曰わく、女(なんじ)、君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ。小人(しょうじん)の儒と為ること無かれ。Confucius said to Zi Xia, “You should be a Confucian as a gentleman. Do not be a Confucian as a mere scholar.” http://mage8.com/magetan/rongo06.htmlより。 .