ご苦労
2017-07-27 | 日記
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国語調査
2006年07月27日23:32
怒り心頭に発する、が正しくて、それを、怒り心頭に達する、と答える人が74%
愛想を振りまくが48%、これは、愛嬌を振りまくの43.9%を上回った
お疲れ様と上司に使うのが69.2%、ご苦労様でしたが17.1%となったようだ
文化庁国語課の調査だ
いつもながら答えにくそうな微妙な言葉遣いでのアンケートだ
中日新聞はそれを「誤用心」と書いたりするから、間違いが起こる
慣用句の用法には世代によって思い込みが増えているのだろう
ここでいつもながら、ご苦労様を、どうして目上に言えないということになるのか、と思ってしまう
マニュアル敬語のなせる業である
ご苦労様、と、御がつき、様となる
上司が部下にどうして、こんな丁寧な物言いをする
ご苦労、といえばいい、クローじゃった、とやれば済むのに
と、考えてしまう
目下が上に言うからこそ、ゴクローサマなのだろうが
コメント
2006年07月28日 20:08
確かに「ご苦労様」は十分丁寧な表現ですね!
言葉を守るのは大切だけれど、新しい使い方でも機能するなら良いのでは…と思うこともあります(u‿ฺu ฺ)
そういえば、新潮社文庫のパンダご存知ですか?
夏のキャンペーンのヌイグルミが可愛いいんです!!
コメント
p2006年07月29日 00:36
言葉を自由に使おう、という思いがあります。
時代の衣は古くなるかもしれないが、中身が生きて、生き生きと人の気持ちを表すことが出来るはずです。
人に使ってよい言葉とか、悪い言葉とかがあるなら、それを使う意識に良いとか、悪いとかがある、そのことが言葉に表れます、だから、その言葉を使うな、となるけれど、言葉から規制するのは、意識がそうだということを認めるようなものです。
封建社会でなくなったから、封建社会で使った言葉をすべて使うな、と言うことは可能ですが、その言葉を使ったために、意識がまだ、封建社会のままだというのは、注意がいることです。つまり、前の時代の良いところも失っていってしまいます。
ご苦労さんは、家の使用人や御用聞きに来る人に向かって使われていました。
それこそ目上ではない、しかし、年をとった人がいたり、ちゃんとした商店主がいたりして、その人に、ご苦労さん、とか、どうもご苦労様、とか使っていたのですから、敬語になります。
その関係を残せば、心優しい思いに、ご苦労様と、目上の人に使う関係が生まれてきます。
つまり、身内では、ご苦労、苦労であった、の言い方が、外に向かって、年長に対しても、ご苦労様、となります。
その使い方を一般化して、ご苦労様と、身内でも親が子に、子が親に使うことがあっても好いし、何より夫婦間で妻が夫の甲斐性に、夫が妻にいたわって、お母さんご苦労様、と言います、お父さんご苦労様といい、それを子供が真似ます。
それなら、うちも、そとも、心を込めた、ご苦労様があってよいのでしょう。
企業や会社内で上司部下の関係を秩序の維持にもとうとするところでは、召したから、目下の関係で、目上には、ねぎらいがいらないとなるのでしょうが、それは封建時代か、それ以後の、主人と、使用人の関係を、そのまま引き継ごうとしている現れです。
ねぎらいは労働対価を支払う側がするものと、主人から労働提供者に、上司から部下に向かってするものと、決めているわけです。
お金を払うときに、払う側が払う相手に、ご苦労様、と言うのがいちばん似合っています。
しかし、労の字には、労わる、イタワルとの読みもあります。
ご苦労が、相手の苦をいたわるわけです。人々が使うときに、自然に、その意味を感じることがあります。むしろ、目下から目上にも、年少者が年長者にも、ご苦労さん、ご苦労様、と気持ちを持つことがあるのですから、使えるようにすれば好いでしょう。
社会が言葉をどう使うか、それは人々の意識の現われでもあるのです、お疲れ様を、目上にも、上司にも、と言うのはその気持ちを表したものでしょうから、そうマニュアルに書こうとします。
ところがそれをも、おかしいと言うのは、上がいつまでたっても、偉いのは自分たちで、いちど出来上がった上下関係を、その心地よい関係を変えたくない意識の表れでしょうか。
こどもが、おじいさん、おばあさんにご苦労様と言うのがどれ頬ほほえましいか、平社員が課長部長に感謝して、ご苦労さんと言えるようになったら、 その働きの大きさへの感謝として、こどもからすれば老人のつくった社会を引き継ぐし、部下にすれば、その上司の仕事を偉大なものとして引き継ぐのですから、使ってみてもいいとおもいますよ。
先生、ご苦労さんと言われたら、その学生に、君もがんばらねばならんよ、と言う気持ちで、ありがとう、をはっきりと言いましょう
か。
2006年07月31日 21:37
一つの言葉にもこんなに色々な背景があるんですね!!
とても勉強になりました!
ただ新しい言葉を受け入れるだけではなく、
その言葉の成り立ちをしっかり理解した上で
相応しいかを決めなくてはならないのだ、と実感しました。
コメント
2006年08月01日 07:06
新聞コラムから、次は毎日の、余録、20070726
*** 引用 ***
ご苦労、は昔の殿さまが家来をねぎらう言葉だったから、目上の人に、ご苦労さま、というのは失礼だといわれる。
だが日本語研究者の飯間浩明さんが江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎を調べても、そんな言い方をする殿さまはいなかった。
むしろ逆の例が目についた。
*** 引用 終わり ***
と、江戸時代の例を挙げている。
仮名手本忠臣蔵
顔世(かおよ)御前が夫の上役の高師直(こうのもろなお)に対して「御苦労ながら」
家老の加古川本蔵が早朝に登城する主君を「御苦労千万」と
気遣う場面もあった
(「遊ぶ日本語 不思議な日本語」岩波アクティブ新書)
たらちゃん
たらちゃん2006年08月01日 15:12 削除
「御苦労」が様々な場面で使われていたと初めて知りました!
始めから「目上の人に対する言葉」
という決まりがあった訳では無いんですね!
いつから「ご苦労様=目上→目下」になったのでしょう?
「お疲れ様」も昔から使われていたのでしょうか?
コメント
2006年08月02日 00:43
次は日経の春秋からです、20060728
*** 引用 ***
「ご苦労さまでーす」。職場の学生アルバイトにこう言われて面食らったことがある。それはヘンだよと諭したが、腑(ふ)に落ちない様子。居酒屋の店員が「お勤めご苦労さまでした」と話しかけながらビールを注いでくれたこともあった。
▼文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が興味深い。相手が上司でも「ご苦労さま」と言う人が15%いる。多数派は「お疲れさま」。しかし本来はどちらも目下への労(ねぎら)いの言葉のはずだ。そう思っていたが、「お疲れさま」どころか「ご苦労さま」にも感謝の意味があると唱える専門家もいるからややこしい。
*** 引用 終わり ***
社会通念になってしまったのはいつ頃でしょう。
このコラムのように、こう思う人がいるのです、この1文にある年代は50代でしょう。
こんな風に思うということは、すでに、30年前にしみこんだ規範ですから、1970年代ぐらいの、学生の時期にしみこんで、それを、そうだ、それが正しいと思い込んだためと想像できます。
そういえば・・・2度くらいの波がありました。
学生諸君がアルバイトで気にし始めたのが、古い記憶で、昭和50年代、1975年前後の、それ以降だったか、マニュアル敬語が出来たころのことです。
質問を受けたことがあって、目上に使っていかんと言われたのなら、ご苦労様の代わりになるのは、まあ、お疲れ様かな、と即答したことがあって、それはすでに騒がれていたようです。
その10年後ぐらいから、ファストフード店の、郊外型レストランが増えて、そこで働くアルバイトで、それか何かで、昭和から平成のバブル期にかけて、男子学生が盛んに質問してきたようでした。
年代のずれは、ありますが、アメリカから来た外食産業が日本型になっていく経過での従業員教育に現れたでしょうか、それかデパートの社員教育でしょう。
おそらく、自由の風土から来た産業は、日本型の社会で言葉教育の重要性ならぬ、顧客を上得意と見る日本型企業の厳然としてある身分制?を取り入れて、言葉にマニュアル化したからでしょう。
その記憶をたどってみると、若者がアルバイトを必死でやっている時代があった、と思い出されます。
サービスに丁寧な語を使うマニュアル敬語は、いつしか、言葉狩りを始めて、こう言え、ああ言うな、としたものです。
これは流行すると、したり顔に専門家が出てきて、しつけならぬ、お作法として言い始めます。まことしやかに、うちと外で使い分けていたのを忘れて、うちの中に、外の身分制を持ち込んで、うちの中での上下の序列関係を作り出したのでしょう。
日本社会のうちの関係は、もっとさまざまに、丁寧語から、それこそ普段口まで、自由な社会がありました。おおらかに言葉を使って、方言などを思い浮かべると、その家なりに明るい家庭であることがすぐにわかります。
にもかかわらず、外の序列をとりこんでしまった企業は、家族型を変形させました。
中根千枝の日本型社会、縦の序列の考え方も影響したでしょうか。
とにかく、敬語がその序列維持に働いたのは、本来の使い方ではありません。
敬意があるから敬語となるのであって、敬語を使えば敬意が表れると思うのはとんでもない、そこへ、しかし、敬語の意味を求めると、人間関係のルールを持ち込んで、敬語で表せとなります。
人々に自然にわく、人間だから互いを尊重しあう敬語を思い合わせる必要があります。えらそうにしているから、尊敬しろと言われても、それは、とてもできるものではありません。
あなた、を、目上に使うな、というのも、似たような原理で、せっかく言葉での平等宣言をした、あなた、は、もともと尊敬を表していました。つまり目上に使っていた、もしくは、丁寧な呼び方だったのです。
それを対等の2人称に使おうとしたのを、目上が、それは待てと、えらそうな態度を維持するために言い出して、これは、大体、東京人に多い。
と言うのは、ボクの偏見ですが、間違いなくそうです、人を見下すやり方で、だからかえって、目下と思う人から、あなたと、言われると、自分の存在基盤がぐらついて、情けないことになるので、目上に使うな、と言い出します。
さらには逆手にとって、目下が、あなた、という語を使っているのは、目上を尊敬していないからだとか言って、対等の人間である関係を身分と年齢の上下関係に引き戻そうとします。
尊敬されたいなら、目上であることをひけらかすのではなくて、さりげなく目下をひき立てるほうが、目上らしいのに、自分の自信がないことを現してしまいます。
あれ、違う話題になってしまったようです。
が、どこかで聞いたことのあるハナシでしょ!
身分の上下関係を維持しようとする企業倫理ならぬ、その論理は、秩序と上客を保持するためのものでしたから、答えてて、その目上との関係を維持すべく、労をねぎらうのでなく、大変だった疲れを表現して、丁寧に言えばいいよ、と理屈をひねっていたのを思い出します。