ネコの兄弟だろう。茶色の毛並みと鋭い視線が、野良ネコのたくましさと悲哀を感じさせる。このときもそうだった。人懐っこい面を秘めながらも、周囲に敏感に耳を澄ませ、いつでも臨戦態勢に入る準備をしながら、のんきにひなたぼっこもしていた。遠足の子どもたちの集団が来ると、いつのまにかどこかに消えていた。
ネコはその根底にかなりな我侭さを持ち合わせながらも、人の愛情の深さをいつも探っているようだ。甘え上手だが、本質はさみしがりなのだろうか。
私はネコの身勝手さが苦手だが、野良ネコに対してはひと味違う興味はある。どこで寝泊りして、餌はどうしているのだろう、雨の日はどこで雨宿りするのだろうと考えて、たくましく暮らせよと応援したくなる。でも人間社会の世間一般では、野良ネコは、はぐれ者である。そばに優しい人がいないと、たちまち食いっぱぐれて、のたれ死にも待ち構えているのだろう。他人事と思えない、そんな感性が私の根底にもあるように思う。
ネコはその根底にかなりな我侭さを持ち合わせながらも、人の愛情の深さをいつも探っているようだ。甘え上手だが、本質はさみしがりなのだろうか。
私はネコの身勝手さが苦手だが、野良ネコに対してはひと味違う興味はある。どこで寝泊りして、餌はどうしているのだろう、雨の日はどこで雨宿りするのだろうと考えて、たくましく暮らせよと応援したくなる。でも人間社会の世間一般では、野良ネコは、はぐれ者である。そばに優しい人がいないと、たちまち食いっぱぐれて、のたれ死にも待ち構えているのだろう。他人事と思えない、そんな感性が私の根底にもあるように思う。