昆陽池は冬になると、渡り鳥がいっぱい飛来してくる。戻って来るというべきか。池で羽を休めて、長い旅の疲れをいやす。毎年繰り返すこの行動は、生きるためが故の本能である。生き物に土着型と放浪型があるとするなら、私はどうみても放浪型だろうか。
いやなニュースの多い昨今である。「森さん、人間はね。ふたつの種類にわかれる。損得で物を考えるか、考えないか。二つしかないね。」写真家の西川孟先生の言葉は、時を経ると骨身に沁みてくる。どちらかを選択するしかないのだ。
いやなニュースの多い昨今である。「森さん、人間はね。ふたつの種類にわかれる。損得で物を考えるか、考えないか。二つしかないね。」写真家の西川孟先生の言葉は、時を経ると骨身に沁みてくる。どちらかを選択するしかないのだ。