今年の1月に広島に行ったときに撮った駅前の「平和の像」だと思う。広島駅に着くたびに、村山聖が亡くなった日のことを思い出す。出張先の山陰から電車で広島に着いて、村山君のお兄さんに送迎してもらった。「聖は最後まで生きることをあきらめてなかったです・・」車の中でお兄さんがつぶやいた・・
村山君のことで広島に通って印象に残るのは三度あった。入会のいざこざのとき、手術するかどうか決めるとき、そして亡くなった日のことである。生きていることは常に何かが傲慢である。そう思う。
村山君のことで広島に通って印象に残るのは三度あった。入会のいざこざのとき、手術するかどうか決めるとき、そして亡くなった日のことである。生きていることは常に何かが傲慢である。そう思う。