スキャナーを使って、過去のプリントしていないフィルムの整理中だ。
昔の写真で、奨励会旅行で滋賀の石山寺にいったときの一枚だ。もう一枚村山君が漫画を見ている後ろ姿を撮っていた。モノクロだが、恐らく私が写真を撮り始めた時期だろうと思う。きちんとネクタイをしているので、彼が棋士になった直後あたりかもしれない。
記憶は薄らいでいく。この写真が存在するのも知らなかった。頭が切れているがどこかの旅館の一室なのだろう。ヘタクソなだけ、私にはぐっと来るものがある。
中国の旅でもまだプリントしていないモノクロフィルムが20本くらいある。モノクロはコストが高いので当時は躊躇していたのだ。けち臭いわけではないが予算不足だったのだろう。そのまま放っている。
昔の映画のワンシーンのような一枚で、そのうち何か記憶が蘇るかもしれない。
いつものけだるい物憂げな村山聖である。
昔の写真で、奨励会旅行で滋賀の石山寺にいったときの一枚だ。もう一枚村山君が漫画を見ている後ろ姿を撮っていた。モノクロだが、恐らく私が写真を撮り始めた時期だろうと思う。きちんとネクタイをしているので、彼が棋士になった直後あたりかもしれない。
記憶は薄らいでいく。この写真が存在するのも知らなかった。頭が切れているがどこかの旅館の一室なのだろう。ヘタクソなだけ、私にはぐっと来るものがある。
中国の旅でもまだプリントしていないモノクロフィルムが20本くらいある。モノクロはコストが高いので当時は躊躇していたのだ。けち臭いわけではないが予算不足だったのだろう。そのまま放っている。
昔の映画のワンシーンのような一枚で、そのうち何か記憶が蘇るかもしれない。
いつものけだるい物憂げな村山聖である。
“悲しさ”を感じてしまいます。
歴史に、“もしも…”はありませんが、村山先生が生きていらっしゃったら、一度教えを乞いたかったです。
でもこれから写真を整理していて、また村山君に会えるのではという期待があって、楽しみです。
ただの生意気な奴の面もありました。人に同情される事を極度に嫌っていたので、自分の本心をカモフラージュしていたような気もします。いろんなこととの戦いは「ひとりで戦うもの」と決めていたのでしょうね。素顔は純粋で、意外に頑固でうぶなところもあったと思います。この写真は何度見ても懐かしいです。
さっきまで本の中の人であった師匠の森さんのWebに書き込んでいるのが不思議な感じがします。
素直に読んでよかったと思える本でした。
目が離せず一気に読み切りました。
僕も広島出身で住んでいたところも近かったのと、ほぼ同世代の者として親近感を覚えたのと同時に、知る由もなく近くで起こっていた物語と自分の年表を重ねながら読み、一つのことに文字どうり命がけで望む彼の姿勢にとても刺激を受けました。
若くして病気で亡くなられたのはとても残念ですが、その病気が村山聖という人間を育てたのだと思うと
その思いもやわらぐ気がします。
時間には限りがあるという事を意識して
一日一日を大事にして行こうと思いました。
将棋が強い弱いでなくて、乾いた感性でなくて、日々積み重ねてきた精進と、ごく普通の人間味が、村山君の良さだったのだろうなあ、そう思うこの頃です。聖の青春を通じて、このページまで来られたことを、とってもうれしく思います。
ありがとうございました。
辛さ悲しさを時と共に忘れる事で人は生きていけるといいますが、忘れられない何かを抱く事で生きていける人もいるのだと思います。・・私にとってはその一つが村山さんの真っ直ぐな生き方であり、それを支えられた皆様方の心の温かみです。
誉められた人生ではありませんが・・私も自分の力を高め、どこまでやれるか勝負してみます
村山聖の一枚は何度見ても懐かしく感じます。自分の人生を常に問いかける存在でもあります。常に悔いばかり残しますが、心のどこかで、きちんと生きなければという思いがこみあげます。
力むことなく、でも村山聖を忘れることなく、がんばって下さい。