9月は週末になると奨励会入会希望の弟子の親との懇談があった。年に1回だけ家に来てもらって、試験の結果の状況や今後の進路を話し合うためだ。
弟子入りに来たとき、たいてい「うちの子は将棋しかありません」と言うのだが、私は信用していない。順風満帆のときはいいが、逆風や危機のとき、同じセリフは出てこないからだ。たとえば心に余裕のあるときと、切羽詰ったときに同じ心境でいられることは無いのと同じだ。言葉にウソはなくても、人の心は流動的で、心にも光と影、表と裏がある。あてにならない。
弟子の将棋を強くするために師匠があるのではない。弟子が強さだけでなく、謙虚さとともに、自分で道を切り開く糧になりたいと思うが、現実はそのレベル以前で「弟子を全員辞めさせて下さい」と言った村山聖の言葉が浮かんでくる・・・
「決心はたやすいが、日々の生活も流されやすい」のだ。
心の中で、泣きながら将棋を指す、というような感性はもう古いのだろうなあ。
現代は棋士の存在価値、魅力が問われる時代だと思っている。でも、そこに今風の勝ち感覚のみだけなら、私には興味がない。人を惹きつけるものは、人の生き様だと思うからだ。
ほぼ懇談を終えて、ほっとした反面、これから弟子に対してどうしようかと思案に暮れる。頼り無い師匠である。
弟子入りに来たとき、たいてい「うちの子は将棋しかありません」と言うのだが、私は信用していない。順風満帆のときはいいが、逆風や危機のとき、同じセリフは出てこないからだ。たとえば心に余裕のあるときと、切羽詰ったときに同じ心境でいられることは無いのと同じだ。言葉にウソはなくても、人の心は流動的で、心にも光と影、表と裏がある。あてにならない。
弟子の将棋を強くするために師匠があるのではない。弟子が強さだけでなく、謙虚さとともに、自分で道を切り開く糧になりたいと思うが、現実はそのレベル以前で「弟子を全員辞めさせて下さい」と言った村山聖の言葉が浮かんでくる・・・
「決心はたやすいが、日々の生活も流されやすい」のだ。
心の中で、泣きながら将棋を指す、というような感性はもう古いのだろうなあ。
現代は棋士の存在価値、魅力が問われる時代だと思っている。でも、そこに今風の勝ち感覚のみだけなら、私には興味がない。人を惹きつけるものは、人の生き様だと思うからだ。
ほぼ懇談を終えて、ほっとした反面、これから弟子に対してどうしようかと思案に暮れる。頼り無い師匠である。