珍しい麻雀の切り絵である。176号線沿いの井戸水コーヒー「レストイン・デカンショ」に飾ってあった。作者は中国の人のようだが、名前は忘れた。
私も麻雀は大好きだったが、最近はほとんどご無沙汰だ。昔は徹夜ですることがしょっちゅうで、一週間に5日のペースだったこともある。かといって強いわけでなく、どちらかいうと中間から負け組寄りだろう。その時期は昼と夜が逆転の生活で、お日様がまばゆく感じる日々だった。
私の門下は、棋士になるまでは禁酒、禁博打、禁外泊にしている。破れば破門である。私自身も遊びだしたのは棋士になってからで、奨励会のときは、むしろ刑務所で刑期を務める囚人の覚悟だった。だからほとんど外と断絶した生活だったが、それはそれで充実していた。ただ、棋士になってからその反動が大きくて、堕落論ではないが、心が緩んでしまったように思う。
私の中には真面目な勤勉さと、堕落して遊ぶ、その二つが常に同居しているのだろう。また慣れて来てうまくいき出すと、自分の中で何かを壊して、安定から遠ざかろうという生意気な本能があるような気がする。
損得やただの勝ち負けだけの世界はつまらないと思う。心を揺さぶらないものには興味を失うのが、自分の傲慢さかもしれない。と言いつつ、小さな損得や勝ち負けにはこだわる、いい加減な自分もいる。
私も麻雀は大好きだったが、最近はほとんどご無沙汰だ。昔は徹夜ですることがしょっちゅうで、一週間に5日のペースだったこともある。かといって強いわけでなく、どちらかいうと中間から負け組寄りだろう。その時期は昼と夜が逆転の生活で、お日様がまばゆく感じる日々だった。
私の門下は、棋士になるまでは禁酒、禁博打、禁外泊にしている。破れば破門である。私自身も遊びだしたのは棋士になってからで、奨励会のときは、むしろ刑務所で刑期を務める囚人の覚悟だった。だからほとんど外と断絶した生活だったが、それはそれで充実していた。ただ、棋士になってからその反動が大きくて、堕落論ではないが、心が緩んでしまったように思う。
私の中には真面目な勤勉さと、堕落して遊ぶ、その二つが常に同居しているのだろう。また慣れて来てうまくいき出すと、自分の中で何かを壊して、安定から遠ざかろうという生意気な本能があるような気がする。
損得やただの勝ち負けだけの世界はつまらないと思う。心を揺さぶらないものには興味を失うのが、自分の傲慢さかもしれない。と言いつつ、小さな損得や勝ち負けにはこだわる、いい加減な自分もいる。