平成10年4月に開いた祝賀会の礼状である。「聖の青春」のプレイベントで静岡に行くので、資料に目を通していたら出てきた。
「関西にも山崎君という男前の棋士が誕生しました。私は(復帰が)1年先、2年先、3年先になるか、分りませんが・・」この挨拶が、公の席での最後の姿となった。祝賀会の翌日、関西将棋会館でばったり出くわして「大丈夫か?」だるそうな声で「ハイッ」そう言葉を交わしたのが、村山君との最後となった。
人の出会いと別れは、一瞬である。長い時間であっても一瞬なのだ。
「関西にも山崎君という男前の棋士が誕生しました。私は(復帰が)1年先、2年先、3年先になるか、分りませんが・・」この挨拶が、公の席での最後の姿となった。祝賀会の翌日、関西将棋会館でばったり出くわして「大丈夫か?」だるそうな声で「ハイッ」そう言葉を交わしたのが、村山君との最後となった。
人の出会いと別れは、一瞬である。長い時間であっても一瞬なのだ。