面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

甲子園ラストゲーム③

2006年10月13日 | 野球
↑片岡選手、お疲れ様でした

片岡の引退セレモニーはつつがなく進み、場内一周後に三塁ベース付近で胴上げされた。
赤星選手会長が花束贈呈に参加してもらった中日の3選手に声をかけ、敵味方入り乱れての胴上げ。

片岡にとって、タイガースに来たことは幸せだったのだろうか。
2001年のシーズン終了後、FAにより日本ハムからやってきた彼。
日本ハムで骨をうずめるか、地元でもある関西のタイガースに移籍するか、かなり悩んだとか。
タイガースでの5年間、満足いく成績を残せなかったことがほとんどで、辛かっただろう。
引退セレモニーでも彼は、何度も泣きながら甲子園を後にしたと言っていた。
選手としてのピークを過ぎてからの移籍は、困難だらけだったに違いない。
しかし、「日々新た、チャレンジ!」として頑張ってきたのだろう。
真摯な練習態度は、若手選手の見本にもなっていた。

今年、日本ハムはプレーオフでもホークスを破り、パ・リーグの覇者となった。
北海道に移転して地元に根付き、今や札幌ドームに5万人近い観客が押し寄せるまでになった。
片岡が日本ハムにとどまっていれば、生え抜きのベテラン主力選手として、人気選手になっただろう。
しかしタイガースに移籍してきたことで、甲子園で連日5万人近い観客の前でプレーすることができ、2度の優勝を経験できた。
引退後は評論家として、関西のスポーツ紙に記事が載り、テレビやラジオで解説が聞けることだろう。
タイガースの人気選手だった彼は、関西マスコミ界では引く手数多に違いない。

日本ハムにとどまったにせよ、タイガースに来たにせよ、いずれにしても彼は多くのファンに支えられるという幸運に恵まれた彼は、幸せなプロ野球人生だったと言えるだろう。
(彼にすれば大きなお世話だが)

優勝争いには関係のない甲子園の最終戦であったが、片岡の引退をライブで見届けることができたのは幸運であった。

甲子園ラストゲーム②

2006年10月13日 | 野球
↑旧友・立浪から花束贈呈

試合は、スタメンから福留、ウッズが外れたうえにほろ酔いの中日を順当に倒して5対1で勝利(勝たなファンが暴れるちゅうねん)

試合終了後、選手整列による挨拶の後、片岡の引退セレモニーへ移行。
タイガースからはもちろん(下柳・赤星・今岡による)から花束が贈呈されたが、中日からも花束が贈られた。
プレゼンターは選手会長の井上、PL学園の後輩・福留、そしてPLの同級生で共に春夏連覇を達成した立浪。
立浪とは花束贈呈とともに固く抱擁(いやらしい意味は全くない)。
熱い友情が見てとれて感動的であった。

思えば、立浪も今年はレギュラーを剥奪されて代打に甘んじていたが、シーズン終盤は代打の切り札として活躍した。
残念ながら片岡は“立浪にはなれなかった”ことが、タイガースの最近の伝統に則して言い換えれば、真弓、田尾、八木にはなれなかったことが、引退を早めることとなった一因と言える。

甲子園ラストゲーム①

2006年10月13日 | 野球
↑一目で片岡とわかる打撃フォームも見納め

優勝を決めた中日を迎えての甲子園ラストゲーム。
タイガースファン仲間から手回った、内野指定イエローシートのチケット。
手配を依頼したときは、まだこの試合が「最後の決戦」になる確率が残っていた。
それが結果的には消化試合に…。

しかし、タイガースにとって甲子園最後のこの試合は、片岡の引退試合としてセッティングされることとなり、当初の目論見とは異なるも、意義深いものとなった。

片岡は6番サードとして先発出場し、タイムリーヒットと二塁打を放ち、自ら有終の美を飾る活躍を見せた。