赤塚不二夫さんにお別れ タモリさん「私も作品の一つ」と弔辞(共同通信) - goo ニュース
報道ステーションで、タモリの弔辞全編を見た。
タモリと赤塚不二夫の出会いから、タモリの芸能界デビューに至る経緯が詳細に語られ、そして最後にタモリが発したこの言葉を聞いたとき、胸が震えた。
タモリのデビュー当時のことは、子供心に覚えている。
イグアナの真似や「ハナモゲラ語」を駆使する不思議なタレントの登場に、なぜか赤塚不二夫が絡んでいるのが不思議だった。
赤塚不二夫は漫画家やのに、なんでタモリと一緒にテレビに出てヘンなことしてるんや?
まだ幼い自分には、タモリと赤塚不二夫の関係がよく分かっていなかったからでもあった。
大スポにも二人の関係性についての記事が掲載されていたが、タモリの言葉にもあったように、本当に肉親を超えた間柄だったことがよくわかった。
タモリにとっては、さぞ辛いことだったろう。
無念の思いを言葉に託して弔辞を“読みあげる”タモリの手元をよくみると、読んでいるはずの原稿は真っ白だった。
これにも、驚くと同時に感動を覚えた。
これは推測だが、原稿に起こして書くことはできなかったのではないだろうか。
文字にしたためようとしても、涙が溢れてとても書ける状態ではなかったのではないだろうか。
また、よしんば書いたとしても、そんな書いたものを読むような“他人行儀”なことはできなかったのではないだろうか。
しかし、生きている間には御礼を言えなかったタモリにとって、告別式という公の場において、形式に則り、弔辞を“読み上げる”ことで礼節をわきまえた姿勢をとることで、赤塚不二夫に対する最大限の敬意を表し、心からの御礼としたのではないだろうか。
弔辞を読み終えたタモリが、「笑っていいとも」へと向かい、しっかり常と変わらぬ仕事をしたことにも、タモリの深い悲しみと故人に対する敬意と感謝が込められていると思うのは、考えすぎだろうか。
桂吉朝の告別式でのざこばの弔辞にも心を打たれたが、赤塚不二夫の告別式でのタモリの弔辞は、凛として潔く、また芸人としてのスケールの大きさを感じさせられる感動のシーンだった。
合掌
報道ステーションで、タモリの弔辞全編を見た。
タモリと赤塚不二夫の出会いから、タモリの芸能界デビューに至る経緯が詳細に語られ、そして最後にタモリが発したこの言葉を聞いたとき、胸が震えた。
タモリのデビュー当時のことは、子供心に覚えている。
イグアナの真似や「ハナモゲラ語」を駆使する不思議なタレントの登場に、なぜか赤塚不二夫が絡んでいるのが不思議だった。
赤塚不二夫は漫画家やのに、なんでタモリと一緒にテレビに出てヘンなことしてるんや?
まだ幼い自分には、タモリと赤塚不二夫の関係がよく分かっていなかったからでもあった。
大スポにも二人の関係性についての記事が掲載されていたが、タモリの言葉にもあったように、本当に肉親を超えた間柄だったことがよくわかった。
タモリにとっては、さぞ辛いことだったろう。
無念の思いを言葉に託して弔辞を“読みあげる”タモリの手元をよくみると、読んでいるはずの原稿は真っ白だった。
これにも、驚くと同時に感動を覚えた。
これは推測だが、原稿に起こして書くことはできなかったのではないだろうか。
文字にしたためようとしても、涙が溢れてとても書ける状態ではなかったのではないだろうか。
また、よしんば書いたとしても、そんな書いたものを読むような“他人行儀”なことはできなかったのではないだろうか。
しかし、生きている間には御礼を言えなかったタモリにとって、告別式という公の場において、形式に則り、弔辞を“読み上げる”ことで礼節をわきまえた姿勢をとることで、赤塚不二夫に対する最大限の敬意を表し、心からの御礼としたのではないだろうか。
弔辞を読み終えたタモリが、「笑っていいとも」へと向かい、しっかり常と変わらぬ仕事をしたことにも、タモリの深い悲しみと故人に対する敬意と感謝が込められていると思うのは、考えすぎだろうか。
桂吉朝の告別式でのざこばの弔辞にも心を打たれたが、赤塚不二夫の告別式でのタモリの弔辞は、凛として潔く、また芸人としてのスケールの大きさを感じさせられる感動のシーンだった。
合掌