面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「ラストゲーム 最後の早慶戦」

2008年08月10日 | 映画
1943年。
戦争が激化する中、練習に励む早稲田大学野球部の選手たち。
“敵国の国技”とされた野球に対する風当たりが強くなり、当時絶大な人気を誇っていた六大学野球は廃止された。
更に、学業優先とされていた大学生に対する徴兵猶予も停止されることとなり、彼らはボールを手榴弾に、バットを銃に持ち替えなければならなくなったのだった。
そんな中、顧問の飛田穂洲(柄本明)のもと選手たちは、出陣のその日まで野球を続けると誓っていた。
部員の戸田(渡辺大)は、厳格な父親から「敵国のスポーツにいつまでうつつを抜かしているのか」と叱責されながらも、軍隊に志願した兄から、
「戦争は俺に任せて、お前は野球をやれ」
という言葉を胸に、野球部の寮で合宿生活を続けていた。
そんなある日、慶應の小泉塾長(石坂浩二)が、飛田のもとに早慶戦を申し入れに来た。
「学徒出陣」を控えた学生達に、せめてもの餞として、この「伝統の一戦」を実現したいと言う小泉の提案に心打たれた飛田は実現に向けて動き出したが、思いもよらぬ反対にあい立ちすくむ。
早稲田総長・田中(藤田まこと)が絶対反対を唱えたのである…

太平洋戦争が激化すると、野球は、敵国アメリカの国技であるという理由で、軍部から目の敵にされることになった。
そのあおりを受けた六大学野球は解散を余儀なくされ、追い討ちをかけて学生の徴兵猶予も廃止された。
“死地”に赴く前の最後の願いとして行われた「出陣学徒壮行早慶戦」の話は知っていたが、その実現までの紆余曲折を初めて知り、改めて「学生野球の父」と呼ばれた飛田穂洲(とびたすいしゅう)と、教育者として名高い小泉信三の偉大さに心を打たれた。

両校の学生にとっての誇りである伝統の一戦を、軍部の反感を少しでも逸らせようと「出陣学徒壮行早慶戦」と銘打ったことには、忸怩たる思いがあったかもしれない。
しかし、もう二度と見ることができないと思っていた一戦が実現することになった喜びに比べれば、取るに足らないささやかなことであったか。
「これが最後の試合」と、この一球、この一振りに思いを込めてプレーした選手たちと同じく、スタンドを埋めた学生たちもまた、一つ一つのプレーを脳裏に焼き付けていったに違いない。
この日、試合が行われた早稲田のホームグラウンドである戸塚球場に集まった学生達は皆、自分は間違いなく早稲田・慶応の人間である!という誇りを胸に刻み、戦地へと向かう恐怖を乗り越えようとしたのではないだろうか。
その胸中を思うと、スクリーンは涙でにじんだ。
そして試合終了後、スタンドに陣取った両校学生によるエールの交換に、溢れる涙を止めることができなかった…

私事で恐縮であるが、小学生の頃から「週刊ベースボール」を愛読していた自分は、早慶戦に燃える神宮球場に身を置きたくて、早稲田に憧れたことがある。
もちろん(?)力及ばず入学することは叶わなかったが、関西の某伝統校に入学した際、早慶戦と同様、ライバル校との対戦がイベント化されていることを知り、その“伝統の一戦”の応援に某野球場へ行ったときは、結構感動したものだった。
「…高らかに叫べ、誇りの歴史。いざ立て友よ、勝利は待てり。白熱の意気、敵無し♪」
試写会からの帰り道、最寄駅から自宅までの間、気がつけば母校の応援歌を口ずさみながら自転車をこいでいた。

「野球(ベースボール) - 生きて我が家(ホーム)に還るスポーツ」
冒頭、スクリーンにこの言葉が現れた瞬間、心を鷲掴みにされた。
最後の早慶戦を戦った選手達だけでなく、多くのプロ野球選手も戦場で散ったあの時代に、なんと意味の深い言葉であろうか。
神山監督が、またひとつ、ヒューマニズム溢れる感動作を世に送り出した。


ラストゲーム 最後の早慶戦
2008年8月23日公開/日本  監督:神山征二郎
出演:渡辺大、柄本明、石坂浩二、藤田まこと、富司純子、柄本佑、原田佳奈