面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

チンピラもせんようなこと。

2010年09月20日 | ニュースから
船長拘置延長、中国「強烈な報復措置講じる」(読売新聞) - goo ニュース


日本領内に侵入しておきながら、度重なる傲岸不遜な態度を取り続けるのはまだしも、日本が返還した漁船にわざわざ穴を開け、
「これが日本が漁船に体当たりした証拠の穴だ!」
と言い張るに至っては、正にもう噴飯もの。
ぶつけられた穴だと言うのなら、もう少し何かがぶつかってできた自然な感じに穴を開ければよいものを、四角く船首部分に穴をあけて「ぶつけられた」とは、安モノの当たり屋でもやらんような恥ずかしい行いだ。
下っ端のチンピラでもやらんような言いがかりをつけるとは、何をそんなに焦っているのか、無知蒙昧な自分にはとんと理解できない。

いずれにせよ、日本はあたふたと相手に擦り寄る必要はない。
というより領海侵犯の非は中国にあるのだから、何ら下手に出る必要も無いのである。
逆にヘンに中国の“御機嫌”をとるような態度に出たならば、それこそ尖閣諸島は中国領であると認めるようなもの。
そもそも、漁船と乗組員を中国に還したこと自体、早まったのではないかとさえ思うのだが、浅はかな自分にはよく分からない。

様々な文化や知識をもたらし、日本の進化に大きく貢献してくれた太古の中華は、今はもう跡形も無くなってしまったのか?
太陽が昇る国の王より、太陽が沈む国の王へご挨拶申しあげると言い切った聖徳太子は、未来の大陸における“小人物ぶり”を喝破していたのかもしれない。
天晴れ大人物である。

まあ、今の日本にこれほどの大人物もいないので、どっちもどっちな状況ではあるのだが。
同じ大人物のいない国ならば、ここは現代の秩序に則り、国際的に日本固有の領土と認められていることに基づいて行動をとればいいだけのこと。
相手がチンケな国に成り果てたのなら、こちらはオトナの態度に徹するべき。
中華の皆さんには、太古の御先祖様の“大きさ”に倣い、こんな小さな小国相手にムキにならないで欲しいと、卑小な身としては切に願うばかりである。


「ソルト」

2010年09月19日 | 映画
石油会社を装ったアメリカCIA本部。
優秀な分析官であるイブリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、そこをCIAと知ったうえで訪れたロシアからの亡命者というオルロフ(ダニエル・オルブリフスキー)を尋問する。
ロシアの特殊スパイ養成機関の教官だったという彼は、アメリカに長年潜伏してきたロシアのスパイが、アメリカ副大統領の葬儀に参列するために訪米する予定のロシア大統領を暗殺すると告げる。
彼が告げたそのスパイの名は「イブリン・ソルト」。
突如として二重スパイの容疑をかけられたソルトは、身の潔白を訴えるが聞き入れられず、最愛の夫の身を案じてCIA本部から逃走する。
だが自宅に戻ってみると既に夫の姿はなく、何者かに連れ去られた形跡が残っていた。
翌日、副大統領の葬儀が行われる協会に姿を見せたソルトは、思いもよらぬ行動に出る…

アンジェリーナ・ジョリー、強い強い強い!
とにかく強い!
衝撃に強い、ケガに強い、とにかくカラダが尋常でなく強い!
「600万ドルの男」…もとい、女性なのだから「バイオニック・ジェミー」か!?
いや、彼や彼女は殴られるようなことも銃で狙われるようなこともなく、ましてや激しいカーチェイスの果てに自分が乗っている自動車を高速道から落下させて逃げる、などというスーパーアクションをする必要などなかったのだから、いくら彼・彼女がサイボーグとはいえ、本作のソルトの強さにはかなわない。

もともとアンジーにとってアクションはお手のもの。
見事なお手並みを拝見できるのだが、今までの中でも最強のキャラクターが誕生した。
数年前にアンジーが、製作準備中だった「007 カジノ・ロワイヤル」の話を聞いて、
「私がボンドをやりたいっ!」
と漏らしたことから、本作の主演に据える話が急浮上したとか。
当初の脚本では男性(そしてトム・クルーズを予定)としていた主人公が、急遽女性に書き換えられたという。
しかしそれでアクションの激しさが急激に緩むものではなく、かえって過去のヒロインものとは比べものにならない程、アクションもストーリーも格段にハードなものとなっている。
チャーリーズ・エンジェルがいくらフルスロットルしようとも、到底追いつくレベルのものではなくなったのだ!
そしてその主人公たるソルトには、アンジーの風貌がドンピシャ、ズバリとハマっており、他の女優はとても想像できない。
当然、リンゼイ・ワグナーでは補えない。

物語も、冷戦時代のソ連において実際に存在したという「KAプログラム」を下敷きにしていて興味深い。
この「KAプログラム」とは、優秀な子どもたちを集めて徹底したスパイ教育を施し、極めて厳しい訓練に耐えることができた精神的にも肉体的にもタフな者だけが選抜されてアメリカへと送り込まれ、ひとたび指令が下されれば一斉に戦争をしかける「Xデー」を何十年も待ち続けさせるというもの。
このベースによって本作は、リアリティ満点の骨太なハードボイルド作品に仕上がっている。
最後の最後まで、一体誰が味方で誰が敵で、誰が裏切り者で誰が正義を目指しているのか分からず、心地よい裏切りが続いて、スクリーンから目が離せない。

アンジーの活躍に対して「んなアホな!」とツッコむのは正しい鑑賞法ではない。
ただひたすら何も考えずに、“アンジー版ジェームズ・ボンド”のアクションを楽しんでいただきたい。
アクションスターとしてのアンジーの魅力が最大限に引き出された、娯楽スパイ活劇の傑作!



ソルト
2010/アメリカ  監督:フィリップ・ノイス
出演:アンジェリーナ・ジョリー、リーヴ・シュレイバー、キウェテル・イジョフォー、ダニエル・オルブリフスキー

「食べて、祈って、恋をして」

2010年09月18日 | 映画
ニューヨークで活躍するジャーナリストのエリザベス(ジュリア・ロバーツ)。
30代に突入した彼女は、夫も財産も捨て、イタリア~インド~バリへと世界を巡る“自分探し”の旅に出る。

女性作家エリザベス・ギルバートが自らの経験を綴り、全世界40カ国以上で翻訳され、700万部のベストセラーとなった自伝的小説を映画化。

結婚8年目、郊外に家を建て、仕事も順調。
誰もがうらやむような生活をおくるエリザベスだが、漠とした虚無感に襲われ、夫との仲も何となくしっくりいかなくなる。
取材で訪れたバリで占い師から、
「短い結婚と長い結婚の2度結婚する、全財産を失うがまた取り戻す、全世界を旅し、再びバリに戻ってくる」
と言われた彼女。
ニューヨークに戻り、相変わらずしっくりとしない夫との仲を清算することにしたエリザベスは、全財産を夫に渡して離婚。

その後若い舞台俳優と新たな恋に落ちるが、それでも心に広がる虚しさは消えることはなく、ついに彼女は決心する。
「15歳のときから男とひっついたり別れたり、自分自身を見つめる時間は、2週間も無かった!」
恋愛依存症だった自分に決別すべくアメリカを飛び出し、自分探しのワールド・ツアーへと旅立った。


イタリアでは、心ゆくまでパスタを食べてピザを頬張り、ワインを飲んでデザートを楽しむ。
イタリア人の友人とその仲間や家族と過ごす中でエリザベスは、今このときを楽しむことを大切にし、何もしないことを楽しむという生き方に触れる。

次に、自分の内面を見つめるべく瞑想にふけるため、インドへとやって来る。
道場に入り、さっそく瞑想の時間を持つが、1分とじっとしていられない。
同じく道場で修業中の、言いたいことを遠慮なしにぶつけてくるアメリカ人のバツイチ男に、最初は嫌悪感を抱くエリザベスだったが、どことなく“似た者同士”な二人は次第に打ち解ける。
様々に語り合いながら日々を過ごす中で、彼女は自身の内面と向き合い、精神的な安定を得る。

そして取材旅行以来、およそ1年ぶりに訪れたバリ。
心の平穏を取り戻したエリザベスは占い師と再会して喜びを伝えるが、相手は自分のことなど知らないという。
以前に占ってもらって再び戻ってきたことを伝えると、占い師は彼女を思い出してこう言う。
「穏やかな顔に変わっていて分からなかった。」

1年前にバリを訪れたときのエリザベスは、様々なものを“背負っていた”のだろう。
仙人のようなバリの占い師にしてみれば、その顔はまるで夜叉のように怖かったのかもしれない。
それが菩薩のごとく平穏な顔になっていれば、相手を認識できないのも当然。
イタリアでは好きなものを好きなだけ食べて、インドで自分自身に素直に向き合い、自分の中に澱のようにたまっていたものを出し切り、内面のデトックスに成功した。
ここへきてようやく、“ありのままの自分”を取り戻すことができたのである。
そうして、“ありのままの自分”を受け入れることができた彼女は、その彼女を“ありのまま”受け入れてくれる相手と出会うことになる。
いろいろなものを身にまとっていた以前の彼女は、本当に自分にとって必要な相手と巡りあっていたとしても気付いてこなかったのではないだろうか。
バリ島での出会いは、運命などという「偶然」の産物であるかのようなものではなく、「必然」だったのである。

世の中の働く女性を巻き込んだ「カツマー」の嵐は凄まじいものだった。
自分の主張を貫くべく肩で風を切り、効率的で有効な時間の活用に神経をすり減らし、「カツマー」となって成功を収めるためにがむしゃらに働き続ける!
世の女性の全てが「カツマー」になれるはずもないのに、雨後の筍のように増殖を続ける「カツマー」に対して異を唱えたのが香山リカだった。
「カツマー」とは対極にある主張によって、自分の実力以上の頑張りに疲弊していた人々は、正に反動として今度は一挙に休息をとったことだろう。
極端な二軸によって、振り子のように大きく振れて疲れ果てたワーキング・ガールズにとって、本作は大きな示唆を与えてくれるに違いない。
それは決して、イタリアへ行ってインドで修行しなければならない、ということではないので念のため。
エリザベスがたどった足跡を、身近に置き換えて実践すればいいのである。

女性同士で観に行けば、エリザベスに大いに感情移入して盛り上がれること請け合い。
カップルで観に行くならば、男性諸君は彼女の“疲労”に思いをめぐらせつつ、彼女の感想をしっかりと受け止めながら、大いに語り合うべし。
女性がお一人でご覧になれば、ポンと背中を押してもらえるかも。
野郎が一人で観に行くならば…まずはエリザベスを“受け入れる”ことこそが肝要。

何となく疲れてるなぁ…と感じている“頑張る女性”に、ジュリア・ロバーツがお届けする癒しの指南書。



食べて、祈って、恋をして
2010年/アメリカ  監督:ライアン・マーフィー
原作:エリザベス・ギルバート
出演:ジュリア・ロバーツ、ハビエル・バルデム、リチャード・ジェンキンス、ジェームズ・フランコ、ビリー・クラダップ、ヴィオラ・デイヴィス

「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」

2010年09月17日 | 映画
場末のバーを営む母親のあゆみ(大竹しのぶ)と、娘で姉の桃(井上晴美)、妹のれん(佐藤寛子)の三人には、大きな夢があった。
大きなビルを建てて資産家となって、セレブな人生を送る事。
しかし店の売り上げだけでは、その夢には到底追いつかない。
そこで、彼女達が“手っ取り早く”大金を掴む手段に選んだのは、保険金殺人。
高齢の客を色香で惑わせて内縁関係となり、やがて自殺に見せかけて殺し、富士の樹海にある採石場跡地へと運ぶのである。

ある日、妹のれんは、街角に貼られている手書きのチラシを頼りに、なんでも代行屋を営む紅次郎(竹中直人)の事務所を訪れる。
彼女の依頼とは、父の散骨時に誤って一緒に富士の樹海へと撒いてしまって失くした、形見のロレックスを探して欲しいというもの。
少女のような出で立ちで現われたれんの可憐さにほだされた次郎は、そんな雲をつかむような奇妙な依頼を引き受ける。

しかしそれが、その後に訪れるグロテスクな事件の入口だった…


その独特の世界観が「ネオ・ノワール」として熱狂的な支持を集めた石井隆監督の最新作は、1993年に公開された「ヌードの夜」の主人公・紅次郎の新しい物語。
前回に続いて再び竹中直人とタッグを組み、10年間“熟成された”脚本を映画化した本作は、二人の熱い思いが静かに、しかし力強くヒシヒシと伝わってくる。
えも言えぬ「とろり」とした質感は、他の映画では感じられない感覚で心地よい。

この質感は、本格的に女優として体当たりの演技に挑んだ佐藤寛子が放つものでもある。
これまでの石井作品に登場したヒロインの中でも、群を抜く迫力あるプロポーションを持つ彼女は、スケールの大きなミューズとして圧倒的な存在感を示す。
何とも儚げな表情を見せる少女のような面影と、その肉感的な体のコントラストが、おぞましい過去を持つれんを見事に体現しているのである。
そして、凶暴な行為の合い間に見せる軽いコケティッシュなセリフが、悪人であるはずのれんを、どことなく憎めない存在にする。
様々な表情を見せるれんは、激烈な体験から最凶で最悪な人間へと堕ちてしまったのだが、紅次郎が溺れるように守ろうとする気持ちが痛いほどよく分かる。
そしてそんな次郎の姿は、女性を非常に大切に思い、愛おしむ石井監督自身の現われなのだろう。

夜、雨、ネオンサイン。
石井作品に欠かせないアイテムが随所にちりばめられて変わらぬテイストを保ちつつ、前作の「ヌードの夜」よりもはるかにスケールアップした。
エロスと死が交錯して官能的な芳香を放つ、男目線から十二分に見応えのある逸品。


ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う
2010年10月2日公開/日本  監督・脚本:石井隆
出演:竹中直人、佐藤寛子、東風万智子、井上晴美、宍戸錠、大竹しのぶ

「ちょんまげぷりん」

2010年09月16日 | 映画
シングルマザーのひろ子(ともさかりえ)は、息子の友也と二人暮らし。
ある日、二人は侍の恰好をした木島安兵衛(錦戸亮)と名乗る男と出会う。
テレビか映画の撮影?はたまたもしかすると頭が…?
いぶかしがるひろ子だが、安兵衛の話を総合すると、どうやら彼は江戸時代からタイムスリップしてきた侍だった!

ひろ子は、友也も懐き、悪い人間ではなく、真っ直ぐなところを見せる安兵衛を、しばらく居候として面倒をみることにする。
安兵衛は居候の礼に、働くひろ子を助けるべく家事全般を引き受けると宣言、料理・洗濯・掃除を次々と完璧にこなしていった。

ある日、熱を出して寝込み、食欲が無いという友也のために、安兵衛はプリンを作る。
「美味い!」と友也が喜んだその時をきっかけに、安兵衛はお菓子作りに目覚めて…


「男は外向きの仕事、女は奥向き(家内)の仕事」という役割分担が当然という意識の安兵衛。
江戸時代の侍なのだから当然の発想なのだが、現代社会で懸命に生きるシングルマザーのひろ子を見て、また彼女のもとに居候することとなったことから発想を転換する。
そして「外向きの仕事」をひろ子が担うのであれば、自分は「奥向きの仕事」を担うことにする。
柔軟な発想ができる安兵衛は現代社会にもどんどん馴染んでいくが、その一方で常に背筋を伸ばし、礼儀を重んじる姿勢を貫く。
それは現代人が忘れがちな何かを思い出させてくれるものであり、一本筋の通った強さの表れであった。

そんなひろ子と安兵衛は徐々に“良きパートナー”となっていくのだが、安兵衛に菓子職人としての才能が開花していくにつれて、二人の間に溝ができ始める。
それは、ひろ子がシングルマザーとなる要因を作り出した、かつて通ってきた道でもあった。
しかし、安兵衛の真っ直ぐな性格と持ち前の柔軟な発想もあって、二人は困難を克服していく。
そしてすっかり家族のようになった三人。
このまま幸せな暮らしが、いつまでも続くと思ったのだが…

ただ甘いだけではなく、また切なくて苦しいだけでもないハートウォーミングなラストシーンが秀逸。
美味しいプリンに欠かせないカラメルソースのようにちょっとほろ苦い、オトナ向けファンタジーの佳作。


ちょんまげぷりん
2010年/日本  監督・脚本:中村義洋
原作:荒木源
出演:錦戸亮、ともさかりえ、今野浩喜、佐藤仁美、鈴木福、忽那汐里、堀部圭亮、中村有志、井上順

「キャタピラー」

2010年09月15日 | 映画
“赤紙”召集令状1枚で、今日も村の男が召集されていく。
シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)もかつて、村人達に盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。

しかし戦場で瀕死の重症を負った久蔵は、九死に一生を得て村へと戻ってくる。
同僚達に運び込まれてきたその姿は、見るも無残。
顔面は焼けただれて耳は聞こえず、手足は吹き飛ばされて身動きのとれない状態となり、声帯も損傷して言葉を発することもできない。

「名誉の負傷」と引き換えに得た多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。
四肢を失っても久蔵の旺盛な食欲と性欲は衰えることがなく、シゲ子は戸惑いながらも“軍神の妻”として献身的に尽くして面倒をみる。
ただ横たわるだけの体となり、言葉さえも失った久蔵は、自らを讃えた新聞記事や勲章を誇りとして日々を送るが、その姿にシゲ子は、徐々に空虚なものを感じるようになる。

敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めた。
そしてついに、敗戦の日が訪れた…


名誉のことと讃えられ、戦地へと送り込まれる兵士達。
自分達の国を守るため、そして何よりも自分の家族を守るためという、崇高なる大義名分のもと、正義のために戦う。
しかし占領した町ではなんのためらいもなく、当たり前のように婦女子を襲い、暴行の果てに殺す。
全てがそうではないが、日常生活においては善人として暮らしていたであろう人間も、正気を失い、人間性を崩壊させてしまうのが戦争だ。

激しい戦闘においては、四肢を失い、五感を失い、日常生活に支障をきたす障害を負うのは当たり前のこととはいえ、それが我が身に降りかかるとは、出征に際して想定する者などいないだろう。
(そんなことをすれば、おそらくはその恐怖に身がすくんで動けなくなるだろうし…)
しかし、久蔵のような悲惨な姿となる可能性があるのが戦争である。

戦争の真実、戦争が本来持っている残酷性を、一組の夫婦を通して生々しく我々に見せつける。

また、出征前の久蔵は、実はシゲ子に対して威圧的で、暴君のように振舞うこともある男だった。
そして戦場では、無抵抗の市民に危害を加えることに躊躇しなかった。
しかし手足を失い、聴力も言葉も失って村へ戻った彼は、シゲ子の介護なくしては生きていけない。
最初は、己の欲望のままに食欲と性欲を満たしていた久蔵だが、やがてシゲ子がイニシアチブを取り始めると、戦場で自分の犯した暴虐行為が脳裏に甦り、罪悪感に苛まれ始める。
抑圧される対象となることで、自らの抑圧行為がどれだけ相手を苦しめていたか、思い至るようになるのである。
戦争の狂気を通して、人間としての善性を取り戻すという皮肉。

人間の業、ドロドロとした本質の部分をえぐり出し、スクリーンにさらけ出す若松監督の演出が今回も冴えている。
寺島しのぶに、「いもむし、ご~ろごろ♪」と笑いながら歌わせるなど、他の監督には真似できない。
ただ悲惨さを訴えるだけでなく、独特のユーモアで物語を包み込み、のどかな田園風景と戦争の悲惨さとが織り成すカラッとしたコントラストもあいまって独特の余韻が残る、若松監督の手腕は見事!

なお、エンドロールで流れる元ちとせの歌う「死んだ女の子」を聞き逃すべからず。
心に無数の矢が突き刺さってきて、場内に明かりがついてもしばらくは、席を立つことができなかった…

最後の最後までスクリーンに目が釘付けで、圧倒されっぱなしの傑作!


キャタピラー
2010年/日本  監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ、大西信満、吉澤健、粕谷佳五、増田恵美、河原さぶ、石川真希、飯島大介、安部魔凛碧、寺田万里子、柴やすよ

「BECK」

2010年09月14日 | 映画
内気な高校生のコユキ(田中幸雄/佐藤健)は、ある日、ニューヨーク帰りで天才的なギターテクニックを持つ竜介(水嶋ヒロ)と運命的な出会いをし、音楽の道にのめり込んでいく。
ボーカルの千葉(桐谷健太)、ベースの平(向井理)、そしてコユキの親友サク(中村蒼)がドラムに加わり、バンド「BECK」が結成された。
ライブハウスでの活躍、自主制作CDの作成、そして大型ロックフェスへの出演が決まり、メジャーへの道を進み始めたように見えたその矢先、ライバルバンドの大物プロデューサーが罠を仕掛ける…

ハロルド作石の人気コミックの映画化。
原作は累計発行部数1500万部という大ヒット作であり、映像化は不可能と言われてきた。
それもそのはず。
原作では音楽のシーンで歌詞やメロディの表記が無く、「BECK」の音楽世界は全て読者の思い描くイメージに委ねられているのである。
つまり、奇跡的に集まったメンバーによる「BECK」という“ミラクル”バンドが作り出すサウンドイメージは読者ひとりひとりの心の中にあり、どう表現しても誰の心にも響かない可能性があるという、映像化に対するチョモランマどころではない大きな障壁が立ち塞がっているのだ。

中でも、隠れた才能を開花させ、“奇跡のボーカル”で聞く者全てを虜にするコユキの歌声は、本作における最重要ポイントであり、読者から最も注目されるところ。
これまで公開されてきた音楽シーンを伴う映画の中のどの作品よりも、そのサウンドが作品に与える影響は強大であり、その不出来は作品に対する凄まじい破壊力を持つ。

こう書いているだけで、よくもまあ映画化しようと思ったな!と思えてくる本作だが、そんな映画史上最困難とも言える難事業に挑んだのは、「20世紀少年」シリーズで、原作のファンの期待を裏切ることなく原作をイメージ通りに映画化したと定評のある堤幸彦。
かのコユキの“奇跡のボーカル”を、思わず

「え!?」

と声に出てしまう表現方法で、見事に映像化してみせた。
「そうきたか!」とニヤリとさせられながら、TVドラマの「TRICK」で意表を突かれたときの感覚そのままの、“いかにも堤監督”な作品に仕上がっている。
原作のファンも、レベルの差こそあれ全員納得なのではないだろうか?

原作を知らなくても全く問題無し。
若い頃、音楽に夢中にのめりこんだ「オヤジバンド」世代には、奇跡のメンバー達の音楽に対するピュアな姿勢が胸を打つ。
かつてのたぎる情熱を思い出し、「BECK」がのし上がっていく様子に喝采を送らずにはいられないだろう。

音楽に純粋な若い情熱がほとばしり、熱い思いが観る者の心も熱くする秀作!


BECK
2010年/日本  監督:堤幸彦
原作:ハロルド作石
出演:水嶋ヒロ、佐藤健、桐谷健太、忽那汐里、中村蒼、向井理

ガチョ~ン!

2010年09月13日 | ニュースから
“ガチョーン”谷啓さん突然の死、78歳(読売新聞) - goo ニュース


この訃報は本当に驚いた!
最近テレビで見ないと思ったら、なにやら体調が思わしくなく自宅で療養中だったようで。
しかしその自宅で転倒し、頭部や顔面を打ちつけて、それがもとで亡くなったというのは何とも気の毒。
あの明るく人懐っこい笑顔とはうらはらな痛ましい最期に言葉もない。

自分の中ではクレージー・キャッツはちょっと古いので、やはり「欽どこ」の食事の順番当てコーナー(なんというコーナータイトルだったか?)が一番心に残っている。
「谷啓さん、大当たり~♪」というジングルと共にニコーっと微笑む姿が脳裏に焼きついている。

なにはさておき、ご冥福を祈るばかり。

合掌


夏風邪。

2010年09月12日 | よもやま
火曜日、一日事務処理で会社の事務所内にいたら、夕方くらいに「寒っ!」と思ったのが始まりだった。

夕方には声が枯れてきて、水曜日にはまるで中学生の声変わりのよう。
その夜には熱が出て、いつもよりはるかに早く寝たものの木曜の朝も37.7度。
ガラガラにかすれて出ない声を振り絞って会社に連絡を入れ、近くの総合病院に予約を入れて医者に駆け込んだ。
薬をもらって寝ていたが、木曜日はなかなか熱が下がらず。

金曜の朝、さすがに37.5度まで熱は下がるも、またガラガラの声で上司に電話を入れ、薬を飲んで横になっていた。
昼前に目覚めるとだいぶ体は楽になり、熱も37度前後まで落ち着いた。
昼飯を食べて薬を飲み昼寝。
目が覚めたときは5時前だったが、かなりスッキリと目覚めた。
夜にはついに平熱まで安定し、声もかなりマトモになってきた。
2日ぶりにシャワーを浴びて、久しぶりにサッパリと就寝。
土曜日には復活した♪

風邪の発熱でダウンしたのは久しぶりだったが、このクソ暑い毎日に、さすがに応えたか!?
ああ、やれやれ。
本来なら月曜に休みを予定していたのだが、イヤな前倒しをしてしまったことよ(感嘆)


薄氷

2010年09月07日 | 野球
神1―0中(7日) 阪神が無失点リレーで勝つ(共同通信) - goo ニュース


1対0の勝利は今シーズン初だったとは知らなかった。
確かによく考えてみたら、今年はとにかく打って打って相手を粉砕する試合をしょっちゅう見ている気がする。
とにかく先発投手陣が弱いことからくる現象であり、よく「投壊現象」などと呼ばれる状況にあるのだが、とにかく打撃陣が絶好調なため、ここまできたという今シーズンである。
薄氷を踏む思いとは、正に今日の試合のようなことを言うが、ここへきてこんな試合を取れたのは大きい。

それにしても、たった1点で8回から藤川が出てきたときは、一抹の不安がよぎった。
今季はホームランを打たれるシーンをよく見ているが、今日は一発を浴びれば即試合が振り出しに戻ってしまうのだから、気が気でなかった。
しかもボールの抑えが効かないようで、コントロールが定まらず、四死球を出してヒヤヒヤさせられっぱなし。
8回の森野の当たりは、打たれた瞬間に逆転ホームランを覚悟したが、なんと台風の影響による強風に押し戻されてセンターフライ!
中日にとっての大きな逆風が追い風となり、接戦をモノにできたのは喜ばしいことだ。

中日との次の戦いは、連休中のナゴヤドームでの3連戦。
今季1勝しかできていない敵地では、3連敗も覚悟しているのだが、たとえ名古屋で全敗しても優位に立てるよう、この3連戦は最低でも2勝1敗で乗り切らねばならない。
とりあえず3連戦の初戦は取る!というプロ野球界の鉄則を守れたタイガース。
何がなんでもあと1つ取るべし…!