そのうちの一人が言うには、ブラフマンはわれわれを超越した存在で、その夢の中の登場人物さえも意志を持つのだと言う。だとしたら、夢の中の登場人物に過ぎない我々が、どうしてその超越者について知ることができるのだろうか。そもそも、それを「夢」という言葉で表現すべきではない。「ブラフマンは世界を創造している」というべきだろう。
「この世界はブラフマンの夢である」とはロマンチックな表現だが、哲学とは無縁だと思う。「夢」という言葉のつかい方が間違っているだけのような気がする。
アメリカ映画には文句を言いたい面もいろいろあるが、ミュージカル映画については文句のつけようがなく、手放しで素晴らしいという他はない。今回の映画も期待に外れることはなかった、と言うより期待以上で、こんなわくわくする楽しい時間をもったのは久しぶりだ。文字通り夢のような時間を過ごし茫然自失の体、おかげでショルダーバッグを映画館に忘れてきたことに気がついたのは帰宅してから3時間もあとのことだった。
たいていのミュージカル映画は見逃さないで見ているのだが、オリジナルの「メリー・ポピンズ」だけは観ていない。私がミュージカルに目覚める前に公開された映画だからだが、むしろ観ていないことが、今回の作品を鑑賞するうえで幸いしたかもしれない。ジュリー・アンドリュースの際立った歌唱力と演技を見ていれば、どうしても主人公の人物像の先入観を排除するのは難しかっただろう。
エミリー・ブラントがジュリー・アンドリュースより劣っているという意味ではない。歌唱力においてアンドリュース以上を望むのはそもそも無理というものだが、ブラントの気品ある気高い演技はその美貌と相まってこれ以上はないはまり役のように感じさせるものがある。是非、同じ配役で「リターンズ」のさらなる続編を作ってもらいたいと切に思う。
家に帰って妻に映画のことを熱っぽく語っていると、妻から「あなたって少女趣味ね。」と言われてしまった。そうかも知れない。小さなシネサロンには土曜日だというのに観客は三十人程しかいなかった。その中で男一人で見に来ているのは私だけで、あとは夫婦連れが二組、その他の客はすべて女性だった。
こんな楽しい映画は、子どもだけではなく大人も、女だけでなく男も、とにかくもっとたくさんの人に見てもらいたいと思った。少女趣味、大いに結構。
昨日は久しぶりに区のスポーツセンターに行きました。ひと汗かいて更衣室に戻ってきたら、小学1,2年生くらいの男の子3人がぺちゃくちゃと楽しそうにおしゃべりしています。
「ねえねえ、割り算って知ってる?」 「2割る1は2とか?」、「6割る3は3とか」
ここで私は聞き逃すわけにはいかないと思い、「6割る3はなんだって?」と聞くと、「‥‥‥」視線をこちらへ向けようともしないで黙ったままです。なんかフレンドリーな雰囲気ではありません。しょうがなく私は、「6割る3は2じゃないかなぁ」というと、さらに私のことは無視して、話題を変えてドラえもんの話を始めました。
「ドラえもんのポケットって何でも入るんだよ。家でも自動車でも」
「どんな大きなものも入るの?」
「そう、どんなものでも」
「じゃあ、世界も入るの?」
「そう、なんでも入るから、世界も入るよ。」
ここまで来ると、アマチュア哲学者は黙っていられません。
「へえーっ、世界がドラえもんのポケットに入ってしまったら、その時のドラえもんはどこにいるの?」と聞きました。相変わらず私の方は振り向かずに、一人の子が答えます。「そんなの知らないよ。」
私は、「だって、ドラえもんは世界の中に居るんじゃなかったの? その世界がドラえもんの中に入ったら、ドラえもんは一体どこにいるんだい?」と言いました。
やはり一人の子がそっぽを向きながらいいました。「知らない人と口を聞いたらいけないんだぁー」
おせっかいおじさんはさびしかったというお話しです。
吾妻山公園 ( 神奈川県二宮町 )