孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

婿さんの転勤先

2024-02-10 05:29:23 | 2歳半から

昨年秋に婿さんの転勤のことを聞いてから、心やすまらない日々を送ってきました。

遠いところだったらどうしよう?

飛行機で行くようなところだったら?

 

頑張る、ぜったい頑張る。

どんなことがあっても、娘とマメのサポートを投げ出すようなことはしない。

時間も労力もお金も、惜しみなく使う。

 

などなど...。

意気軒昂モードで自分を奮い立たせてきましたが...。

 

このほど、転勤先が決まりました。

近いところでした。ホッ!

今いるところは我が家から隣の隣の県ですが、こんどは隣の県です。

 

さっそく検索三昧です。

我が家から新しい娘宅(社宅)までの行き方。

電車ルートと車ルートをしらべます。

ああでもないこうでもない。

オヤこんな行き方もあるのね、時間がかかってもこっちが便利かな?

この区間はバスを使う手もあるかもね。

 

つぎに、別のルート検索があります。

娘宅からろう学校までの行き方です。

こちらも同じように、へとへとになるまで検索します。

 

その結果わかったこと。

<我が家から娘宅までの所要時間>

車で45分〜1時間(今までのおよそ半分)

電車で約1時間(同上)

 

<娘宅からろう学校までの所要時間>

車で1時間〜1時間半(今までの5割増し)

電車で1時間半(同上)

 

そうです、ろう学校が遠くなってしまいました。

通えない距離ではないけれど...でも...大丈夫かな。

 

夢中のネット検索が終わると、こんどは実踏です。

夫とふたりで朝7時、車での実踏に出発します。

まず、新しい娘宅まで(娘とマメを迎えに)行きます。

ふたりを乗せたつもりで、ろう学校に出発。

 

...ああダメダメ、ネットが提示したルートは渋滞がすごい!

このルートは使えません。

 

ろう学校に着いて、近くの公園でヤレヤレとひと休み。

車のナビ(相当古いのであまり使い物にならない)とネット検索を突き合わせて、違うルートを試すことに。

こんどはスムーズです。

渋滞もほとんどなく、ぴったり1時間で新娘宅に帰着しました。

(でもこれは昼間の時間帯だったからかも。朝はどうかな、、、。)

 

実踏無事終了。

ああ疲れた。

 

娘宅は今までより近くなって、ろう学校も何とか通えることがわかって。

実踏直後はハイテンションの意気揚々だったのですが、その後...。

(次記事につづきます)

 

 

 

 

 


聞こえの状況 補足

2024-02-04 21:44:30 | 2歳半から

夫は片耳難聴です。

中学生のころ、中耳炎をこじらせて(壊死した骨を削る手術まで受けたらしい)失聴したそうです。

 

それから60年あまり。

ほとんど「障害」を意識することなく生きてきたようです。

高校教員としての仕事に支障はなかったし、

日常生活や対人コミュニケーションもノープロブレム。

テレビ・映画・音楽などもふつうに楽しめた。

 

<騒がしい場所で(電車の中や飲み会の席)聞こえない耳の方から話しかけられると困る>

などの苦手場面はたまにあったようですが、それほど気にはしていませんでした。

 

そんな夫はマメの難聴について楽観的で、いつもみなを励ましてくれます。

「小耳症の左耳がたとえ重度難聴であっても、良い方の右耳が補聴器装用で30デシベルまで聞こえるなら全然OK」

「今後補聴器の調整が進んで、20デシベル(正常聴力)までレベルアップする可能性もじゅうぶん期待できるし」

 

そうかな。

そうだといいな。

マメが音楽も楽しめるようになったらうれしいな。

 

まだまだ、マメの難聴について、いまいち正確なところがわからない現状。

その中で、希望を持って進んでいきたいです。

「きっと大丈夫」と。

 

 

 

 

 

 


聞こえの状況

2024-02-03 13:40:30 | 2歳半から

1歳2ヶ月で初めての発語(ワンワン)があってからここまで、

予想外に順調な言語発達を見せてきたマメです。

難聴児なのにすごーい! と喜ぶ大人たち。

 

ではいったい、マメはどの程度の難聴なのか?

ここであらためて、お伝えしたいと思います。

 

裸耳:60〜70デシベル

補聴器装用:30〜40デシベル

 

こども病院とろう学校で、これまで10数回の検査を受けていますが、いつもほぼこの数字です。

大きくブレることはありません。

 

ちなみに、健聴者の聴力は10〜20デシベルです。

せめて、補聴器装用で20〜30デシベルに持っていけないものかな、と思います。

でも、今はまだ様子見で良さそうです。

 

マメが受けている聴力検査(COR検査)はかなりざっくりしています。

1.検査室で、マメは正面を向いて座る(パパかママに抱っこされて)

2.左右どちらかから音が聞こえてくる

3.マメが音の方を向くと、そちらの壁にパッと画像が映る(よくできたね、という感じで)

 

何度も検査を受けて場馴れしたマメは

「気が向かないと、ダレていい加減にやってることがある」そうです。(両親談)

(もっと正確に測れるスイッチ式などに早く移行できないかな。)

 

さて補聴器です。

2年まえの今ごろ(生後9〜11ヶ月)、常時装用に向けて焦りまくっていたわたし。

でも、満1歳でほぼ常時装用に達してからは、まったくノープロブレムとなりました。

起きているあいだは(入浴時以外)ずっと装用。

電池が切れると、自分で外して「でんちー」と持ってきます。

 

「補聴器は自分にとってなくてはならないもの」と、マメはしっかり認識しているようです。

 

さて、小耳症の左耳です。

多くの小耳症では外耳道閉鎖をともなうようですが、マメの場合、狭いなりに外耳道はあります。

ただ、こちらの耳の聴力は「ほとんど期待できない」というニュアンスで放置されています。

きちんとした検査も行われていません。

 

<可能ならば、検査した上で、小耳がわの聴力も補強したい>

という希望はもちろんありますが、こちらも様子見。

もう少し大きくなってからでもいいかなと。

 

こんなところが、目下のマメの「聞こえ状況」です。


マメ2歳9ヶ月

2024-01-30 17:38:47 | 2歳半から

お伝えしているように、1〜2ヶ月まえから言葉の急発達が見られるマメです。

たくさんおしゃべりするし、おとなと、ほぼふつうに会話ができます。

発音の不明瞭さも徐々に改善しています。

 

たとえば、以下の例。

先日、昨年末の札幌行きのことを娘と話していたら、マメがわりこんできました。

マメの発言部分をできるだけ正確に表記してみます。

 

「ぱぱとーままとーばあばとーまめちゃんとー、ひこうきのったねー」

「じいじはーいなかったねー」

「びょういんいったねー」

「しぇんしぇいがーおりこうしゃんっていったねー」

「まめちゃんおりこうしゃん」

「うちーあったねー」

 

「うん」「そうだねぇ」「ほんとだね」などとおとなが相槌をうって、楽しく会話が進みます、

でもちょっと待って。

最後の発言に???と当惑するばあばとママです。

「うち? なんだろう? マメちゃん、うちってなあに?」

うち だよー」

「えっわかんないよー」

 

その後、「うちさわったねー」「うちちゅめたかったねー」とつづいたのがヒントになりました。

うち=ゆき なのでした。

 

さて、数ヶ月まえから「1、2、3」などと言うようになりました。

わかって言ってるの? と始めは半信半疑でしたが、このごろはバッチリです。

おもちゃや食べものなど、指さしながら数えています。

「1、2、3」のあとは「5、8、4、、、」みたいになってしまいますが。

 

つぎに文字言語についてです。

自分の名前のひらがながわかります。

文字列の中からさがしだすことができます。

 

そろそろかなと思い、以下2点を導入しました。

1.ひらがな積み木

2.絵&文字カード

 

積み木は長男家庭からのお下がり。

絵&文字カードは「くもんでこんなのもらったよ」と、以前娘が見せてくれたのを思い出しました。

片面は犬の絵の横に「いぬ」というひらがな、裏面には絵がなく「いぬ」という大きなひらがなのみ。

A5サイズのペラペラ紙です。(身近な言葉、約40枚。)

これを、街のコピー屋さんでラミネートしてもらいました。(1枚100円)

 

この2アイテム、さりげなくおもちゃの横に置いてあります。

何となく手にとって、何となく理解し始めてほしい。

「教える」というアプローチは、まだ取らなくていいかな。

(ベビーくもんでは教えてもらっているようです。)

 

2歳9ヶ月のマメ、こんな感じの言語状況です。

 

 

 

 


初めて気づいたのは

2024-01-22 14:42:07 | 2歳半から

2年まえの今ごろ(2月)のことです。

マメは生後10ヶ月でした。

初節句ということで、娘の七段飾り雛人形を30年ぶりに出しました。

記念写真を撮るため、いつものつなぎ服をオシャレなワンピースに着替えさせました。

 

写真を撮り終わってヤレヤレとみんながバラけたとき、え〜んとマメの泣き声がします。

見ると、ワンピースのすそが膝にからまって、うまくハイハイできません。

「ああそうか、よしよし」

急いで救援に駆けつけると(つなぎ服に着替えさせる? or ワンピースのすそをズボンにたくしこむ?)、

マメはすでに自力で問題解決を済ませていました。

移動方法を、膝をつかない高バイスタイルに切り替えていたのです。

え〜んとひと声泣いたあと、即座に状況を理解して対処したのです。

 

おお!

この子はもしかして、かなり地頭(じあたま)の良い子では?

胸躍る発見を伝えると、「ええまあ、そうなんですよ」と悠然とほほえむ婿さん。

 

このときのことは、とても鮮明に覚えています。

マメのかしこさを初めて意識した瞬間でした。

 

その後も、日常のはしばしにマメのかしこさが感じられて...。

「もしかして」が「絶対確実」になって...。

でも、そのうれしさや誇らしさを、両親と祖父母の4人の間でしか共有できなくて...。

息子たちにはいまいち伝わっていない気がして...。

 

そんな中、部外者である義弟夫婦が、マメのかしこさをきっぱりと認めてくれたこと。

このインパクトはとても大きいものでした。

 

「難聴というハンディを補うにじゅうぶんな知的能力」がマメには備わっている。

<9歳の壁>など恐れるに足らず。

勇気りんりん、意気揚々のわたしです。

 

注<9歳の壁>

小4(9歳)くらいから急に学校の勉強が高度かつ抽象的になり、落ちこぼれる児童が多くなるとか。

難聴のマメは大丈夫かなと、不安にかられていた時期がありました。