孫娘は小耳症

孫娘(2021年4月生まれ)は左耳小耳症で両耳難聴です。
頼りない娘を支えつつ孫娘の成長を見守ります。

マメ、今後の難聴療育

2024-03-05 15:36:29 | 2歳半から

不安や喪失感にさいなまれながらも、ひまを見つけてはミニ実踏をくり返す日々。

そんな中、問題の核心がクリアになってきました。

マメの難聴療育をどうするか。

これこそが核心です。

 

いま通っている「ろう学校幼児教室」に、転居後も通いつづけるのはむずかしいかも。

たぶん不可能では...?

だって、車で1時間半もかかるんだもの。

(理論的には1時間で行かれそうですが、それは机上の空論。20〜30分の渋滞が常態化しているルートです。)

 

4月からの2歳児クラスは、今の週1回から2回にふえるはず。

往復3時間の車移動を週2回!

そんなの、2歳児にとっては苦行でしかない。

 

ああでも...。

この幼児教室をあきらめるのはつらい、何としてもつらい。

難聴療育ではとても評価の高い学校だから。

そして何より、マメが「がっこうだいすき!」と気に入ってるところだから。

 

でも、嘆いてばかりはいられません。

ここに代わる療育先を見つけなくては。

 

すぐに思い浮かんだところがあります。

デフサポの牧野友香子さんに教わったところです。

 (注1)牧野友香子さん: 最重度難聴なのにみごとな口話をあやつるパワフル女性

 (注2)デフサポ: 牧野さんが代表をつとめる難聴者支援NPO法人

 

2年あまり前、デフサポのカウンセリングプログラムで牧野さんにお会いしました。

そのとき、牧野さんがオススメ療育施設をいくつか紹介してくれました。

「あ、療育のほうは大丈夫です。**ろう学校の幼児教室に通っていますから」と大エバリだったわたし。

一流施設に通っているという「ドーダ感」を全身にただよわせて。

「ああなるほど、**ろう学校なら安心ですね」と牧野さんもニッコリ。

 

でも、そのとき牧野さんが挙げてくれた施設はちゃ〜んとメモしてあります。(抜かりないわたし。)

そのなかのひとつ(牧野さん大推奨)が、なんと! マメの新居からじゅうぶん通いうる場所なのです。

 

おお!

期待と不安が渦巻きます。

ここでいいのか?

受け入れてもらえるのか?

(長くなるので次記事につづきます。)


マメ2歳10ヶ月

2024-02-29 14:55:13 | 2歳半から

マメは2歳10ヶ月になりました。

「まだ2歳児なのね」

「まだそんなにちっちゃいのね」

と意外感を感じるほど、人間としての存在感が増しています。

 

マメの言語発達については、相変わらず細かく観察していますが、

最近、自分自身の対応について、下記のような「気づき」がありました。

 

1.会話レベルをマメに合わせようとしなくていい

2.むしろ、普通の会話にマメをついてこさせる方がいい

 

これまで

<マメの知っている語彙の範囲で、マメの理解できる言いまわしで>

というスタンスを取りがちだったわたし。

 

絵本を読むときは

できるだけマメになじみのある語彙に言い換えていました。

「おとうさん」を「パパ」と

「きしゃ」を「でんしゃ」と

「えんそく」を「おでかけ」と。

また、理解しづらいからと、マメの家庭状況と違う内容のものは避けていました。

(兄弟がいる、赤ちゃんにヤキモチ、ペットを飼っている、などなど)

 

2週間くらいまえ、「それは違う!」と思ったのです。

そういう忖度(そんたく)は必要ない!

むしろ有害無益!

 

マメはきっと、こんなふうに対処できるはず。

*言葉の中には「よくわかるもの」と「よくわからないもの」があるんだなあ。

*わからないなりに、何となく想像がつくこともあるなあ。

*想像してもわからないものがあるけど、べつに気にしなくてもいいや。

 

気づきのあと、マメとわりあい普通に会話するようになりました。

マメもそれに応えて上手におしゃべりします。

その関係が、冒頭の「人間としての存在感」につながっているような気がします。

 

発音の問題はまだまだ残っているんですが...。

「さあマメちゃん出かけるよ」

「あ〜ん、マメちゃんのまくやーがないよー」

「まくやー?」

 

「マメちゃん、このブロックなあに?」

おーちゃのびょういんだよ」

「おーちゃ?」

 

*娘(ママ)がすぐ通訳してくれました。

それぞれ「マフラー」と「おもちゃ」でした。

 


へこたれながらも頑張る

2024-02-24 20:26:21 | 2歳半から

ごぶさたしています。

ごぶさたの原因は何かというと...。

「へこたれていた」からです。

 

婿さんの転勤がどうにもつらくて...。

 

娘を訪問するたびに、哀惜感が胸にこみ上げてきます。

この(ジャンボ遊具が魅力の)公園とも

あの大型スーパーとも

くもん教室とも

幼稚園プレクラスとも(4月から満3歳児クラスに入園できるはずだった)

みんなみんなお別れ。

 

この街でマメと過ごした3年間。

楽しかった思い出が走馬灯のように脳裏をよぎり...。

 

ちょっと、いい加減にしなさい!

自分を叱り飛ばそうとしても、なかなかうまくいきません。

 

でも、家にこもってため息ばかりついているかというと...。

イヤイヤ、そんな無為無能なわたしではありません。

情報収集や実踏(第二弾・第三弾...)で、日々忙しく過ごしています。

1.満3歳入園ができる幼稚園をさがす。

2.新居近くでマメが遊べる公園をさがす。

3.我が家から娘宅まで、もっとも効率の良い行き方を調べる。

などなど。

 

今日も今日とて、張り切って、新居付近の実踏に出かけました。(夫は連れずひとりで。)

ネット情報を補強するようなたくさんの収穫があり(上記1〜3すべてで)、周囲のひとたちに声をかけることで、思わぬ情報も得られました。

 

1万歩以上歩きまわって疲れたけれど、いま、心地よい達成感があります。

「へこたれ感」が少しだけ緩和されています。

 

こんな具合に、「へこたれながらも頑張っている」わたしです。

我ながら、体力・行動力はバッチリ。(70代ばあさんにしては。)

メンタル面でもう少し強くならなくては。

 

 


タブー意識を乗り越えて

2024-02-13 19:54:15 | 2歳半から

世に「転勤族」と呼ばれる人たちは少なからず存在します。

そういう人たち(と家族)は、子どもの就学問題が持ち上がると、ある方策を用いて事態を解決するようです。

「単身赴任」という方策です。

 

ざっと見まわしただけでも、身近でいくつもの例をあげられます。

あの家もこの家も。

あの人もこの人も。

 

「でもうちの場合、その方策は使えないのよね」と、寂しくあきらめるわたしでした。

娘一家のなかで、婿さんの存在感が大きすぎるのです。

良き夫・良きパパとして、家庭内を太陽のように照らす婿さん。

その明るさ暖かさに包まれて、のびのびぬくぬくと暮らす娘とマメ。

 

その婿さんが単身赴任で不在?

太陽の温もりをうばわれた娘の家庭は、たちまち、冷え冷えとした「ツンドラ地帯」になってしまう。

マメの就学問題はたしかに大事だけど、マメがパパと別れて暮らすダメージのほうがこわい。

 

こんな感じで、いつもこの辺で思考ストップしていたわたしです。

「単身赴任」は、うちでは解決策にならないのよね...と。

 

でも今回、危機感と悲しさがタブー意識を乗り越えました。

<単身赴任、フツーに「あり」なんじゃない?>

<婿さんがいなくても、娘とマメの生活はツンドラ地帯にはならないんじゃない?>

<だって、我が家でわたしたちといっしょに暮らせばいいんだもの>

<婿さんの勤務場所が近くになった時は、婿さんもうちに同居すればいいわね>

 

次回の転勤を見すえて、心の中でアレコレ計画を練り始めます。

お金の計算、間取りの工夫、マメの就学、娘の就業、などなど、考えることがたくさんあります。

 

そして...。

考えているうちに、気持ちが落ち着いたのです。

 

わたしが勝手に心の中で考えているだけのプランです。

娘一家(とくに婿さん)からノー!を突きつけられたら、もちろん引き下がるしかない。

でも、「こういうふうにできるかも」「できたらいいな」という希望が、わたしの不安を鎮めてくれました。

夜も、わりあい眠れるようになりました。

良かった...。

 

ところで、もしそのプランが実現するとして、

老夫婦ふたりの気楽な生活をあきらめていいの?

新たな家族を2〜3人迎え入れるって、かなりのストレスじゃない?

大丈夫?

 

ご心配される向きも多いかと思いますが...。

大丈夫です。

<娘とマメのために、できることは何でもする>

その覚悟はとっくにできています。

 

 

 

 

 

 


転勤族の悲哀

2024-02-10 07:31:38 | 2歳半から

ネット検索と実踏の高揚がおさまってみると...。

つぎにやってきたのは悲しさでした。

 

転勤族の悲哀が骨身にしみます。

 

こんなことを、この先ずっとくり返すんだろうか。

数年ごとに住む場所を変えていく。

まるで根無し草のように。

 

生命力あふれる活発なひとなら、案外そういう生活も楽しめるかもしれません。

でも、娘には強い生命力などまったくありません。

とにかくひ弱なのです。

そんな娘が、やっと少しだけ根を張った土地からグイと引き抜かれる...。

 

わたしがサポートできるうちはいい。

でも、わたしが死んだあとは?

引っ越し準備・片づけといった激務に、グズでトロい娘がうまく対処できる?

何より、数年ごとの転居で心が疲弊してしまわない?

 

そしてもちろん、気がかりは娘だけではありません。

むしろマメのほうが、問題は深刻です。

適切な療育を、継続して受けられない。

適切な就学先を、腰を落ち着けて探すことができない。

就学してからは、難聴の上にたび重なる転校で学校になじめない。

いじめ?

不登校?

 

ああ...!

 

不吉な想像はとどまるところを知りません。

とくに、夜中に目がさめたときが最悪です。

真夜中3時ごろから朝までまんじりともせず...。

 

こんなことが数日つづいて、マイッてしまいました。

ヤバイヤバイ、これじゃぁ身が持たないヨー。

いろいろ考えて、何とか解決策にたどり着きました。

解決策というより、「当面心がやすまる」程度の案にすぎないのですが、まあ少しは落ち着きました。

(次記事につづきます)